笠ヶ岳――きつい登りの後に、抜群の展望
- GPS
- 56:00
- 距離
- 18.7km
- 登り
- 1,977m
- 下り
- 1,961m
コースタイム
東京西端の自宅(4時35分)車→八王子インター(4時45分)→松本 インター(6時55分)→新穂高温泉(8時18分着) 新穂高温泉(標高約1100メートル、9時03分発)→笠新道分岐点(標 高1350メートル、10時02分着、同15分発)→標高1905メートル の休み場(11時51分)→杓子平(2460メートル、14時36分着)→抜 戸岳山頂部・稜線(標高2800メートル、15時52分)→笠ヶ岳山頂 下の天場(17時40分着)幕営
8月8日
天場(5時58分発)→笠ヶ岳山頂(6時30分着、7時10分ごろ発)→天 場(7時40分ごろ着、8時31分発)→稜線途中から下降・ちょっと危険 →杓子平(10時26分着、同51分発)→笠新道登山口(13時20分着、 同35分発)→新穂高温泉(14時27分着) 新穂高・中尾温泉に泊る
天候 | 晴れ、霧。 |
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過去天気図(気象庁) | 2002年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
「おもしろい形の山だなあ」と、いつも他の山から眺めるばかりだった 北ア・笠ヶ岳へ、登ってきた。
主脈から外れた位置にあるだけに、独特の展望の山だった。裏側から見 る黒部五郎は単調・膨大な山体。峰々から抜け出て、すっきり高い黒岳(水晶岳)。 槍・穂高連峰は間近に大パノラマで展開する。雲上に朝陽を浴びて浮かぶ、乗鞍と御岳。
遠望では甲斐駒の左に富士山、北に妙高・火打・戸隠 の山々。天気予報がどんどんいい方に変わって、100キロぐらいの範囲では望めるほとんどの山が眺 望できた。
帰路は、残雪とたくさんの高山植物が咲くカール状の美しい地形の 場所をたどって下降した。
心構えはしていったつもりだったが、新穂高から標高差1700メート ル余りの笠新道の初日の登りに、トレーニング不足の体がへろへろになっ て、山頂下の天場まで9時間弱もかかってしまった。
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◇一度、家族山行で縦走を断念した山
暑い日差しのなか、蒲田川左俣川に沿った林道を登って、午前10時 すぎ、ワサビ平小屋の手前にある、笠新道の分岐点(登り口、標高1350メ ートル)に着く。
笠ヶ岳は、ここから標高差で1500メートル、コースタイム7時間30分 の道のり。1997年の新穂高←→水晶岳のピストンのとき、帰り道に双 六岳から縦走することを計画したことがあった。しかし、前夜に双六の天 場で風雨でテントが倒される難にあって、断念してしまった。
「ついでに登る」というには、なかなか手強い山が、笠ヶ岳。今回は、こ の山だけを目標に計画を組んだ。でも、予想した以上に登りで苦しめら れ、手強さをいっそう実感させられた。
午前10時15分、笠新道を登りだす。ブナ林のなかに電光形に開かれ た歩きやすい道だ。すぐに60代が中心の6人の男女のパーティーを抜 く。夏休みの時期だが、平日の、やや遅いこの時間帯に笠にとりついたのは、私た ち2人とこのパーティーだけだった。お盆前だからだろうか、下山してきた のも10パーティー余りと数えることができる程度の入山者しかいない。
登りだしたこのあたり、ブナの林床には、ウド、タラ、コシアブラなどの山 菜も見られた。1800メートルあたりでは咲き終わったばかりの「ヒメサユ リ」が1輪見つかり、北アでヒメサユリがあるのか? と思わずカメラを向け た。あとで図鑑で見たら、ヒメサユリに似た「ササユリ」という花があること を知った。どうも、それかもしれない。
◇悪条件の地形だが道はよく整備されている
笠新道は、効率よく高度をかせいで、よく整備された登山道が続く。
前の道が大規模な地滑りで崩落したのは、1996年ごろだったと思う。そうした悪条件の 地域に整備された道なのに、登山者の歩行を考えた道作りが行なわれている。段差は低く、登 る人の歩幅、足の上下幅を考えて設定され、スタンスとして、石の平らな面や切り出した丸 太、木の根などがうまく配置されている。それも、なるべく水平に足を置け るように気を配って、順に配置されているのには、驚いてしまった。 これは、とくに長い下降のときに、助けてもらえそうに感じた。
