遅めのGW、ド快晴の北ア・薬師岳〜黒五スキー
- GPS
- 80:00
- 距離
- 58.7km
- 登り
- 5,168m
- 下り
- 5,166m
コースタイム
- 山行
- 7:58
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 9:33
- 山行
- 8:45
- 休憩
- 2:41
- 合計
- 11:26
- 山行
- 9:48
- 休憩
- 2:01
- 合計
- 11:49
天候 | 4日間 全て晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
・最終日、送電線手前で雪切れ。それより上部の切り開かれた平坦地もでかいクレーター状でとても滑りにくかった。GW前半までが適期なのか? ・寺地山のショートカットも笹の海と化していました。 ・薬師岳西面は避難小屋からしか雪がつながってませんでした。 ・五郎沢出合の本流は祖父沢出合付近でブリッジつながってました。 |
その他周辺情報 | 山椒屋寄ってひらゆの森と定番コースで帰宅 |
写真
感想
今年は超大型連休、山も間違いなく混むんだろうなぁなんて思うと、通常平日の休みが多い自分としては今更混んでいる山になど出かけられない。天気を先読みし連休前に6日間の休みを取っていたが、その期間はとんでもない悪天。何年かに1回はこんなハズレ休みもあるけれど、ここまでひどいのは今までなかったか?今シーズンの雪山は大して成果も出せていなかったので、このまま収束してしまうのはあまりに悔しい。『今までしこりとして残っていた薬師岳西面をどうしてもすべりたい!』仕事場に無理を言って巷の連休後に再度連休を取得、奇跡的に4日間全てが晴れという山行を敢行してきた。
10日 この休みの天気予報は全て晴れ、でも後半はわからない。前半に間違いなくしこりを取り除かなくてはと、眠いながらも深夜のうちに道の駅上宝に入る。いつも通り寝坊。事前情報で佐和府から先のどこかで土砂崩れにより通行止めとのこと。雪はまるでなさそう。今年は飛越TNまで行けると思っていたのに残念だ。9時前に土砂の撤去作業地点に到着。工事関係者に聞けば、下の橋のところでカギをかけるとのこと。土日は作業なし、工事時間は16時30分まで。月曜に下山することと作業の邪魔にならない場所に車を停めることを条件に、現場の少し下に車を停めさせてもらう。
初日のシートラはいつもうんざりする。1時間ほどで全く雪のないTN前の駐車場に着く。登山道で送電線のところまで進み、ここからスキーで登れそうな程度に雪が出てくるのでスキー着装する。3日後はここまで滑ってくることはできないだろう。雪はシールの食いが悪く、脱着も多い。どう雪を繋げて歩くか考えながら進むので、なかなか進まない。登山道が北東にV字で折れるところからシラビソ林となり、残雪も多くなってくる。GWあたりのトレースも残っているが、帰りの保険と思いミッチェルをつけながら進む。いつもながら平坦な切り開き部分はとっつきがわからなくなりそうだ。しかも今日は時計と高度計を忘れたのでガス時は不安が残る。いまだなかなかピッチ上がらず。
寺地山が近くなると驚いたことに南東斜面の雪割れがかなり進み、笹の海となっていた。これは何度か来ている中で初めてのことだ。結果、ほぼ頂上まで登ることに…下り稜線は北側をトラバース的に滑ってゆき、寺地・北ノ俣コルに着く。
明日の行動を考えれば避難小屋付近で終わるのは良くない。以前小屋で水を取ったことがあるのを忘れ、水をセーブしながらの登りとなる。今日の予定は赤木平、夕日を背にひたすらに北ノ俣を登る。さすがに頂上までスキーのままは登れず、夏道シートラに切り替える。下からは確認できなかったものの夏道には所々残雪があり、膝まで潜ってさらに消耗する。やっとのことで神岡新道分岐のピークに到着、なんとそこには複数の天場整地跡が!もう先に進むことは考えられず、そのうちの一つに幕営していた。すでに19時30分、富山の夜景が輝いていた。そして明日の山行にもつながる1日となった。あー風もなくてよかった。
11日 昨夜のラジオでは今日一日晴れとのことだった。なんとなく水蒸気の多い感じではあるが、いたって晴れ。念願の薬師岳西面に出かけることにする。そしてもう一つ気になっていた斜面が…太郎平から北ノ俣を見て頂上付近の左側に鎮座している大きな岩が見えるのだが、下から見てその岩を左から巻くようにして出てきた斜面が無立木大で、ほとんどだれも滑っていないようであった。北ノ俣Pに泊まっているメリットを発揮しその岩を目指した。この斜面は大当たり!薬師沢左俣の一本上流の支沢左岸斜面をかっとんで薬師沢源頭に滑り込んだ。流れは所々顔を出していた。
P2448に直接上がれる斜面を登って薬師平着。時期も遅め、頂上までは雪がつながっているかはわからない感じ。それより右俣の斜面が気になって仕方ない。ただ、これを滑ったらどのくらいの時間になるかわからないので、とりあえず頂上を目指す。小屋から先は稜線東側を進むとシートラせずに頂上に立つことができた。これも時間があったらではあるが、金作谷カールをやっつけようと思っていたのだけれども、滑ったらどうやって稜線復帰するのかわからないくらいの斜度だった。でもシュプールは付いていた。本流まで滑ったのか?
