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去年から仕事でお世話になっている桧枝岐村には、だいぶ馴染ませてもらった。余暇があれば辺りを散歩する余裕が出てきた。
初めて村を訪ねる人は、お墓が多い眺めにちょっと驚く。この風景は、集落が離れて点在していた地域が、住戸が増加する過程で、集落近くにあった墓地を取り囲んだ結果だという。村の人は実にまめに草刈りをする。花の咲く草を上手に刈り残しているために、墓地には手向けの花だけではなく、いつも野の花が囲む優しい眺めがある。国道を外れて小道に入れば、そこかしこに石仏の微笑む姿を見ることが出来る。
小屋原村と言われていた南会津最奥の桧枝岐が、いつ開かれたかははっきりしない。縄文時代の遺物も出るくらいなので、歴史だけは古い土地なのだ。ただ山深く標高1000m近い寒冷な気候では作物が限られ、自然と狩猟文化が栄えた土地でもある。
役場近くの小さな民俗資料館に行くと、熊猟の道具を見ることが出来る。村に火縄銃が入ったのは江戸も中頃、ろくな装備率ではなく、猟は熊槍だけが頼みの道具という勇ましいものだったという。槍の身は会津独特のもので、先端のみを研いで、武器ではなく逆心の無いことを表していた。偶然に仕事の縁で、県境を超えた新潟側の方に猟の話を聞くことが出来た。
熊が冬眠で鈍くなる積雪期が狩猟のシーズン。槍のひと突きを喉元、月の輪の上に入れる。失敗すれば大怪我の危険な猟だが、熊の内臓は換金できる貴重な産物として、暮らしを支えた。槍を構える暇もなく、穴から出掛かったクマの頭部を鉈で打ったという話にはぞっとしたが、当時のひとの生きる必死さは野生の上を行っていたのだろうか。近頃の熊による事故は、人の生命力の低下が原因かとも思う。
長い山仕事に私の生命力も低下したが、盆の休暇に癒えるだろうか。自分の登山も出来ればと願う。盆明けからも工事が長引く可能性がある。去年のように雪虫の飛ぶのが待ち遠しい秋を迎えるかもしれない。
山の空気は清浄、人界はそうは行かず。日々見たくないものを見て、聞きたくないものも耳に入る。朝日と風と、道脇の花の移り変わりが大いに慰めてくれるのは、仕事も登山も変わりがない様だ。
jinさん、お盆に帰省する人々とは逆に都会に帰るんですね。
道路沿いにお墓がある光景は私も驚きましたが、
お墓が先にあったという事なのですか。
平地が少ない山間で
お墓が一番いい場所に作られていたんですね。
生活の中にお墓があると
日々お参りしたりこまめにお掃除をするようになりますね。
この暑さもお盆を過ぎれば和らぐでしょうか。
こんばんは
やっとの帰京で、東京の大都会ぶりにおどろいています。
実際にどちらが故郷だかわからない生活です。盆明けには村に帰郷。
村のお墓は見慣れると、なんとも親しみ深い感じで、人の暮らしをご先祖がたが見守っている風です。村では盆明けに急に秋らしくなり、朝晩の冷え込みが強まります。登山用の防寒着が活躍しそうです。
またしばらくご無沙汰しそうです。あしからず
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