男体山 女峰山
- GPS
- 32:00
- 距離
- 19.3km
- 登り
- 2,055m
- 下り
- 2,062m
コースタイム
5:00 男体山入山
5:13 1合目通過
5:21 2合目通過
5:31 3合目通過
5:40 4合目通過
5:58 5合目通過
6:07 6合目通過
6:25 7合目通過
6:42 8合目通過
7:06 9合目通過
7:18 山頂到着
8:20 下山開始
9:40 車に到着。
10:00 大真名子山入山開始
10:45 断念
11:45 三度目の駐車場へ。
11:50 唐沢小屋へと歩行開始。
13:00 馬立分岐を唐沢方面へ。
14:55 唐沢避難小屋到着
19:00頃 就寝
8月26日(日)
3:40 地震で目が覚める。ほぼそのまま起床
4:20 女峰山に向け登山開始。
5:00 女峰山登頂
5:25 避難小屋帰着
6:00 避難小屋撤収
7:55 駐車場着
天候 | 25日晴れ 昼過ぎ豪雨 26日晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
丸空きの土日を使ってどこかへ行こうと散々考えた。一切経山、八ヶ岳、越後三山等がノミネートされたが、交通、山中1泊で楽しめる事等、このヤマレコの先輩方のレポートも参考に、日光の女峰山へ行くことに決めた。
計画では、先ず早朝に志津駐車場に車を止め、男体山のピストン。その後、唐沢避難小屋まで歩き、そこで一泊。2日目は避難小屋から女峰山−帝釈山−小真名子山−大真名子山−駐車場と反時計回りに縦走する。時間的に過不足無い。2日間の内に、更に太郎山まで足を伸ばす人もいるとの事だが、今回は計画から外した。
だがこの計画自体が、後に自分の能力不足と意識の軟化、そして天候によって大きく変更される事になるとは、出発前には予想もしていなかった。
1日目:8月25日(土)
深夜2:00前出発目標の1:00起床予定でいたが、ふと目が覚めて時計を見ると05:00だった。・・・寝坊をしたか。情けない。初っ端から自分への呆れと同時に山行自体を諦めるか迷ったが、5時起床にしろ何かしら出来る。一応出発に向けて食事など準備をしていると、おもむろにアラームが鳴った。デジタル時計を読むと、01:00となっている。アラームセットした時間だ。ん??寝起きで訳が分からなかった。
どうやら、目覚めた時に携帯電話のデジタル時計表示00:50を逆さに読み、05:00だと勘違いしていたようだ。逆の誤算で助かった。気分は良い方向に振れた。
夜中の割には車の多い外環道−東北道。宇都宮から、閑散とした日光宇都宮道路を飛ばした。ごくたまに対向車が現れるが、私と同じ日光方面の車は皆無だった。私は試しに走行中にランプを切ってみた。するとダイアログ・イン・ザ・ダーク顔負け、予想以上の真っ暗闇。危険なのですぐに点けた。そんな遊びも程々に終点清滝ICを降り、そこからさらに4〜50分、闇夜のいろは坂を上り、男体山の南側の国道を突っ走り、志津に続く林道に入る。この林道は、2010年1月に冬の男体山の帰りにひたすら歩いた道。
4:00志津駐車場着。
誰もいない。星空がきれいだが周囲の暗闇の不気味さの方が勝っていた。車内で仮眠もどきを30分程度とり、目が覚めると幾分明るくなっていた。
5:00男体山入山
以前中を覗いた事があるが、志津小屋は素晴らしい小屋。中のつくりをもう一度確認しようと戸を開けると、誰かの荷物があった。どうやら誰か泊まっていたらしい。すぐに出た。すると寝起きらしき人と外ですれ違った。これからどの山を目指すのだろう?この志津という地点は、駐車スペースにも恵まれ、小屋もあり、ここを囲むどの山にも容易にアクセスが出来る素晴らしい場所だ。
更に進むと、迫力のある形相の石像群が、入山する登山者を迎える。
5:13 1合目通過
5:21 2合目通過
5:31 3合目通過
5:40 4合目通過