大雨が降れば登山道の土砂は押し流され、深い溝が掘られてしまうが、石組の足場は 崩壊・流出止めに有効だろう。道脇の土止めの木杭も、要所でしっかり打ちこまれている ところがめだった。
もちろん、場所によっては足場が崩れ落ちやすいところもある。だいたい、稜線 まで全体の6割くらいのところで、こういう配慮がされている。
100ないし200メートル高度を上げるごとに、標高を表示した道標が現 れる。100メートル上がるのに15分と、まずまずの調子で標高1900メー トルを超した木陰のベンチで一休み。今日は槍・穂高連峰は稜線にガスが かかっている。西穂から北穂、大キレットあたりまでつづく西面の荒々しい 岩と谷筋が目の前に広がっている。
◇久しぶりのフル装備にバテバテ
標高2200メートルあたりから、道は尾根筋を離れ、斜面をトラバースしな がら、電光形に登っていくようになる。森を抜けたので、ガスが切れ ると厳しい日差しにさらされる。
このあたりから、左太ももの筋肉がけいれんを起こした。なだめるようにゆっくり 歩くと、痛みはひいた。でも、またけいれんするのではと思うと歩幅も小さくなるし、 踏ん張りがきかなくなる。おまけに息も苦しくなり、体が重くなる。昨夜、3時間半 ほどしか寝なかったこともあるが、トレーニング不足が一気に 利いてきた。10分も登ると、もう休みたくなる。
「自分が誘った山なのに、先にばてるなんて何なのさ!」と妻から叱責が 上がる。彼女は「とにかく杓子平まで先に行く」と先行して登って行く。
◇バテバテになって、杓子平に着く
14時36分、支尾根を乗り越し、眼前がパーっと開けると、杓子平に出た。標 高2460メートル。ちょうどそこで、私の両足がけいれんを起こし、痛くて地面 に倒れこんでしまった。
やっと痛みがひいて、体を起こす。すごい眺めだ。
南から北へ、杓子平を包みこむよう に、笠ヶ岳から抜戸岳への稜線が目の前に展開している。その稜線はまだ ずっと高い。笠ヶ岳の左(南)、錫杖岳側の岩 場はぎざぎざに切り立っていて、スラブの岩壁と雪渓がまっすぐ谷へ落ち込んでいた。
屏風のように稜線で囲まれた杓子平は、なるほど「杓子」の丸底型に感じ取れる。 その広い空間には、のびやかな草原が広がっている。残雪が少ない今年、雪田は 抜戸岳の東面に小さく残っているだけだった。
今春、新調したデジカメを使っていると、妻がとっておきの梨を割って2切れ、差し 出してくれた。今回はプラムやみかんなど、果物を多く運んできた。気持ちを切り替 えるには、うれしい食べ物だ。
もうすぐ午後3時になる。これからどうするか。眺めは素晴らしいけれど、笠 ヶ岳へは抜戸岳を右からまくように登らねばならず、そのあとも1時間余りの 稜線歩きがある。夕方までに着けばいいなどと冗談をいって登ってきたが、こ のまま進んだらほんとうに夕暮れになりかねない。足はもつだろうか。
下の沢筋に下りれば水があるかもしれない。「テントを被ってビバークしちゃ おうか?」と誘い水を投げかけたら、「絶対、天場まで行く! 笠ヶ岳に登れな くなる」と一蹴された。
食糧箱を、私のザックから妻のザックに移してもらう。
◇花畑の中を抜戸岳へ黙々と登る
杓子平からは、以前は、抜戸岳の南にある最低鞍部に直接登る道が、 使われていた。しかし、稜線直下の傾斜がきつく、崩落と落石などで、現在は 通行できない。代わりに、新たに、抜戸岳の山頂部に右から迂回して登って行く ルートが開かれた。この道もよく整備されて、登りやすい。
登り出すと、体はかなりまいっている。杓子平までもつらかったけれど、ここから抜戸岳、そして 稜線を伝って天場までの道は、なおつらかった。高山病の症状が出やすい 私は、今回、頭痛はでなかったけれど、息苦しさと倦怠感が現れていよいよ へろへろになって体を持ち上げることになった。
花が多い斜面だが、とてもカメラを出す気になれない。
15時52分、抜戸岳山頂部・稜線(標高2800メートル)にやっと着く。
途中、杓子平を降り帰ると、先ほど追い抜いてきた6人パーティーは一列に並 んで杓子平に出、そのまま休まず抜戸岳へ登りかけていた。私たちより1 時間くらい後を追ってきているが、足並みがそろっており、いまの私の状態では追いつ かれそう。
今日は、水を2人で計3リットル分、持ち上げてきたが、残りは500ミリリットルほど しかない。真夏だと一人当り2リットルずつはほしい、長いコースだ。ばてた私が余計に飲ませて もらう。
◇山頂下、雪田わきのテント場は、水がおいしい
17時40分、ようやく天場に着く。大小15張りほどが先着していた。標高2 800メートル前後と相当な高さにある場所なのに、すぐわきになかなか割合に大きな 雪田があり、水は豊富。雪田の下部に大きなタンクが設置してあり、小 屋へはそこからポンプアップしている。
