伊藤新道から初雪の裏銀座へ☆高瀬ダム〜三俣蓮華岳〜小池新道〜新穂高温泉
- GPS
- 14:43
- 距離
- 38.1km
- 登り
- 1,982m
- 下り
- 2,192m
コースタイム
- 山行
- 7:51
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 8:20
- 山行
- 5:27
- 休憩
- 0:56
- 合計
- 6:23
天候 | 1日目;晴れ 2日目:曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
https://uraginzabus.com 七倉山荘からタクシーて高瀬ダムへ https://kanko-omachi.gr.jp/news/68004/ 下山は新穂高温泉より濃飛バスで高山へ |
コース状況/ 危険箇所等 |
伊藤新道は難易度の高いヴァリエーション・ルートであり、多数の渡渉あり https://kumonodaira.net/ito_shindo/index.html コースにはマーキングやテープ類はほとんどないので、的確なルート・ファインディングが必要 |
その他周辺情報 | 下山後は新穂高温泉のトレイル・センターの隣にある中崎山荘に https://shinhotaka.com/place/482/ 新穂高ロープウェイの前にあるホテル新穂高は13時まで清掃のために入浴できず |
写真
感想
【山行前】
伊藤新道の再開通に関する新聞記事を読んで、今年の夏にアルプスに行く機会があればこの伊藤新道を辿るに尽きると思案するも、なかなかまとまった休みをとることが出来ないままに季節は10月を迎える。今年は七倉山荘までバスが運行されているのだが、その運行が10月半ばまでであり、伊藤新道に挑戦するにはこの三連休は格好の機会と考える。
問題は伊藤新道はコースタイムで7時間以上を要することだ。信濃大町の5時15分発の始発のバスに乗れば三俣山荘まで初日に到着することも可能であろうが、これに間に合うことが出来る夜行バス「さわやか信州号」はかなり前から予約をする必要がある。松本に向かう夜行バスは残席がわずかであったが、無事に席を確保することが出来る。松本駅で1時間少々待つことになるが、信濃大町行きの始発に乗ると、信濃大町からの次の7時15分発のバスに乗り継ぎ、七倉山荘には8時に到着する。
七倉山荘からタクシーが高瀬ダムまで運んでくれるらしいが、念のためにアルピコタクシーに電話して予約をする。高瀬ダムまでタクシーで入ることができれば、8時20分頃にはスタートすることが出来るだろう。このお陰で三俣山荘に初日に辿り着くという計画が実現可能性を帯びることになる。
今回の山行のために防水性は全くないものの速乾性を誇るトレラン・シューズを靴箱の奥から引っ張り出す。派手なオレンジ色ということもあってこれまでほとんど履いてこなかっただが、このシューズならば湯俣川の渡渉で濡れたとしても三俣山荘に登りつめるまでの間に乾いてくれるだろう。速乾性という意味ではこの靴の選択は確かに正しかったのだが、後で思いがけない弊害をもたらすのであった。
出発前に天気図を確認すると、典型的な西高東低の冬型の気圧配置だ。移動性高気圧が通過したあとは南から湿った空気が流れこむので、月曜日には間違いなく天気が崩れようだ。日曜日のうちに稜線からは降っておいた方がいいので、三俣山荘からは鷲羽岳・水晶岳のピークを踏んでから赤牛岳を経て奥黒部に降りるか、あるいは竹村新道を下って湯俣に下りるか体力と気分次第で決めることにしようと考える。
新聞には初冠雪した富士山の写真が掲載されている。槍・穂高でも積雪があったらしい。ダウン・ジャケットを入れると途端にリュックが嵩張る。出発前にリュックを計量すると10kgであった。しかし、もう一つリュックに詰め込むべきものがあることにこの時点では思い至らなかったのだった。