この辺りで朝日がだいぶ昇り、杉の木の隙間から鋭くこちらを照らした。虫の羽音と鳥の声の他は何も聞こえない。程良い涼しさに木の香り。いっそここで一寝入りしたいくらいの環境だった。この時点で既に、この山行を計画実施して良かったと確信した。
5:58 5合目通過
6:07 6合目通過
6:25 7合目通過
6:42 8合目通過
前回冬(2010年1月)に来た時はこの辺りで西にそびえる真っ白な日光白根の写真を撮りまくっていた。そのおかげで時間を浪費し、最後のバスを危うく逃がすところだった。そして、人生初のブロッケン現象(自分の影を虹が小さく囲う現象)を見たのもこの周辺だった。
7:06 9合目通過
7:18 山頂到着
おれが一番乗り、のつもりだったが、小柄だがたくましい中年の男性が先に祠で礼をしてから、こちらの方向へ歩いてきた。
「おはようございます。最高の天気ですね。」と自然に言葉を交わす。実際、誰だってゴキゲンになれるような最高の天気だった。その男性と会話しているうちに、何と彼が、私が群馬で勤めていた会社のOBだという事が分かった!これにはお互いびっくりした。
彼は8年も前に定年退職しているので、私と在職期間が重なる事は無かったが、社内共通の話題でしばらく盛り上がった。そんな年齢には見えないくらい、若々しい人だった。驚くべき事に、男体山に来たのはこれで122回目!競技スキーを今もやっており、そのトレーニングだと言う。
偶然にも変わった縁のある人、しかも覇気溢れる人物に会えた事に、更にこの山行の成功を確信した。
彼と話しているうちに3人、4人と続々登頂者が来た。その内の若者と話し、お互い単独行だったので、お互いのカメラで二荒山大神の前で写真を撮った。
8:20 下山開始
多くの登山者が登頂を目指して登って来るのとすれ違った。この北面コースがこんなにも人気があったとは知らなかった。
爽快に下りきった私には仏心がつき、志津小屋付近に設けられた賽銭箱に100円を投じてこの素晴らしい日に感謝した。二荒山神社から登る人達がもっと高額な入山料を支払っているのも忘れて。
9:40 車に到着。
ここから計画通り本日の宿泊場所、唐沢避難小屋まで行くと、昼には到着する。余りに早い。私は地図を取り出し、どんな風にしたら、有意義に時間を潰せるかと考えた。すると、当初の2日目計画 唐沢小屋−女峰山−帝釈山−小真名子山−大真名子山−駐車場 を、この日の内に、逆周りで小屋を目指してしまおうという野望が沸いてきた。即ち大真名子山から上り始めて縦走して小屋にたどり着くのだ。
それだけ時間にも気力、体力にも余裕があった。そうと決めたら、急がないと夕暮れに小屋に着く事になる。黒糖をかじって大真名子に向かった。
10:00 大真名子山入山開始
入山するとすぐに八海山神像が高い位置に構えている。迫力のある表情だ。一礼して樹林帯を進むと、ほんの5分くらいで道が不明瞭になってしまった。おまけに、殆どの木の間には蜘蛛の巣が掛かっている。多少なら気にならないが、道を求めて右往左往する度に顔に蜘蛛の巣が引っつくのは不快そのものだった。周辺の荒れ具合を見ても、この道は男体山に比べて相当人気が無く、手入れもされていないのだろうか?と邪推してしまう。そしてそんな疑いを持ったまま、私は西側に追いやられるように歩き、ガレ場に出た。火山岩のゴツい岩と崩れやすい砂で構成される急勾配。歩き辛い事殊更だったが、うっすらトレースの様なものも見られたために、そのまま3〜40分上り続けた。
本当にこれでいいのか?と思いつつも、いざとなったら右手方向に突き進めば登山道へ出るだろうという浅はかさで登り続けると、数箇所に、赤テープならぬ朽ちた白いスズランテープが巻きつけられていた。やはりこれで間違いなかったか・・・とすがる思いで進むが、一向に登山道らしくならず、道は狭まるばかり。遂に、行くには藪漕ぎ、あるいは大岩をよじ登らねばならない局面になった。藪漕ぎは、その先更に迷う事だろう。右手方向の大岩の上に出れば、何かしらの見通しがあるだろうか?と、試みたが、取り付くための凹凸も少なく、コケだらけ。危険を伴うので、少し下ってから樹林帯に入ってみた。しかしそこも道は無く、何かにつけてクモの巣の洗礼を受けた。ここから藪を漕いで登山道を探すのは論外だった。
