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Yamareco

記録ID: 142938
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍

厳冬期乗鞍岳単独(悪夢の6日沈殿)

1999年02月07日(日) 〜 1999年02月16日(火)
 - 拍手
GPS
200:00
距離
9.5km
登り
1,031m
下り
1,031m

コースタイム

2/7 「ちくま」で車内泊
2/8 松本→新島々→乗鞍高原スキー場下→リフト乗り継ぎ→スキー場最上部TS1(雪上訓練)
2/9 TS1→位ヶ原山荘南(標高2430m付近)TS2
2/10 TS2⇔標高2600m付近までピストン(天候悪化のため引き返す。その後沈殿)
2/11〜2/14 暴風雪によりフル沈
2/15 視界不良のためフル沈
2/16 TS2→肩ノ小屋→剣ヶ峰→肩ノ小屋→(グリセード滑降)→TS2(ここまでピストン、テント撤収)→スキー場下
天候 2/7 晴
2/8 雪時々曇
2/9 晴
2/10 曇のち風雪のち晴
2/11 風雪
2/12 風雪
2/13 風雪
2/14 曇時々雪、夜風雪
2/15 曇後雪
2/16 曇後晴後雪
アクセス
利用交通機関:
電車 バス
自宅(大阪府吹田市)→大阪駅→急行ちくま→松本→松本電鉄→新島々→バス→乗鞍高原スキー場前

1.「急行ちくま」は現在は廃止
2.新島々から白骨温泉行きのバスに乗車、「スキー場前」で下車、そこからリフト乗り継ぎ
バス:http://www.alpico.co.jp/access/route_k/norikura/
3.乗鞍高原スキー場は現Mt.乗鞍スキー場
コース状況/
危険箇所等
全体的にコースそのものに難しいところはない。
とにかく位ヶ原付近で6日間足止めを食ったことがすべて。

スキーは使用せず、アイピンで上がった。

スキー場最上部から位ヶ原までは傾斜がほどほどで、雪も締まっていたので、
わかんなしでガンガン上がれた。
位ヶ原から先は雪がクラストし、ところどころバーンになって不安定だったので、
コース選びに神経を使ったが、傾斜はさほどでもなく、
よくアイゼンが効いてくれた。
肩ノ小屋の鞍部が近づくにつれて、バーンが増え、傾斜も急になるので、
トラバースを繰り返しながら肩ノ小屋まで上がりきった。
間違いなく、シール歩行のほうが速いと思う。
肩ノ小屋から剣ヶ峰までは稜線歩き。
ところどころ岩が露出していて、歩きにくい。
位ヶ原側(東)に雪庇が張り出しているので、稜線の西側を歩くこと。

グリセード(尻)滑降は銀マットを下に敷いた。
上部についてはアイスバーンが多く、硬くなさそうなところを選んで
ピッケルやザックを使って操作したが、シートはボロボロ、結局尻も痛かった。
どうしてアイピンでの登頂を選んだのか、今では記憶にないが、
スキーだったらかなり楽だったのにとだいぶ後悔したことは覚えている。
位ヶ原を過ぎると、雪も程ほどの硬さになり、尻セードでぶっ飛ばして下ることができた。

感想

初日、雪がちらつく中、乗鞍高原スキー場(岐阜県、現Mt.乗鞍スキー場)の
ゲレンデ最上部の少し上にテントを張ってそこで雪上訓練を積み、
翌日にアタックを開始した。天候は快晴。
何の問題もなく、昼過ぎには中腹の位ヶ原にてテント設営。
天気図によれば、あと1日半は晴れる計算だった。

さらに翌日。
このまま行けば、この日中に乗鞍登頂を果たし、
鈴蘭高原スキー場に下りてこられるはずだった。
しかし、出発から1時間半ほど経つと天気が急変。
これ以上の続行は無理と判断し、位ヶ原へ帰還。