【1日目】
京都駅〜長野行の夜行バス乗り場に到着すると明らかにテン泊装備の若者が二人待っているだけであった。「七倉山荘から高瀬ダムまでのタクシーが大丈夫かな・・・」「予約しておけばよかったかな・・・」という会話が聞こえてくる。「私はタクシーを予約しているんですが宜しければ・・・」と話しかけると間髪入れずに「割り勘にして下さい」と応答が返ってくる。若者達も伊藤新道を目指すらしいが、その途中でビバークの予定らしい。
バスが出発すると車内では禁酒とアナウンスされる。先ほどの若者のうちの一人はビニール袋の中に缶ビールを入れていたようだが、開栓するのを断念したようだった。まもなく消灯となる。
バスは新名神高速に入り、土山SAで休憩をとるが、出発時間になって一人の若い女性が戻ってこないらしい。運転手がバスの運行会社に「7Aのお客さん戻ってこられないんです」と連絡している。運転手は途中で交代すべく二名おられるのだが、「あれだけ気を付けるようにと車内放送したのに・・・」と怒気を孕んだ会話が聞こえる。バス会社から携帯に連絡が入ったのだろうか、悪びれた様子もなく女性が戻ってきた。
松本駅には4時20分に到着する。降りる段になってフットレストがあったことに気が付く。これを持ち上げていれば少しはよく眠れたのだろうか。大糸線の始発までは1時間半ほどの時間がある。駅前の牛丼屋「松屋」は登山者で賑わっているようだ。最後に牛丼屋に足を踏み入れたのは思い出せないほど前であるが、久しぶりに牛丼で朝食をとる。隣に座られたテン泊装備の単独行の女性は上高地行きのバスで涸沢に向かわれるらしい。
大糸線のホームに並んでいるのも当然ながらほとんどが登山者だ。東京方面からの夜行バスで来られた人や松本で前泊された人もおられたのか、それなりの数の人がホームに並んでいる。私の隣に並ばれた女性は妙に軽装であるが、何故かリュックにスコップを挿している。
列車が入線すると一様に進行方向に向かって左側の窓際に席を取るのも山が気になる登山者ならではであろう。先ほどの女性に「進行方向はどちらですか?」と方向を気にされておられたので、進行方向に向かう席をお譲りする。女性は湯俣山荘泊まりでスコップは河原で温泉を掘るためのものらしい。
大糸線が松本を出発し、安曇野の平野を北上するにつれ車窓には常念岳、燕岳、餓鬼岳と常念山脈の山々が次々と現れる。やがて信濃大町が近づくと餓鬼岳の右手には冠雪した白銀の山が現れる。「緑の山の上に白い雪の山が見える。なんか不思議な気がする」と女性が仰る。手前の山は全く紅葉していなにも関わらず、この初冠雪を迎えたからなのだろう。「信濃大町を境に雪の量が全然違うらしいですね。」と女性が教えて下さる。景色の美しさも去ることながら、この靴で三俣蓮華まで行けるだろうか・・という心配が頭をよぎる。少なくともチェーン・スパイクを携行する必要があったのだ。
この時間であれば行き先を餓鬼岳に変更しても唐沢岳まで往復することも出来るだろう。しかし、雪で難しければ引き返して来ればいい・・・と考えることが出来るのはテン泊装備の強みだろう、信濃大町では下車した登山者のほとんどは7時10分発の扇沢行きのバスに乗り込んでいった。七倉ダム行きの裏銀座登山バスのバス停の前に並んだのは大糸線に一緒に乗り合わせた女性、そして先の若者二人の他は二人のみだった。バスはなかなか来ないので、自然とどちらまでという会話になる。一人は船窪小屋の小屋じまいを手伝い、一人は烏帽子岳に行かれるそうだが明らかに車窓から見える白銀の山に動揺されておられるようだった。
予定時刻の間際になって小さなマイクロバスが到着する。七倉山荘でバスを降りると予約したアルピコタクシーが待っていた。烏帽子だけに行かれるという男性にも相乗りして頂いて、四人で高瀬ダムに向かう。高瀬ダムへの道路は夏は朝の5時にゲートが開くが、この時期は6時半にゲートが開くらしく、その時間に合わせてタクシーが待機するらしい。タクシーの運転手によると湯俣方面には早朝から20名ほど入られたらしい。さらに「先ほどのお客さんから三俣蓮華では40cmの積雪って仰ってましたよ」と聞く。
