石鎚山・剣山・大山
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コースタイム
山頂13:00-前社森13:42-成就14:29-14:50山頂成就
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2013年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
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コース状況/ 危険箇所等 |
試しの鎖:日陰のところが少し凍結していました。 二の鎖:少し雪も残っていて滑りやすい。 三の鎖:通行止めでした。(修復のため11月末まで通行止めのようです。) |
写真
感想
GW二座目石鎚山にチャレンジです。昨日の剣山から車で移動し石鎚山SAで仮眠。朝まで2時間程度で登れるといわれている土小屋から楽しようかと悩みましたが成就から登ることにしました。試しの鎖まではよかったのですが二の鎖では体もかなり限界。二の鎖は多くの人がう回路をまわっていたのでそうすればよかったのかなと登ってから後悔。とはいうもののGW中とは思えないきれいな景色と十分楽しめた一日でした。
その前には剣山そしてその次の日には大山と同時に中国四国の百名山3山に登頂を果たしました。
それぞれの山についてヤマケイオンラインでは以下のように紹介されている。
「剣山」
徳島県のほぼ中央部、木屋平村、東祖谷山(ひがしいややま)村、木沢村の境に位置する。西日本では、石鎚山(いしづちさん)に次ぐ第2の高峰である。昭和45年に剣山登山リフトが開設されてからは、急激に登山者の数が増え、今では観光の山に変貌している。とはいえ、高山の雰囲気を充分味わえる白骨林、ブナ、シデなどの大樹の原生林、一面のミヤマクマザサなど、すばらしい魅力は変わらない。
頂上からの展望は実によく、南西には徳島県第2の高峰次郎笈(じろうぎゆう)がどっしりと座り、その尾根のさらに西には丸石(まるいし)、白髪山(しらがやま)、三嶺(みうね)と続き、すばらしい縦走路となっている。さらに徳島県内の主要山岳はもちろん、遠く石鎚山も望むことができ、条件のよい日には伯耆大山を望むこともできる。また、ミヤマクマザサなどの植生を守るため、山頂一帯には木道が設置されている。
剣山は山岳信仰の山でもある。毎年7月の例祭には、各地から白装束の信者が集い、ソロモンの秘宝や鳴門秘帳など、話題も多い。
登路は、見ノ越から西島を経て刀掛または大剣神社経由で頂上へ向かうものが一般的だが、その他、一ノ森経由のお花畑コース、穴吹川からのコリトリコース、南面木沢村からのホラ貝ノ滝コースなどがあり、それぞれ趣がある。
「石鎚山」
愛媛・高知県境を東西に連なる石鎚山脈の主峰で、徳島県の剣山とともに四国を代表する山である。西条市と周桑(しゆうそう)郡小松町および上浮穴(かみうけな)郡面河(おもご)村の境界に位置する。
山頂は細長い岩稜で中央部に石鎚神社頂上社のある弥山(みせん)(1974m)、南寄りに西日本最高峰天狗岳が天にそびえる。周囲は目もくらむような断崖絶壁で、安山岩の柱状節理がほぼ垂直に立つ。三角点は弥山北西の標高1921mの地点にある。
石鎚山は見る方向によって山容がさまざまに変化する。南の石鎚スカイラインからは、先端のとがったピラミッド型、西の面河方面からは、ギザギザの岩峰がそそり立ち、東の瓶ガ森付近からは、どっしりとした重厚な姿を見せる。
山頂の岩峰の形が山名の由来とされるが、石之霊(いしづち)(ツは「之」の意、チは霊力をもつ神や物を意味する古代語)という説もある。また、『古事記』には石土毘古命(いわづちひこのみこと)、『日本霊異記』には「石槌」などの名が記され、万葉の歌人山部赤人が「伊豫の高嶺」と詠んでいる。日本七霊山の1つに数えられる石鎚山は、石土毘古命を神とし、古くから御神体山として崇拝されてきた。奈良時代、役小角が開山して蔵王権現を祭ったと伝えられ、以後修験道場として栄え、青年期の空海も修行している。平安期には熊野修験の影響を受け、近世に入って一般庶民の登拝が盛んになり、このころに岩場に鎖がかけられた。明治維新の神仏分離令により石鎚山は権現号を廃止し、神社となった。頂上社、成就社、土小屋遥拝殿、山麓の本社の4社を総称して石鎚神社と呼ぶ。