そのまま風雪で沈殿。
風雪の中で一日中、テントの中で寝ていれば良いわけなどなかった。

以前、厳冬期の白馬にアタックしたことがあるが、
このときはパーティ行動だった。しかし今、ぼくのほかには誰もいない。
放っておけば、テントに雪が積もり、やがては潰れる。
そうして窒息死した登山者が実際にいた。
それを防ぐには、定期的に雪かきをするしかない。
ぼくは、1時間半おきに雪かきを続けることになった。昼夜問わず。

それから4日続けてブリザードが吹き荒れた。
食料や燃料は10日分持参してきていたので、多少節約をしても、空腹の心配はなかった。
防寒対策も滞りなかったので、凍傷などの問題も起きなかった。

しかしながら、1時間半おきにテントの外に出て、
雪かきを続けなければならなかったことが、
ぼくの精神と肉体を確実に消耗させていった。

ぼくは天気図を見ながら思った。油断した、と。
東シナ海南方にある低気圧が九州まで達していたことに気をとられ、
そのすぐ南に小さい低気圧が発生する兆候を見逃していたのだ。

冬、基本的にはオホーツク海にある強い低気圧と、
シベリア大陸からの強い高気圧が張り出す、「西高東低」の状態になる。
このとき、日本の尾根にぶつかる乾いたシベリア高気圧の気団が
下層から暖められ、上層に重い雲がかかって不安定な状態になり、
積乱雲を発生させやすい状況ができる。
そのため、日本海側は雪になり、雲が日本の尾根で遮断されるので、太平洋側は晴れる。
この気圧配置は、季節風によって押したり引いたりする。
シベリアに張り出した高気圧が弱まり、やがては季節風によって移動を始める。
それが日本海側を通過する時、ようやく天候が回復する。
これが通常は大体3日間続く。

この状態を「冬型の気圧配置が弱まる」と言う。
冬型の気圧配置が弱まると、東シナ海付近に低気圧が発生する。
それが太平洋側の遥か沖合いをオホーツク海に向けて進む。
このとき、シベリアからの移動性高気圧の勢力が強い場合、全国的に晴れる。
しかし、高気圧が弱いと低気圧が太平洋岸に近づく。
低気圧の勢力が非常に強い場合、
九州、四国付近で低気圧がもう1つ発生し(これを「二つ玉低気圧」と言う)、
日本列島を日本海側と太平洋側から挟み込むようにして、
それぞれオホーツク海に向けて進む。
このとき、全国的に荒れた天候になる。

北アルプスの場合、ときどき冬型の配置から続けて
「二つ玉低気圧」がやってくることがあって、
最悪の場合、1週間近くか、あるいはそれ以上荒れ続ける。
ぼくはこの「二つ玉低気圧」の発生の予測を見逃したため、
足掛け5日間にわたって、ブリザードに晒されることになった。

位ヶ原にやってきて6日目、前日、ようやく暴風雪から解放されたが、
気温がやや高く、雪崩のリスクが大きかった上、
視界が非常に悪く、30m先も見えなかったので、またしても沈殿。
最初のアタックから、天候が回復せず、
来る日も、来る日も、テントの周りの雪かきを続けていた。
10日分用意してきた食料や燃料もだいぶ減っており、
この日にアタックができなければ、引き返すことを考えなくてはならなかった。

前日の夕方、気力を振り絞ってNHKラジオで放送される
天気予報を聴いて天気図を書いた。
どんなに疲れていても、これだけはやめるわけにはいかなかった。
これをしなければ、翌日の行動計画ができないからだ。
そして、観天望気(天気図、雲の流れ、風向き、
雪の積もり方などから翌日の天候を予想する技術)をしたところ、
ともすれば天候が回復するかもしれない兆しを見つけた。