自分はP南東カールに滑り込んだ。鷲羽池に降りるのと同じくらいの感じだ。短い斜面でもこの貸切り感が何とも言えない。斜度的には本流まで行っても良さそうな感じ。いつか来るのか?避難小屋から派生する尾根に登り返そうと思っていたけれど、Pに戻る方が楽勝斜度だったのでPを経由することに。本日二度目のPを長めの休憩で堪能する。日本海っていいなぁ…雲が多くなってはきたが立ち去るのに忍びない。結構日帰りでやっつける人がいるようだが、自分はやっぱり泊まって山を楽しみたい。
避難小屋までの間からカールに滑り込むと、もっと斜度があって面白いかもしれない。西面へは避難小屋直下からすんなり入り込めた。
今までやり残していたこの西面はとても素晴らしい斜面。避難小屋から西に派生する尾根の南の沢状を滑った。北側の沢状も良さそう。太郎平にベースがあれば薬師のみ隅から隅まで滑るのも楽しそうだ。シュプールがたくさん残る斜面を2450mまで滑り、P2530に登り返す。そこから緩い斜度で西に延びる尾根を整理運動のような気分で滑って行ったのだが、この気のゆるみが苦行を招く結果となった。
岩井谷の各支流も埋まってはいるが稜線上の方が気分よさそうだ。五光岩の南側を滑ろうと思っていたが、向かいに見えるいわゆる夏道への登り返しが、まるでそんなイメージはなかったのだけれど結構大変そう。テント場からの沢の一本北側の沢に滑り下りて、沢から太郎平に登ろうと考えた。ザラメが重くやや板に引っかかる感じではあったが気分良く滑ることができた。水もなくなってしまうところだったので流れがのぞいていたらいいなぁなんて思っていたら、沢ものぞいていたのだけれどテント場の沢に出る手前に滝が出てしまった。とりあえずカニで小尾根を越える。
思いは通じて登る側の沢は完全に埋まっていた。適度な斜度で高度を上げてゆき適当なところで夏道の尾根へ。余裕で小屋に着くかと思っていたら大間違い。一度気持ちが切れかけたような感じだったのでまぁ長いこと長いこと。登れども登れども太郎平小屋が見えない。夕日も程よく傾き日本海に沈みかけている。ようやく見えても夏に来たときよりもはるかに遠く感じた。太郎山から北ノ俣も長いのは知っている。太郎山でシールを外し少しでもと思い距離を稼ぐ。牛歩戦術を駆使してようやっとベースに到着。するとまさかのまさかもう一張りテントがあるではありませんか。ちょうど出てこられたのでしばらく話し込む。なんとあの赤い橋から歩いてきて明日五郎か薬師を登って帰るとのこと。自分も下之本バス停から歩いたことがあり、ここは車がないと厳しい山だ。結果、テントに入ったのは19時過ぎ、昨日となんら変わらない行動だった。
明日もこのモチベーションを保っていけるだろうか??