タクシーは高瀬タムの畔のトンネルの手前で降ろしてくれる。道の左手に慰霊碑が目に入る。墓石のような慰霊碑の裏側にまわると、十四名の名前が刻まれていた。黒部ダムにおける殉職者の171名という数に比べれば圧倒的に少ないものの、それでもこの14という数が果たして少ないといえるのだろうかという疑問を抱いたまま、ダムを後に長いトンネルに入る。
トンネルを進むと前後から車が進んでくる。慌ててヘッデンをつけて明かりを点灯させる。ダム湖の右岸の林道からは緑白色の湖水と雲の下から姿を見せる白銀の稜線が美しいコントラストを見せてくれる。
林道が終わると河岸の自然林の中を進む。やがて谷が大きく広がるようになると、谷の彼方にはひときわ鋭く尖った鋭鋒が見える。槍ヶ岳だ。上流に進むにつれ随所で硫黄の匂いが漂ってくる。湯俣山荘には1時間40分ほどで到着する。時間は10時前、これで三俣山荘に夕方までに到着する算段が出来そうだ。
対岸の晴嵐荘との間には高瀬川に野猿が架けられている。ちなみに野猿とは人力で動かすロープウェイであり、日本にはこれに乗る機会はほとんどないらしい。丁度、前の人が渡り終えたところであった。野猿は二つあり、片方に荷物を載せ、片方に人が乗るようになっていた。
無事、渡り終えて晴嵐荘にたどり着いたところで竹村新道への道標はあるが肝心の伊藤新道への道標がない。しまった!伊藤新道に進むには渡らずに道を直進する必要があったことに思い至る。
慌てて引き返す。かなり重たいリュックを抱えたご夫婦とお思しきカップルの女性の方が野猿からリュックを外すのに難儀されておられるのでお手伝いする。リュックの重さは余裕で15kg以上ありそうだった。ということはこの日はここでテン泊の予定だろうか。10分以上の時間のロスではあったが、この珍しい乗り物に乗ることが出来たのは怪我の功名と考えることにしよう。
(伊藤新道)
いよいよ伊藤新道に入る。小さな堰堤を過ぎると河原からは盛んに湯気が立ち昇っている。どうやら河原に温泉が沸いているようだ。二人の登山者を足を浸して足湯を愉しんでおられた。足湯に足を浸けてゆっくりしたいところだが、先はまだ長い。
両側に岩壁が聳える広いV字谷の彼方には冠雪した山を望み、なんとも壮麗な雰囲気だ。銀嶺の上空には果てしい蒼空が広がっている。谷を進むにつれ急に両岸が迫り、狭隘な峡谷の雰囲気となる。
第一吊り橋で対岸に移るとその先にいくつものホチキスのようなタラップが打ち付けられた大きな岩が見える。どうやらガンダム岩らしい。丁度、先行する二人の登山者が岩を越えている。この岩に取り付くためには早速にも入水して岸をへつる必要があるようだ。
ガンダム岩に攀じ登ると再びタラップで岩を降る。谷は大きく左に湾曲し、両岸には崖が迫っている。左岸の岩壁に沿って延々とタラップが打ち込まれており、その先には桟橋が架けられている。桟橋を通過し終えたところで先行する登山者達が休憩しておられた。荷物の大きさから男性かと思ったが、なんと女性であり、一人は私よりも年配のようだ。
すぐに最初の渡渉地点となる。対岸には岩に巻かれた赤いリボンが渡渉地点を示している。飛石などはないので、ここは完全に水の中に入ってジャブジャブと川を渡ることになる。この季節の川の水は当然ながら身を切るように冷たい。
稜線の上に初雪をもたらした寒気は標高の低いところでは冷たい雨を降らせたばかりであろう。途中ですれ違った伊藤新道を往復されたという単独行の男性によると前日は水量が非常に多くて渡渉が大変だったというが、この日も水量は決して少ない方ではないだろう。
