六甲全山縦走


- GPS
- 14:35
- 距離
- 43.2km
- 登り
- 2,982m
- 下り
- 2,956m
コースタイム
- 山行
- 13:16
- 休憩
- 0:57
- 合計
- 14:13
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
良好。 |
写真
感想
家族旅行で関西へ来たついでに、一人、憧れの六甲全山縦走に挑んだ。
三宮に泊まったので、始発の阪急電車に乗り、山陰電鉄に乗り継ぎ、須磨浦公園駅で下りた。まずは敦盛塚にお参り。石清水八幡宮の五輪塔に次ぐ国内第2位の大きさだそうだ。実際には室町時代以降に作られたものらしいので、平敦盛の墓なのかは疑わしいが、敦盛が慕われていたのを感じさせる史跡だ。
さあ、いよいよ登山開始。最初のピークは鉢伏山の標高260m。大したことない低山だが、海岸線の15mの標高から一気に登っていくので、結構な登りごたえである。すっかり体が温まり、心拍数も上がり、いいアップになる。
関西の山なんてなかなか来ることがないから、植生も興味深い。シイやカシなどの常緑広葉樹が中心。途中のウバメガシの群生は見事だった。とは言え、激しい登り下りが続くので、だんだん周りを見る余裕もなくなってくる。
六甲全山縦走の前半部は須磨アルプスとも呼ばれる。が、「アルプス」とは言ったものの、稜線がずっと続くわけではなく、山と平地を行ったり来たり。登ったぶん下り、下ったぶん登る、過酷な縦走路だった。
アルプスっぽい光景は、花崗岩がむき出しの馬の背あたりくらいである。あとは、登山道がよく整備されていて(整備され過ぎていて)、階段や舗装路も多かった。ただ、山上からは、神戸の街並みや瀬戸内海を望むことができ、爽快だった。
高取山の頂上には立派な神社があり、六甲全山縦走の成功を祈願。しかし、このあたりまでですでに約3時間経過。繰り返しのアップダウンで、早くも脚に痛みが生じてきている。
高取山から平地に下りてくると源平町という地名があり、鵯越という駅の脇も通った。このあたりは源平合戦ゆかりの場所が多く、そうした史跡にも興味が湧くが、全山縦走の先はまだまだ長いので、急ぐ。
次のピークが菊水山。山名は楠木正成の家紋が由来なのだろう。ふもとが楠木正成の討たれた湊川だ。それにしても、菊水山あたりも登山道がよく整備されていて、階段ばかり。この急な階段が、疲れた体にこたえる。
菊水山を下って、また稲妻坂を登る。文字通り、稲妻のようなジグザグの急登だ。さらに天狗道。花崗岩がところどころ露出していて、昔の人は天狗が住んでいると考えたのだろうか。
瀬戸内海沿岸に花崗岩が多いのは知っていたが、今回、六甲全山を歩いてみると、あまねく花崗岩質だったので驚いた。花崗岩があると、だいたい磐座信仰と結びつくことが多い。この天狗道や先ほどの高取神社、そして、摩耶山山頂の磐座がその名残りだろう。
摩耶山に来たのは夜景を見に来て以来、15年ぶりくらいだろうか。記憶もあやふやだし、夜と真っ昼間で全然印象も異なり、初めて訪れたような感覚だった。大量に消費する水分を補充して、いよいよ六甲山へ。
しかし、意気込んではみたものの、ほとんど車道歩き。これが苛酷。そう言えば、途中、何人かの登山者に声をかけた時、摩耶山(掬星台)までという人が多かった気がする。みなさん、この道を敬遠するのだろう。
うんざりする舗装路歩き。高低差がなくなったのは幸いではあるが、これではもはや登山というより散策や観光というレベルである。関西を代表する六甲山が、かように開発が進んだ山だったとは…。東京の高尾山のほうがまだ山らしい山かなと思ってしまう。
ようやく六甲山へ到着。最近は、「六甲山最高峰」の標識の「山」と「峰」の字を隠して、「六甲最高」とするのが流行ってるみたいだが、そんな気分にはならず、さっさと山頂をあとにした。
あとは宝塚駅までの長い下り。13km余りあって、幾度もめげそうになったが、足もとがふらつきながらもなんとか下山。この時期、日が長いのだけがとりえで、観測史上最速で梅雨明けした猛暑日にやるべき縦走ではないなと、つくづく思った。
孤高の登山家・加藤文太郎は、この六甲全山縦走を朝から走破したあと、宝塚駅から自宅まで歩いて帰ったそうだが、ぼくは阪急電車に乗り込み、ホテルへと向かった。
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