テントを張って、ほっとする。妻は、自宅にいる長男と携帯メールの往復で連絡を とっている。
「いま着いたよ。疲れた。お父さんはテントの中でいま、倒れています」
「天気は良かったの?」
「いいさーっ!」
「それは良かったね。テンバは混んでんの?」
「20張りくらい。みんな若いよ」
ここ何年か、夏休みは家族山行で、テントや食糧は息子たちがほとんど担いでくれた。今回は大学に行った長男はとりあえず自分の休みを自主 設計し、二男(高校2年)は今年も剣御前小舎で1ヶ月の山小屋アルバイト中。
夫婦2 人の山行になり、山の面でも「子離れ」に挑んだが、失ったボッカの戦力は 大きかったことを実感した。
「テント縦走だと、1日の行動時間を考えた山に しないと、だんだん無理になってくるね」と語り合う。
遅れて登っていた6人パーティーは、7時10分すぎにようやく天場を通り すぎて7時30分ごろ小屋へ入った。翌日山頂でリーダーの話を伺ったが、彼はクリヤ谷 の往年のルートを笠ヶ岳の山頂から下降した経験もある男性だった。ゆっ くりでもまとまって全員で行動していくパーティーで、団結力は素晴らしかっ た。
笠新道は、かなりのアルバイトであることをよくおさえて取り組まないと、な かなか厳しいことになりうることも、改めて感じさせられた。遅い出発と、重荷 は避けたいコースだ。
8月8日
5時20分すぎ、おそらく槍ヶ岳の背後あたりに出た朝陽が、テントのてっぺ んを明るく照らし出す。シュラフに入ったまま、急に明るくなったテントの天井を見て、 ようやく体を起こす。夕べは、星空を眺める余裕もなく、眠り続けてしまった。
快晴だ。天気予報はどんどんいい方に変わっている。周囲のテン トはもう3張りほどしか残っていない。
◇朝、大展望の山頂へ
5時58分、テントを出て、笠ヶ岳山頂の往復にかかる。
雪田の上の小屋で、妻が天場代金を支払う。2人で1000円。
「夕べは疲れて、手続きに登って来れなかったんです」
「ここから来ているのを、ちゃんと眺めていましたよ」
下ろしたての綿手袋はグレーの模様が入ったガーデニング用だったが、小 屋のこのおじさんが「いい手袋だから交換してくれ!」といってきて、薄青色 の使い込まれた綿手袋と交換することになってしまったそうな。
ガレ場を登って、笠ヶ岳山頂へ。6時30分ごろ着。
甲斐駒の左脇に富士山もくっきり見えている。透明感のある、申し分のな い展望。
西に白山が薄い雲海の上に姿を現している。北アは、北ノ俣岳、右に黒部 五郎岳が大きい。南(裏側)から望むのでカールは完全に隠れている。黒部 乗越の小屋も見える。
薬師岳、右に大日連峰、剣岳、立山。赤牛岳の右に真っ黒い、ひときわ高 い水晶岳。三俣蓮華岳を間に鷲羽岳、さらに右に野口五郎岳。
野口五郎岳と樅沢岳の間が遠望が利く「窓」になっていて、ちょうどその向 こうに火打山、妙高山、乙妻山、高妻山、戸隠山がシルエットになって姿を 見せていた。
槍・穂高連峰は、目の前に堂々と岩の頂を連ねている。笠ヶ岳から見る と、中腹の岩壁とガレがつまった深い谷筋が強調され、荒々しい印象が 強い。
南アルプスは、甲斐駒の右、仙丈ケ岳は北岳、間ノ岳の重なっている様 子。塩見岳、荒川・赤石・聖岳もシルエットでくっきり。
焼岳の右に、乗鞍岳、御岳も意外に近くに、大きな姿で浮かんでいた。
北アの主稜線から離れた、孤高の趣がある笠ヶ岳だけに、展望は独 特・抜群のものだった。
◇お花畑と残雪の一帯を下降
山頂からの下りのガレ場では、オコジョが姿を見せた。
最後のひと張りになったテントを撤収し、8時31分、下山開始。
うそのように体調はよく、アップダウンする稜線をカメラを手にのんびり進 む。途中の鞍部から残雪が残る一帯へ下降。満開のお花畑を区切る細い ガレ沢を注意深く下って、杓子平へ向かった。このルートは危険ですすめら れない。
杓子平を10時51分発。笠ヶ岳、杓子平のこの景観ともお別れとなる。ふ たたび1100メートルの急降下では、今度は妻の方が足をより酷使してダ メージを残してしまった。
新穂高温泉へ帰りつき、この日は蒲田川左岸の中尾温泉に泊る。露天風 呂からは、ずいぶん高い位置に、抜戸岳の姿が望めた。足がまいるのも、 当然だ。
「槍ヶ岳開山」(新田次郎)という単行本を高校時代(1972年)に読ん で、播隆上人が初めて登った笠ヶ岳に行きたいと思ってきた。その念願が やっとかなった。
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