後からはすぐに先ほどの女性のペアがやって来られる。私が無事に渡渉したところを見て少しは安心されたようだ。一緒に歩かせて頂く。狭隘な渓谷の両側に広がる岩壁はいつしか赤褐色を帯び、景色に非現実的な荒涼感をもたらしていた。三俣山荘のトレイル・マップには左岸のビバーク・ポイントを火星と記されているところだ。河原の赤褐色の岩石の荒涼とした光景が火星を想起させるのだろう。
先に進むと行手はほぼ垂直の岩壁となるが、渡渉をするにも川の流れが速く、水深も深そうだ。何しろ渡渉の目印となる赤いリボンもない。岩壁の水面から1mほどの高さのところに水平に刻まれたステップが目に入る。もちろん人工的に刻まれたものではないが、辛うじて足を置くだけの幅があるので、へつって岩壁を通過する。
無事、岩壁を通過すると一息つく。お二人はそれぞれ大阪と奈良からだった。年上の女性からはナッツの差し入れを頂く。女性達のリュックが重そうなので持ち上げさせて頂くと、確かに重い。それぞれが15kgの荷物を担いでおられるそうだ。稜線に上がってから履くための登山靴を中に入れておられるそうだが、積雪した稜線を歩くためには靴が別に用意してくるのは当然であろう。
お二人はそれぞれ大阪と奈良からだった。年上の女性からはナッツの差し入れを頂く。女性達のリュックが重そうなので持ち上げさせて頂くと、確かに重い。それぞれが15kgの荷物を担いでおられるそうだ。稜線に上がってから履くための登山靴を中に入れておられるそうだが、積雪した稜線を歩くためには靴が別に用意してくる方が良いのは当然である。
先に進むとすぐにも再び渡渉となる。今度は深そうだ。折しも若い男女のカップルが対岸から渡渉して来られるところだった。渡り終えた男性が「この渡渉が一番深いです」と仰る。見ると男性のズボンは股下まで濡れている。「渡るのはここがいいです」と男性は再び川の中に入って行き、水中にある大きな岩の下流を通過して対岸にまで渡ってみせてくれる。「でも水流が早いから、三人でスクラムを組んでいくのがいいですよ」とアドバイスをいただく。
「何度か来られているんですか?」と若い方の女性がカップルに聞くと「私は初めてですが彼は何度も」と若い女性がにこやかに答える。二人はかなりの軽装であり、おそらくは湯俣からこの谷の往復なのだろう。男性のアドバイスに従って三人でスクラムを組んで無事に渡渉するが、確かに水深が深い。私は膝上まで濡れることになったが、女性達は股下まで濡れることになったことと思われる。
右岸はしばらくは歩きやすい河原が続く。気がつくと川の上に張られたワイヤーがある。第4吊り橋跡で、ワリモ沢の出合となるところだ。河岸が広がり格好のビバーク・ポイントである。所々に焚き火の跡もある。
ワリモ沢の出合を過ぎると急に川の水量が減理、川幅も狭くなる。数回の渡渉を繰り返すが、渡渉の難易度は下り、せいぜい膝下までの水深であり、安心して渡ることが出来る。やがて正面に吊り橋と尾根が見えてくる。その手前では単独行の男性が休憩しておられる。どうやら遂に谷を離脱するポイントに辿り着いたようだ。まずはここまでの河原の歩行でシューズの中に大量に混入した砂利をお落とす。
途中の水場で水を補給し損ねていたことに気がつく。吊り橋を渡ったところの赤褐色の岩肌から流れ落ちる水でペットボトルを満たすが、飲んでみると鉄と酸の味がした。硫酸成分だろうか。この酸のイオン成分が高瀬ダムの緑色の水のなっているのだろう。
広い河原にはテントに適する平地がいくつもあり、実際にテントを張ったあとがあるようだった。稜線に雪が多くて撤退した場合にはここでテントを張ることが出来そうだ。途中で撤退する可能性もあるので、ここで女性達とお別れして尾根に取り付く。
谷を離脱するとすぐにもかなりの急登となる。第5吊り橋のあたりには標高1664mと記されているが、湯俣山荘からここまで標高はわずかに200mほどしか登っていない計算になり、三俣山荘まではここから一気に900m近く登らなくてはならない。
