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関東と奥州を分ける白河の関、地理的・文学的概念としては知っていても、具体的にどこにあったのかを知る人は案外少ないんじゃないでしょうか? その場所は現在の栃木県那須町と福島県白河市の県境上のどこかには違いありませんが、該当する地域は長大です。それは国道4号や東北自動車道が走っている辺りでしょうか? それとも鉄道の東北本線や東北新幹線が走っているところでしょうか? あるいは旧奥州街道に当たる国道294号線上でしょうか? 答えはいずれもNOです。いや、可能性としてはいくつかの説があるようですが、今日もっとも有力視され定説となっているのは、県道76号(伊王野白河線)という交通量もまばらな一般県道上の栃木・福島県境を少し越えた先、福島側の旗宿という集落付近です。
栃木県内を国道294号で北上し、道の駅 東山道 伊王野を過ぎた辺りで右に入っていき、さらに棚倉町への分岐を見送ると、どんどん人家はまばらになり、いつのまにか道路からはセンターラインも消えています。古代に旧東山道が通っていたとされるのは、そんな場所でした。ところで白河の関跡がある少し手前、現在の栃木・福島の県境のある峠付近には「追分の明神」と呼ばれる小さな神社があります。白河の関に向かう前にここに参拝していきました。追分の明神は別名「境の明神」とも呼ばれ、かつては栃木側と福島県の両方に社があったものが、いつしか福島側が廃れ、栃木側だけが遺っている状態です。同名の「境の明神」は国道294号(旧奥州街道)の栃木・福島県境にもあり、そちらは2県ともに社が遺っています。近世、江戸時代に入ると交通の中心はすっかり奥州街道の方に取って代わられ、旧東山道はすっかり人影もまばらな裏寂れた道になってしまいました。ところが、そのことで却って旧東山道付近は開発を免れ往事の雰囲気を現代にまで留めることになっているのだから、なんとも歴史の皮肉を感じるところです。
道路を挟んで、追分の明神の反対側には、おそらく江戸時代に立てられたであろう「従是北白川領」と刻まれた石柱が立っています。その意味するところは「是より北 白川(河)領」であり、この表現に由来する「白河以北」という言葉はしばしば「河北」と略され、東北地方の異称のひとつとしても使われています。宮城県の地方新聞「河北新報」などがそれですね。奥州への旅(今回の行き先は福島中通り周辺だけですが)をはじめるのに当たって、これ以上ないくらいの導入になったのではないでしょうか。参拝後、いよいよ白河の関跡に向かいます。
(画像1)「追分の明神」
(画像2)同所の案内板
(画像3)「従是北白川領」の石柱
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