11:00 断念
無益な往生はやめた。迷っている時間は無く、空もだんだん雲が占めてきていた。苦労して上ったガレ場を一本東側に入り、ひたすら下った。道すがら、荒れた道、紛らわしいすずらんテープ等、色々とその場の環境に対してイラ立ちを感じたものの、結局は自分に能力が無かった訳だ。何しろこの登山道は難所でも何でもなく、きちんとガイドブックにも載っているくらいなのだから。そう思うと、先程の意気揚々と一転、むしろ恥ずかしく惨めな気持ちで山を降りた。
11:45 三度目の駐車場へ。
敗残して戻ったという負い目もあってか、この時点でややくたびれていた。しかし、空はいよいよ灰色を帯び始めていた。余裕はなくなって来ていた。
11:50 唐沢小屋へと歩行開始。
車から馬立分岐まで、林道をひたすら歩く。この行程は“移動”に他ならなかった。そこで、ラジオを取り出してつけると、TBSラジオが入った。私はラジオをザックのバンドと胸の間に挟んだまま歩いた。永六輔はまだ病院か、などと思いながら。
13:00 馬立分岐を唐沢方面へ。
馬立分岐までに数人の登山者とすれ違い、彼らは女峰山から降りてきた人達。結構有益な情報ももらった。水場の状況、小屋の状況等。馬立分岐においてある切り株に腰掛けて、握り飯を一つほお張っていると、いわゆる山ガール2人組が通り過ぎていき、その後から来た単独行の中年男性としばらく話した。話しているうちにも、雨が降りそうだった。
馬立からは先ず、一気に沢まで下る。そこから小屋までひたすら登る。すると遂に、ポツリポツリと来た。私は急いで雨具を身につけて、ザックにもカバーを掛けた。雨具の下を、登山靴を脱がずに身につけるのに成功したのはこの日が初めてだった。雨具装着から15分程度の間はポツリポツリのペースだったが、やっと夕立がお出ましになった。
私の住む千葉県市川市は、今年ろくに雨が降らない。夕立すら殆ど無い。暑さを軽減するためにも一雨欲しいな、と日頃考えていた。そんな希望の雨が何日分もまとめて、この日光山塊で私に降り注いだ。車軸を流す様な雨とはこの事だ。瞬く間に登山道は川と化した。ラジオ等は、もう雨つぶての音で全く聞えなかった。
それでも、もう少しかもう少しかと歩を進めたが、これが長かった。
やっと水場に到着し、ほんの少し弱降りになった隙に、ペットボトルに水をつめてまずガブリと飲み、もう一度つめた。ここからあと一歩で避難小屋に着くはず。時々足が止まるくらいくたびれ始めていた。
14:55 唐沢避難小屋到着
文字通りの「避難小屋」に着いた。深いため息が自然と出た。入り口では若い男性が装備を整えていた。下り途中らしい。ここでビバークするのだろうと思ったら、何とこの雨の中下っていった。
小屋の中には、違う青年が既に腰を掛けて休んでいた。彼は東照宮の方からはるばる登って来て、今日中に女峰山を登頂して帰るつもりだった所、夕立にあったらしい。話をしていると、結構単独で危険な橋を渡っている。過去には向こう見ずなやり口もあったと見え、登山者カテゴリとしては、自分と同類の臭いがした。
話をしながら、私はずぶ濡れの雨具、靴、衣類、ザック等を整理した。私は主に大真名子で迷った事と夕立のせいで、少し軟弱になっていた。だから明日は女峰山を早朝にピストンしたら、まっすぐ下って古巣、群馬県伊勢崎市街で知人とゆっくり健康ランドで風呂でも浸かる気になっていた。その為には、9〜10時には伊勢崎に着く必要があった。その旨、この小屋からメールで話を進めていた。
ここは快適な小屋で、6人は余裕で寝られる広い板間が下に2間、上にも2間。一階の中央にはテーブルがある。私はさっさとシュラフを出して入った。今回は少しナメており、フリース等の防寒着が無かった。仕方なく、下はハーフパンツ、上はロングシャツにヤッケを着て、後はシュラフ頼みだった。実際寒くてシュラフから出て食事をする気にならなかった。熱燗をつくりながら青年と話をしていると、年配の男性1人、女性2人のパーティが来た。男性をリーダーとした山岳愛好会のようだった。