やせ尾根をひとしきり登ると道は荒涼とした赤沢に向かって下降してゆく。赤沢は文字通り、沢の周囲が赤く染まっている。水に含まれ濃厚な鉄分のせいなのだろう。対岸の取り付きがわかり難かったが、谷を上流に遡行したところで数組の登山者が休憩しておられたので、取り付きを見つけることが出来る。早朝に出発された三俣山荘を目指す登山者達のようだ。
しばらくはかなりの急登が続き、急速に高度を稼いでゆく。足元の土が柔らかいのはまだこの道を通行する人が少ないからなのだろう。
標高2100mを超えると急に尾根の斜度が緩やかになる。第一庭園という標識がある広地は完全に雪に埋もれている。ここを過ぎると鷲羽岳の南斜面をトラバースするようになり、急に足元の雪が増えるが、雪の上には十分にトレースがついているお陰もあって問題なく歩行できる。やがて樹林帯を抜けて灌木帯に入ると三俣蓮華岳から双六岳を経て槍ヶ岳へと続いてゆく裏銀座の稜線を眺めながら緩やかに高度を上げてゆく。槍ヶ岳の左手には鋸歯のような北鎌尾根が柔らかな西陽を浴びて赤褐色の荒々しい山肌を見せている。
もうすぐ鷲羽岳からの稜線と合流するというあたりで、目の前をノロノロと歩いているテン泊装備の二人組の男性に追いつく。「こんなところで先に行かせて頂くのは心苦しく思います」と挨拶ついでお声がけすると、後ろの男性からは「全くそんなことないです」と闊達な声が返ってくるが、振り返ると前を歩く男性は無言でうなだれたままで、明らかに様子がおかしい。
裏銀座の登山道と合流すると登山道の雪が溶けたせいだろう、幾つもの水溜まりが出来ている。トレラン・シューズはさすがの速乾性でほとんど乾いてくれていたのだが、途端に靴の中には先ほどの川の水よりさらに冷たい水が浸入し、再び水浸しとなった。
三俣山荘に到着したのは16時20分頃であった。テントの受付をしているうちにすぐにも先ほどの男性二人組が到着される。一人はかなり顔色も悪そうだ。「相方が疲労困憊してしまったので小屋泊に変更できますか」と一人が受付で尋ねると「小屋は空いていますが、素泊まり一万円に飛び込みは二千円追加になります」とのことだった。
山荘の広々としたテン場にはまだ数張りのテントしかなかった。水場の近くの綺麗な場所にスペースを確保することが出来る。勿論、雪の上にテントを張ることになる。積雪は10cmもなく、ペグを打つあたりを踏み固めると、ペグはその下の地面にしっかりと刺さってくれた。双六岳の方からも続々と到着され、急にテント場は賑やかになってゆく。早朝に新穂高温泉を出発すると丁度、到着する頃合いなのだろう。
三俣山荘の北にある鷲羽岳・ワリモ岳は綺麗に見えてはいるものの、西の黒部五郎岳の方向には厚い雲がかかっている。夕方になると急速に気温が低下してゆくのが感じられるので、夕陽は諦めて早々にテントの中に潜り込む。この日の夕食はローストポークに徳島の祖谷の蕎麦飯のフリーズドライで簡単に済ませる。
就寝しようかという頃になって隣から聞き覚えのある女性の声が聞こえる。先ほどの女性二人組がようやく到着されたようだ。若い方の女性が「これみて下さい」と彼女の背負ってきたリュックを指す。年上の方の荷物を持って差し上げたようだ。大きなリュックはこれ以上詰め込みようがないまでに膨らんでいた。
女性達は翌日は再び伊藤新道を降って湯俣山荘までの行程らしい。この積雪では赤牛岳を越えて奥黒部まで行くのは論外だろう。「竹村新道を降って私も湯俣山荘に降りるので、明日の夜は湯俣山荘のテン場でお会いしましょう」と云って再びテントに潜り込む。
しかし後から冷静に考えると鷲羽岳の南斜面の雪はすでにかなり消えているように見えるが、果たして北斜面はどうだろうか。チェーン・スパイクがない状態での急峻な稜線のアップダウンはリスクが少なくないことに思い至る。双六岳を経て、新穂高温泉に下るルートはかなり人が歩いており、稜線もなだらかなのでリスクも少ないだろう。双六から南は積雪もほとんどなさそうだ。