それは、気圧の尾根だった。
シベリアから張り出し始めた高気圧の一部が、
その日の朝に書いた天気図と比較すると、
北西からゆっくりと北アルプスに伸ばして近づいていたのだ。
尾根を過ぎれば、またすぐに悪天になることは分かっていた。
しかし、この機会を逃せば、確実に頂上にアタックすることができなくなる。

そして、外に出ると、前日までよりもだいぶ風が弱まっている。
気力、体力ともに限界が近づいていたぼくは、出発の決断をした。

進んだルートの目印とするためのペナント棒をありったけ、
食糧を2食分、非常食を2食分、熱い飲み物をなるべく多めに作って保温瓶に詰め、
万一のビバークに備えて、銀マット、サバイバルシートにツェルトを持つ。

気温は摂氏氷点下28度。
風は推定4mほど。さほどでもないが、体力も気力も低下していたので、
ちょっとの風でもずいぶん寒く感じられた。
食事はほとんど喉に通らなかったが、
食べなければ泣きを見るのは明らかだったので、無理やり詰め込み、
温かい飲み物を多めに摂取。

あれだけ降り続いていたというのに、雪の量は思ったより少なく、乾いている。
幕営地の位ヶ原は、南北に吹き抜けている広大な台地なので、
そこで降った雪は、あらかた風に吹き飛ばされていたのかもしれない。
視界はおよそ200m。前日の視界の悪さを考えれば、
ずっと好転している。読みは、当たりそうだ。

そして午前6時過ぎ、明けきらない空の下、出発。
乗鞍登頂予定は午前11時と設定。

いくら雪面が乾いているとは言っても、気温が上がる前に標高を上げないと、
表層雪崩に巻き込まれる恐れが高まるし、雪が重くなって歩きづらくなるので、
どうにかペースを上げる。
途中、小さいデブリはいくつかあったが、巨大デブリは見当たらなかったし、
広い斜面なので、雪庇もなかったが、雪崩の恐怖と背中合わせの状態が続く。

ただ、気温が極めて低いので、雪面は完全に凍り付いていて、
ラッセルはほとんどなく、アイゼンの歯をぐいぐいと雪面に突き刺しながら進めたのは、
幸運としか言いようがなかった。

出発して3時間半ほど。ペナント棒を約50mおきに刺してきたが、
雪煙が上がったと思うや否や、すぐ後ろのペナント棒が見えなくなり、猛烈な突風。
視界は真っ白。突如として、山の神はぼくに牙を剥いたようだった。

このとき、「山で自分が死ぬかもしれない」と覚悟した。
食料は残り僅か。しかもルートを失いかけ、
1週間近くの沈殿で、ほとんど不休で雪かきを続けたので、気力も体力も限界点。

ぼくは山で死ぬことについて考えてみたくなったので、
突風の中で雪面に座り込み、頭を伏せた。

-----

どのくらいの時間が経ったのだろう。
気がつくと、いやに眩しい。
身体中雪まみれになり、ゴーグルも真っ白。その雪を払う。

風は止んでいた。
そろそろと立ち上がる。斜面の下を見る。
ぼくが進んできたルートを示すペナント棒が点々と見えた。

まさか。
背中がぶるんとひとつ、震えた。
ぼくは斜面の上を振り返る。
その眼前には乗鞍岳の山頂がすぐそこに。
ぼくは乗鞍岳の肩のすぐ真下まできていたのだ。
乗鞍岳の後ろに広がるのは、紺碧の大空。

周りを見回せば、360度の大パノラマ。
この年の夏に登ることになる奥穂高岳やかつて登頂した槍ヶ岳、
常念岳がその姿をはっきりと見せていた。
感極まって、声にならない声で叫ぶ。