毎年7月1日〜10日までがお山開き大祭で、智仁勇を象徴する3体の御神像が頂上に安置され、各地の信者をはじめ、一般の登山者数万人で賑わう。頂上では、白装束の信者が御神像を体にこすりつけて無病息災を祈願する。
石鎚山の植物は暖帯から亜高山帯まで分布し、土小屋付近のウラジロモミ、山頂付近のシコクシラベなどの純林は見事である。また、ハクサンシャクナゲ、ミヤマダイコンソウなどの貴重な高山植物も見られる。
西条側の登山道を表参道、面河側を裏参道という。西条側にロープウェイ、面河側にスカイラインが開通してからは、西之川下谷と土小屋が新登山口となった。ルート上の岩場には一ノ鎖、二ノ鎖、三ノ鎖などの鎖がかかっており、巻き道もある。表参道はロープウェイ終点から成就社を経て山頂まで3時間30分。土小屋から山頂は2時間。
山頂からは360度のパノラマが展開し、瀬戸内海や太平洋から、はるか九州の阿蘇山、中国山地の大山までも望める。
「大山」
山陰地方のほぼ中央にそびえ立つ大山(だいせん)は、天平五年(733)に完成したといわれる『出雲風土記』に、火神岳(ほのがみのたけ)の名で登場する。我が国で最も由緒のある山の1つである。
中国地方の最高峰。大山隠岐国立公園の中心にあり、歴史、民俗、自然科学の面でも傑出したものが多く、名実ともに中国山地の王者である。四季を通じて探訪者が絶えないが、日本海に面した独立峰であり、気象条件、地質地形条件が厳しく、特に冬季は「寒気の吹き出し」の影響を、日本で最初に受けるので、標高に似合わず遭難事故が多い。中国地方の他の山々とは全く異質の山であることを銘記されたい。
一方、自然保護運動の先覚地でもある。全国のゴミ持ち帰り運動の発祥の地であり、数々の乱開発を追放した実績を持っている。現在は一木一石運動(登山者の手によって山頂に石を返す行動)が根気よく続けられている。
山体を形成する角閃石安山岩は軟らかくもろい。激しい浸食作用により、登山道の転変が多く、頂上と通称される弥山(みせん)への道は夏道ルートと行者谷ルート以外は閉鎖されて久しい。両ルートは6合目避難小屋の下で合流し、特別天然記念物ダイセンキャラボク純林を縫って頂上碑に達する。東側に三等三角点が、西に頂上小屋と、やや下って石室(いしむろ)と心字(しんじ)池などがある。いずれも往復5時間程度だ。
最高点の剣(けん)ガ峰(みね)へは大神山(おおがみやま)神社から元谷(もとだに)小屋、ユートピア避難小屋を経る一般ルート(往復5時間)の他に大休(おおやすみ)峠からと、地獄谷振子(ふりこ)沢からのルートがあるが、一般向ではない。
元谷をベースに、大屏風(おおびようぶ)岩、小屏風(こびようぶ)岩、烏帽子(えぼし)岩、別山などの岩場がある。岩はもろく、登攀には高度の技術が要求される。南面の南壁はすべてガレ壁で、登降は勧められない。支峰の甲(かぶと)ガ山(せん)、船上山(せんじようざん)にはよい岩場があり、地元のクライマーに愛されている。
大山の名をより高めているのは、史跡の豊富さと荒らされていない生物相とにある。
『出雲風土記』には、大山を杭(くい)にし、弓ガ浜を綱にして島根半島を引いてきたと記され、大化改新(645)前後には修験者の大道場でもあった。以来、興亡栄枯を繰り返し、その遺構が全域に残されている。現存する大山寺と大神山神社の門前町が大山寺(だいせんじ)の集落。今はホテル、食堂、土産物店が並び、登山者の街となっている。国立公園事務所もここにあり、併設の自然科学館とともに利用者が多い。
冬は西日本最大のスキーのメッカとなる。
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