(下山後に他の方のレコを見る限り、鷲羽岳〜野口五郎岳は積雪が深かったようであり、この選択が正しかったことを改めて認識する。)
【二日目】
翌朝、3時半に起き出す。隣のテントからも同じ時刻に目覚ましの音が聞こえる。テントから空を見上げると星が出てはいるが空は霞んでいるようだ。まずはコーヒーを淹れ、バケットにチーズとローストポークを挟んで簡単に朝食を済ます。
気がつくと濡れたトレラン・シューズはガチガチに凍っており、履くのが難しい。靴紐を解いておけばよかったのだが、残念ながらその必要性に思い至らなかった。時間をかけてなんとかシューズを履くことが出来る。テントのフライは他の季節であれば結露でしとどに濡れている筈だが、結露も完全に凍っている。テントを畳み終えると4時半を回ったところであった。隣の女性達にご挨拶し、新穂高温泉に下ることをお伝えして出発する。
三俣蓮華岳のピークに向かうとすぐ先に二つのヘッデンが山頂を目指している。追いつくとそれぞれ若い男女の単独行者であった。しばらくはハイマツのトンネルが続く。
東の空の一端が次第に明るくなってゆくが、残念ながら東の方向にはしっかりと雲がかかっている。背後の鷲羽岳にも数組のヘッデンが登っているのが見える。
ハイマツ帯を抜けると、空も明るくなり、背後には鷲羽岳から野口五郎岳へと続く裏銀座の稜線、西には黒部五郎岳とその右手に大きな山容を広げる薬師岳の展望が広がる。冠雪した北アルプスの錚々たる山々が朝のブルーアワーの群青に染まってゆくのを眺めることが出来るのはこの上なく贅沢な機会といえよう。
三俣蓮華の山頂に辿り着くと、これから辿る予定の双六岳へのたおやか稜線の右手にはひときわ白く冠雪した笠ヶ岳が。北西からの寒気が当たるので雪も多いのだろう。東の方角に目を向けると槍・穂高の稜線はその上を覆う暗い雲のせいかますます険阻に見える。
男性はすぐに山頂を後に双六岳の方に向かわれる。女性も新穂高温泉に向かわれるそうだが、山頂でのお互いの写真を撮ると山頂からのパノラマを堪能する。
彼女は前日は雲の平におられたそうで、鷲羽岳、水晶岳に登るつもりだったが積雪のせいで断念したそうだ。そのせいで早くに三俣山荘に到着し、テント場には一番乗りだったらしい。小屋の人には「外が寒かったら小屋泊でどうぞ」と言われたそうだが「飛び込みは二千円増しと言われませんでした?」と聞くと「えっ!?そうだったんですか!全くそんなこと言われませんでしたけど」とのこと。若い女性には対応が異なるのだろうか。
東の空にかかる雲のせいでご来光は望むべくもないと思っていたが、気がつくと大天井岳の左手で雲が一際明るく茜色に染まっている。まもなく表銀座の稜線の上に朝日が顔を出したかと思うと上空の雲を鮮やかな紅に染めてゆく。
風もなく空気が生暖かく感じられるのは南の海上からの湿った空気のせいなのだろう。そのせいか西鎌尾根の彼方に聳える槍ヶ岳のシルエットは微かに霞んでいる。その霞んだ空気がこのご来光の景色に一層の幻想味を与えているように思われるのだった。
しかし、空が鮮やかな色彩を見せたのは僅かな一瞬のことだった。朝日が東の空にかかる雲の向こうに隠れると途端に全ての景色は色彩を失い、モノクロームの世界が広がった。
出発する潮時のようだ。双六岳に向かって延々とパノラマの広がる稜線を辿る。双六岳の山頂に至ると途端に多くの人が山頂を訪れている。前日に双六山荘に泊まった人達だろう。双六小屋のあたりに下ると急に積雪も少なくなる。
双六池はやはり凍結していた。双六小屋から鏡平へと下降する道は双六小屋を出発した人達で相当に混雑している。笠ヶ岳へと向かう稜線にも数名のパーティーが進んでいるのが目に入る。この稜線には雪が続いているのを見ると昨年に縦走した笠ヶ岳への稜線を再び辿る誘惑に駆られるが、この稜線に雲がかかるのも時間の問題だろう。