青年は彼らに気を遣い、私と反対側の板間からこちらに引っ越してきた。その際、あちらに掛かっていた備品の毛布を私の為に持って来てくれた。愛好会パーティはしばらく外と行ったり来たりして身支度をしていたが、やがて反対側の板間に落ち着いた。夕飯が始まると、男性がこちらにわざわざやってきて、きゅうりの浅漬け、チーズやハムをくれた。「袖触れ合うのも何とかで・・・」と言いながら。こういう時に限って、私はろくなものを持ち合わせていない。ただ礼を言う事しか出来なかった。
食事が終わってからだと思うが、彼らのうちの女性一人が随分寒がっているようだった。すると青年がおもむろにあちらの板間まで自分の作っていたスープを持っていき、「暖かいのでどうぞ」と渡してきた。
「見ていられないから。」
素晴らしい思いやりだと思った。私はただ、少しの頭痛と寒さに耐えながら、熱燗をすするだけの蓑虫だった。
19:00頃 就寝
青年や、反対側にいる男性と色々話しているうちに、自然と皆就寝した。寒さは、寝るとすぐに解消した。山での睡眠にしてはかなり良く眠れた方だと思う。しかし、夜中に幾度か土砂降りの雨音が気になった。
2日目:8月26日(日)
3:40
地震で目が覚める。ほぼそのまま起床。外は晴れていた。周りの人は寝ていたが、そそくさと出発準備を進める。重たいものは詰めないで、軽いザックで臨めば良い。
4:20 女峰山に向け登山開始。
朝方はヘッドライトを点けても暗くてよく分からなかったが、一度登山道に入れば、迷う事は無かった。後はひたすら登るのみ。
東の彼方の空はオレンジ色に光り始めていた。私にとっては、静まった早朝の急登、自分の息が荒くなっていくのが分かる、この感覚が登山の醍醐味の一つだ。
5:00 女峰山登頂
女峰山は正に360度の雄大な眺望を持っていた。西を見渡せば、帝釈山、小真名子、大真名子が連なる。本来はそちらに進む計画だったのだが・・・ここに来られただけでも大満足だ。証拠写真をとってすぐに帰ろうとした折、まさに朝日が雲から飛び出ようとしていた。これは勿体無い。更に5分程そこで日の出をしっかり見届け、独り山頂での御来光に酔いしれた。
5:25 避難小屋帰着
脱兎の如く駆け下ったつもりだったが、コースタイムとそれ程変わらなかった。既に小屋にいた4人は起きてそれぞれ支度をしていた。私も、おはようございますと入り、女峰山の様子を簡単に語った。それから、そのままにしておいたシュラフマット等の荷物をすべてザックに収納して、下山の準備を整えた。
6:00 避難小屋撤収
山岳愛好会の3人に別れとお礼を告げ、青年とは下の水場まで一緒に降りた。彼はこれから女峰山を目指し、帝釈山に足を伸ばしてから、東の霧降高原に降りると言う。この女峰山界隈に何度もトライしているらしく、冬にも単独で来て半ばで諦めた事があるらしい。こういう無謀精神が私は好きだ。また縁があればその内冬山でも、と言って別れを告げた。
それから馬立、林道と、多くの登山者とすれ違った。尋ねるどの人にもこの先の概況を話した。そして、私にはタイムリミットがある。誰と話をするにしても、昨日に比べて大分早めに切り上げさせてもらった。
7:55 駐車場着
上々のタイムで着く事ができた。後は下界でゆっくり風呂に浸かり、食べたい物を食べて帰るだけ。
この山行を思い立った時は、もう少しストイックな気持ちだったはず。ヘドを吐きながら登っている自分と、登頂後の爽快感だけを想像していた。しかし2日間を振り返れば、もちろんヘトヘトになって歩き、爽快な朝を向かえ、自分の実力にガッカリした後雨に打たれて、気分が萎えて下界を偲ぶ。それでもやはり楽しい出会いがある。
まとめの言葉は、行って良かった、だ。
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