それから1時間と少し。
ぼくの大苦闘は終わる。
乗鞍岳の山頂に立った。

その余韻に浸ることに満足したあと、肩まで降り、
そこからはアイゼンを外して、尻グリセードで登ってきた斜面を一気に下った。
空は再び雲が覆い始めていた。

位ヶ原のテントサイトに戻ってきたのは午後2時。
すでに風雪が強くなり始めていた。

大急ぎで凍りついたテントを撤収し、ペナント棒を回収しながら急いで下山。
約1時間後、乗鞍高原スキー場の最上部に帰ってきたとき、
後ろの視界はなかった。


乗鞍高原スキー場も風雪が激しくなり始め、
スキー客が各々、引き上げていた。
ぼくも彼らと共に斜面を尻セードで滑り降り、ゲレンデ最下部へ。

こうして、2泊3日の予定だった乗鞍アタックは、結局8泊9日になってしまった。

予定がここまで伸びた原因は、
観天望気のミス。この1点に尽きる。
2日目の時点で下まで引き返す勇気が必要だったのだ。
判断ミスは、死と隣り合わせになる。
この山行で身をもってそれを思い知ることになった。

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コメント

はじめまして
最近、ヤマレコに登録したばかりのものです。

昨年3月に乗鞍岳に行き(強風のため敗退)、その
2週間後に天候に恵まれたおかげでなんとか登頂
できました。
(これからぼちぼちアップする予定です)

motchさんの記録は、手に汗握りながら拝読しました。
ともかく、無事の下山、なによりでしたね。
本当にお疲れさまでした。

私たちはmotchさんような「岳人」ではないので、
雪山といっても行ける範囲や時期は限られますが、
自分たちの技量の範囲で、積雪期の山にもチャレンジ
しています。

motchさんの日記も拝見しました。
リハビリ、頑張ってくださいね。
そして、いつの日か、ご子息との楽しい山行を!
楽しい思い出をいっぱい作ってくださいね。
2011/10/19 22:01
こちらこそ、はじめまして。
>ricalonさん
こんばんは。拙記録にコメントいただき、ありがとうございます。

岳人だなんて僭越です
あのころはハタチを過ぎたばかりで、血の気も濃くて、勢いだけで登っていたように思います。
今なら、間違いなく計画延期ですし、アイピンで登るなどということはまずしないでしょうね

そのあと、積雪期はしばらくの間ブランクがありましたが、
一昨年あたりからぼちぼち復帰し、現在に至っています。

当時の体力には及ぶべくもありませんが、今のほうが山に対して
楽しく、謙虚に接することができるようになったように思います。

日記のほうまでご覧いただき、ありがとうございます!
リハビリは年末くらいまで続く見込みですが、
時間ばかりはたくさんあるので、山への妄想が膨らむばかりです(笑)。

わたしが父にそうしてもらったように、
息子にも山の素晴らしさを教えられるような人間でありたいですね。
2011/10/19 23:34
正の連鎖
>わたしが父にそうしてもらったように、
>息子にも山の素晴らしさを教えられるような人間でありたいですね。

motchさんの「ブームとルールとマナー」にも、素敵な
一文がありましたよね。
(夫がコメントを記載しています)
やはり、山での厳しい状況をご経験されているからこそ、(そして無事に下山できたからこそ)
山に対する愛や畏敬の念が深いのでは、と感じました。

motchさんがご子息とつくる山の思い出は、お父上に
とって、何よりの親孝行だと思います。
2011/10/20 17:51
Re: 正の連鎖
>ricalonさん
こんばんは。
再度のコメント、ありがとうございます。

少年時代のわたしにとって、
山とは学校の授業では決して学べないことを教えてくれる、
最高の勉強の場でした。

世の中、文明も世相も随分と変化してしまいましたが、
山が、日常圏からかけ離れた場所であること自体は、
そう大きく変わりはありませんし、
自然の厳しさや優しさも、大して変わってはいません。
(冬期の積雪量は減りましたが・・・)

山ブームの昨今、新しく取り入れるべきところは取り入れつつ、
旧来から伝えられ続けていることについては、
次の世代に連綿と伝えていくこと。
それはとても大事なことであると思っております。
2011/10/21 21:39
プロフィール画像
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