鏡平への下降に入ると周囲にはほとんど雪がなくなる。正面に槍・穂高連峰を見ながら下降してゆくが槍ヶ岳の前には雲がかかり始める。鏡平の池に到着するまでなんとか槍ヶ岳が見えていて欲しいと願うが、池に到着した時には雲の上から槍の山頂がなんとか見える状態であった。
鏡平からシシウドヶ原と呼ばれる広い谷に下降してゆくと谷の右岸の斜面は紅葉の盛りで、ダケカンバの黄色やナナカマドの紅い葉が笠ヶ岳への冠雪した稜線と綺麗なコントラストを見せてくれる。この小池新道と呼ばれる道は石積みに至るまで実に丁寧に整備されており、ほとんど階段を降っていくような感覚で下降してゆくことが出来る。
途中の涸れ沢には9/21深夜の豪雨で登山道が崩壊したとの案内標がたてられている。早速にも綺麗に迂回路が整備されており、登山道を整備して下さった山小屋の方に深謝である。黙々と下るうちにワサビ平には10時過ぎに到着する。その手前に追いついた登山者が新穂高温泉まではコースタイムで丁度1時間であることを教えて下さる。当初は新穂高温泉に下る予定はなかったので、地図を持ち合わせていなかったのだ。コースタイムを全く計算することが出来ず、過去の山行の漠然とした記憶から遅くとも13時には下降することが出来るだろうと予想していたが、こんなに早くに下降するなら朝に鷲羽岳のピークを踏みに行けばよかったと思うが、後の祭りである。
新穂高温泉に到着したのは11時過ぎ。次のバスを確認すると11時55分であった。ロープウェイ駅のすぐ下にあるホテル新穂高を尋ねると温泉は清掃中で13時からとのことだが、すぐ下の中崎温泉は入浴出来るでしょうと教えて下さる。
中崎温泉に両足を浸けると途端に両足が沁みる。この時になって気がついたのだが、なんと両足の内側と外側のくるぶしの下にそれぞれひどい靴擦れが出来ていたのだった。温泉自体は湯あたりの良い硫黄泉で、心地よかった。
バスで高山に到着すると高山からの特急を一本遅らせて、牛骨ラーメンを訪ねることにする。高山市街の混雑を迂回して市街の中心部をバスがバイパスしたので、駅から旧市街のラーメンの店まで10分ほど歩く羽目に陥る。登山中は全く苦にならなかったのだが、下山後に急に靴擦れの痛みが気になるようになった。肝心の牛骨ラーメンは化学調味料を一切使わないという白湯が驚くほど臭みのないすっきりとした味わいだった。
高山駅から特急に乗り込みとすぐにも本降りの雨が車窓を叩く。日程を短縮して新穂高温泉に下山したのは靴擦れと天候のことを考えると正解だったようだ。伊藤新道でご一緒した女性二人組が雨に濡れることにならなかったどうかが気になるところであったが、どうやらその日のうちに無事に高瀬ダムまで下山できたようだった。
https://yamap.com/activities/27317859
伊藤新道、早速歩かれたのですね。
伊藤新道はいつか必ず歩きたい憧れの道なので、レコを興味深く拝見しました。
(久しぶりに長文も読ませていただきました(笑))
靴が冷たい水にいつまでも濡れていたり、凍てついたりして大変なご様子でしたが大丈夫でしたか?
どのシーンも素晴らしく臨場感たっぷりで、ますます歩きたい気持ちに駆られてしまいました(笑)
ありがとうございます!目標がひとつできました(*^^*)
シューズは三俣山荘の手前で登山道の融けた雪で再びびしょ濡れになり、テントの中でもカチカチに凍ってしまったもののさすがの速乾性で、翌日にはほぼ乾いてくれて快適にあるくことが出来ました。下山後、靴擦れが大変でしたが・・・💦
ここは谷から離れてからの急登が大変で、出発時間によっては一日で三俣山荘に行くのが難しいかと思いますが、谷の途中にはいくつもビバークポイントがあり、谷でテン泊というのもいいかもしれません。山行を計画されるときにご質問があればどうぞご連絡ください。
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