12日 今日は昨日よりもいい天気、お隣さんはもう出かけたのか?とりあえず手持ちスキーで北ノ俣Pへ。雷鳥くんの出迎えを受ける。滑り始めるとすぐにお隣さんが五郎から帰ってきた。4時過ぎに出かけたそうで…大したものです。やや硬めの斜面をトラバース滑降であっという間に中俣乗越へ。下部の夏道は露出していたが雪上をジグ切って登り、上部は少し硬かったのでシートラし、往路での五郎Pは割愛してカール滑降に向かう。肩から滑り込むとブロックが怖かったので、前回のごとく夏道の下降点位のところまで進みドロップイン。この時間でカール内の雪は結構緩みを見せていたが、気持ち先行でこけた前回を反省し、板にしっかり乗っていくイメージでカール中心よりも左寄り(これってスキーヤーズレフトっていうの?)に滑ってゆく。
天気も斜面も最高、予定通り五郎沢右俣左岸斜面をどんどん滑ってゆく。久々に黒部本流の五郎沢出合に行ってみたかったのだ。あわよくば祖父沢を登って雲の平まで…と思っていたが急にその欲が消えた。かなり以前は沢登りの幕営に対して割と寛容だったこの地も幕営禁止。ここでタープで明かした夜を思い出しつつ、ここで大休止することにした。当然大雪原である。本流も一部埋まっていたので雲の平に行くことは可能だったけれど、また来よう。小屋経由で帰ろうと思っていたが、やっぱりショートカットすべく往路を戻った。この時、急に動悸(はじめてのことでこれを動悸というのかもわからなかったけれど)がして急激にペースダウン。二俣で右俣側から給水し、ひたすらに登る。右俣を登りながら眺める五郎Pはとてもかっこよかった。息子が昼寝した大岩で休んでいきたい衝動にかられたが先を急ぐ。
カールの登りは雪が緩すぎ、スキーが後進してしまうためシートラで登る。これが失敗したのだろうか、この日はそんなことをしていたらまた夜になってしまうくらい疲れはてた。夏道側ではない尾根に乗ってから1時間もかかって黒部五郎Pに到着。
雪が少ないと言われていた割には肩からPまでは雪がつながっていた。一部雪庇上でお尻の穴がムズムズしたけれど…五郎で午後遅くまで晴れたのは自分の中では珍しかった。本当にいい眺めだったが、穂高方面は何だか大きな雲が湧いていた。
もうおおよそ15:30、滑り始めて気付いたけれど、赤木沢を下ると登り返しが大変なことになりそうな雰囲気…とりあえずウマ沢をどこまで滑ろうか?弱気な自分が重雪蹴って2200m位まで行け!とは言わず、登り返しに差し支えない2350くらいでヤメ。帰りは滑って登り返せばなんて軽く思っていたけれど、全くそんなことはない。2578Pまで超牛歩で到着、もうスキーの楽しさとか言ってる場合ではない。どうすれば楽に帰ることができるのか?結構斜面を眺めていた気がする。赤木岳の登り返しは論外な感じ。行きのトラバースラインより下を狙ってトラバース滑降を開始する。滑り始めてみれば日陰で雪も締まり加減でうまく滑ることができ、赤木岳直下まで滑ることができた。ここからはそんなに時間がかかるとは思っていなかったのに、結果1時間もかかって昨日と同じ時間にBC着。街の光もきらめき始めていた。可能であれば避難小屋まで行って水をふんだんに使いたかった。よく考えればこの3日間、大した風も吹かなかった。天気の神様に感謝。
13日 とうとう最終日、昨日のツボ足行程の時にブーツに大量の雪が入り、インナーブーツがびしょびしょになったことで最高の悪臭を放っている足の状態にさよならを告げるため、最終日にしては割と早めに出発。今山行最後の大斜面はガリガリで、前日までの天候で表面の凸凹がひどくなっていたので、まるで楽しむことができないまま避難小屋まで到着。給水後、寺地山を目指したが、かなり雪が解けており南側はもうどうにもならないくらい笹が出ている。北側をうまくたどって寺地Pに到着。ここから先が結構大変、平坦地の日向は直径30センチくらいの穴だらけでまるでスキーが滑らず、腕力スキーとなる。まさに修行系とはこのことだ。そのためトレースがはっきりせず、行きにミッチェルを付けてきて大正解だった。
打保集落の分岐Pからは大木周りの穴も大きく、アップダウンが多く視界が良かったことで歩く尾根がわかりやすかったものの、ガスだったらかなり苦労したと思う。シートラしたくないという思いが往生際悪く雪を繋げさせたものの、送電線に着く手前でとうとう雪切れ。アプローチシューズに臭いを移したくなかったがもはやここまで…登山道を1時間で飛越TN。いやはや疲れた。惰性で新緑に満ちた林道を下り、土砂崩れ現場であいさつし車へ向かった。飛騨山椒に寄り、急いでひらゆの森に転戦、4日間で蓄積された異臭を洗い流し、奇跡的な晴れ4日間のラッキー山行は終了した。
次に来るならGW前もしくは、この時期になるなら雪が多い時かなぁ。
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