20210901-人が少ない市街地自転車散歩-渦森展望台公園-赤塚山
- GPS
- 02:41
- 距離
- 12.3km
- 登り
- 394m
- 下り
- 367m
コースタイム
- 山行
- 1:55
- 休憩
- 0:46
- 合計
- 2:41
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
すべて市街地の街路で、御影山手の新田川右岸に一部非舗装路があります。 |
写真
装備
個人装備 |
ミズノアイスタッチフェイスガードC2JY1182携行
ERGOSTARランニングマスク装用
半袖ポロシャツ
半袖インナーTシャツ
ズボン(ランニング用ジャージスラックス)
靴(asics TRAIL SCOUT)
ザック(Paladineer Sunature 28L)
タオル
ハンドタオル
帽子(作業用cap)
携帯型情報通信端末(スマホ)
スマホCOVID-19接触確認アプリCocoa
飲料1.5L
水分以外1kg+健康保険証+山岳保険会員証
|
---|
感想
4 日前の散歩の赤塚山の史蹟の探索の続きです。
20210828-人が少ない市街地散歩-住吉川-渦森展望台公園
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3470880.html
+++++
今日の神戸の最高気温は 30.4 度、曇って風があり、少し涼しくなってきた感じがしました。トンボが各所で飛んでいました。夏も終わりのようです。
水分 1.5L を含む約 2.5kg の荷物で、水 500ml、午後の紅茶ミルクティー 500ml を消費しました。
+++++
赤塚山、鴨子ヶ原関連の資料
神戸大学附属中等教育学校 沿革・歴史
https://www.edu.kobe-u.ac.jp/kuss-top/overview/history/index.html
神戸市 神戸百景 2 鴨子ヶ原団地
https://www.city.kobe.lg.jp/information/public/online/hyakkei-tanjo/accompany/004-2.html
鴨子ヶ原から渦森台の昔と今の写真での対比を拝見できます。
神戸・昼から散歩 さん
鴨子ヶ原の川起点
https://hirukarasanpo.blog.fc2.com/blog-entry-3292.html
鴨子ヶ原散歩・続き
https://hirukarasanpo.blog.fc2.com/blog-entry-3288.html
徳本寺
https://hirukarasanpo.blog.fc2.com/blog-entry-1243.html
日音寺の弓弦羽の滝
https://hirukarasanpo.blog.fc2.com/blog-entry-1084.html
弓弦羽の瀧
https://hirukarasanpo.blog.fc2.com/blog-entry-401.html
Wikiwand 住吉(神戸市)
https://www.wikiwand.com/ja/%E4%BD%8F%E5%90%89_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82)
住吉(神戸市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82)
天神川 (神戸市)
https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E5%B7%9D+%28%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%29
弓弦羽の滝には、昔は大小十二の滝があり、徳本上人が修行したそうです。徳本庵(上人寺)が現在の白鶴美術館の横にあった、阪神大水害で流失した後、現在は徳本寺になっているということです。
巨石交流会 さん 2013年9月29日(日)神社・奥宮・元宮を巡りました。
http://www.ishi-cafe.org/22kyoseki/03siru/130929/index.html
渦森山は本住吉神社のご神体だったこと、弓弦羽の滝の説明があります。
2015.11.23 151123 渦森台とステーキ丼
http://morii3.cocolog-nifty.com/sanpo/2015/11/151123-551f.html
開発で失われる前の赤塚山、渦が森(渦森山)の写真を現在との対比で拝見できます。
+++++
住吉歴史資料館だより
創刊号
http://www.sumiyoshigakuen.com/002_work/007_rekishi/tayori/pdf/sumiyoshi_vol01.pdf
江戸時代の住吉村の地図を拝見できます。右モ左モ住吉道の極楽橋跡の上(山の手)に墓があったこと、住吉山手 3 丁目、4 丁目の高台(山田地区、若宮神社と日音寺のあたりまで)がすでに開かれていたことなどがわかります。また、当時の地名がわかります。
第 5 号
http://www.sumiyoshigakuen.com/002_work/007_rekishi/tayori/pdf/sumiyoshi_vol05.pdf
江戸時代中期、天明 8 年(1788 年)の住吉村絵図。上記創刊号の地図と同じく、住吉山手 3 丁目、4 丁目の高台(山田地区、若宮神社と日音寺のあたりまで)がすでに開かれていたことがわかります。
第 7 号
http://www.sumiyoshigakuen.com/002_work/007_rekishi/tayori/pdf/sumiyoshi_vol07.pdf
住吉村の聖地・赤塚山の章は、行者堂、妙見堂、徳本上人、上人寺と徳本上人座禅石など、赤塚山から住吉村に関する簡略な資料になっています。
第 8 号
http://www.sumiyoshigakuen.com/002_work/007_rekishi/tayori/pdf/sumiyoshi_vol08.pdf
赤塚山からの眺望の明治 44 年(1911 年)頃の写真があり、地形、当時の建物が同定されています。
第 10 号
http://www.sumiyoshigakuen.com/002_work/007_rekishi/tayori/pdf/sumiyoshi_vol10.pdf
渦森山、鴨子ヶ原の昔の写真とそのほかの簡略な資料。土樋割の歴史解説もあります。
+++++
自分の記録
20181128-六甲山麓の住吉道
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1665014.html
20200411-人が少ない市街地散歩-鴨子ヶ原-渦森展望台公園
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2297307.html
左リ妙見山ゑ
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2297307&pid=342540289b454935c77e42367a6038eb
20200415-人が少ない市街地散歩-鴨子ヶ原-住吉山手
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2301715.html
日音寺の弓弦羽の滝、若宮神社、徳本寺を訪ねました。
20200517-人が少ない市街地散歩-御影郷-住吉山手
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2349848.html
新田川沿いに鴨子ヶ原まで登りました。
20200603-人が少ない市街地散歩-六甲山麓の住吉道
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2375577.html
有馬道の西の道、東の道について調べました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2375577&pid=31c3a82827f25a50a234f8e61267cd00
20200628-人が少ない市街地散歩-東灘縦断-千歳道
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2417436.html
千歳道の北の起点の灘目の水車。
20201223-人が少ない市街地散歩-渦森台
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2815115.html
赤塚橋からの登りの道でモンキー看板を確認したとき。
+++++
嚴島神社
神戸の空の下で。〜街角の歴史発見〜 さん
神戸・厳島神社(御影)。2008年07月14日
https://blog.goo.ne.jp/kimmy_v-kobe/e/404ecd7943dab4fac05d36c975958aba
源順卿が承平年間 (平安時代中期、931 - 938 年)に編纂した和名類聚抄に、摂津国莵原郡の覚美郷(かがみごう)、のちに東部を郡家荘、西部を徳井荘と呼ばれるようになったとあるのだそうです。
豊臣家の直轄地となり、尼崎藩戸田氏鉄領、明和 6 年(1769 年)に現在の東灘の大部分が天領になり徳井荘平野村は東西に二分され東側は天領、西半分が尼崎藩の領地として残されて西平野と呼ばれるようになったということです。
正確な創建時期は不明、元禄年間に市杵島姫神(弁才天)を祀る神社が建てられていて、鳥居に元禄十四年とあるのもそれを示しているということです。
明治元年(1868 年)に嚴島神社に改称、社殿は元禄時代からそのまま残っているものだそうです。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する