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新田次郎さんの小説によると、神様として崇め奉られていて、
そんな常識にも負けず切り開いたお坊様や登山家達がいて、
今、僕達は登山が楽しめているようです。
登りたい山に登る。
登りたいルートで登る。
そんな狂気じみた欲望に抗えない人達が
きっと登山家なのだろうから、
そんなにやいやい言わんでもええやんねんと、
僕は思ってしまいます。
あははは、しょうがないねぇ。
登山家って人達は、まったく。
ぐらいの反応で丁度良いんじゃないですかね。
僕はむしろ
最近の包容力のない社会、組織、メディア、人の方に、
危機感を感じます。
何より残念なのは、
その狂気じみた情熱を一番理解できるはずの、
メーカーさんと協会さんが、
手の平を返すように突き放してしまったことです。
山はもうフロンティアではないのでしょうか。。
山初心者としては、悲しいですねぇ。
登る前に関係者に挨拶をするとか、
登らせて欲しいと熱意をもって説得するとか、
社会人としてはそういうことを、
当然すべきだったとは思いますが、
それをしたかどうかはまったく報じられないので、
わかりませんけどね。
ダメって決められていることを
守るのが当たり前で。
同じ山初心者として
やっぱりそういう認識の人もいるんだなあと
ちょっとがっかりですね…。
登山家だからこそ
模範を示さなければ、
荒らされ放題になると思いますけどね。
たぶん、この議論って
登山ってなんだ?
なんで山に登るんだ?
的な深い議論にはまっていくと思います。
それは人によって違ってよくて。
僕にとっての登山は、
それほどお行儀の良いものではなく、
フロンティアスピリットに満ちた冒険であって欲しいのです。
その冒険を通して自然を敬い、自然とひとつになる感覚を身に着けていく尊いものなんです。
もちろん、既に有名な登山家さんが、
自分の行動がどこまで世の中に影響を与えるかということをどこまで深く考えたかはわかりませんが。。。
模範的人物だらけの世の中は、
つまらんと思います。
まー、初心者の頭でっかちな僕が、
こんなこと偉そうに語っている時点で
ちゃんちゃらおかしい話なんですけどね。
あははは。すんません。
はじめまして。
山に登る人間であれば、まして五体五感全てをフルに使って登るような登山をしている人間であれば、山、自然に対して畏敬、畏怖の念を持たない人はいないと思います。
道をたどるだけでは決して目にすることも出来ない自然の造形を目の当たりにしたとき、何の宗教も持たない人間であってもあまりの偉大さに何者かの大いなる力を感じるものです。
そこに自分自身が在ることに感謝の念を感じるものです。ありがたく登らせていただくという気持ちがきっとあるはずです。
今回は、御神体として信仰している方々に対して配慮が足りずに軽率であったということかと思います。
決して傲慢な気持ちで登ったわけではないと私は思います。
立ち入り禁止です。ルールを守って生きてください。ルールが間違っているなら適正な方法で改正を目指してください。
>gogo1528様
コメントありがとうございます。
>今回は、御神体として信仰している方々に対して配慮が足りずに軽率であったということかと思います。
私もそれだけの問題のように思っております。
>hiraiw様
コメントありがとうございます。
初心者が偉そうに語って申し訳ございません。
私はまだそんな冒険的なクライミングができる実力もありませんし、ルールに立ち向かえる技術もございませんので、ルールを守って山を登っております。
ルールを破ることがいつも良いことだとは決して思っておりませんので、その点だけご理解頂けると嬉しいです。
関係者様への配慮や交渉も必ずしていくべきだと思っています。
ただ、ルールを変えていく、パラダイムを変えていける冒険的な人達はえてして常識に囚われない人達で、そういう人達への包容力を亡くしてしてしまった社会は硬直化してしまって、少し怖いなぁとも思っています。
gaku88さん、こんにちは。
私も全くの初心者、ただの日曜ハイカーですが、だからこそ「山に登る
人間だから、冒険者だから許されるの?」と思ってしまいます。
そのような考えが、今回のような傲慢な振る舞い(すいません、私はそう
思います)をしてもよいのでしょうか?
今回の件、ルールを変えていく、パラダイムを変えていける冒険的な
人達というよりは、ただの”自己顕示欲の強い人達”としか私には思え
ないのです。
はじめましてで失礼な物言い、ご容赦ください。
>maikagura様
コメントありがとうございます。
んー、皆様に反論頂きまして、
いろいろネットで調べていたのですが、
あまり気品のある感じではなかったようですね。
http://favstar.fm/users/nametarow
皆様のご指摘どおり、
播隆上人らの先人と同列に評価するのは、
残念ながら少々乱暴なようです。
ただ、
いくら正論でも、それを正義の御旗と振りかざして
しかも匿名で個人攻撃を寄ってたかってする社会は怖い。
その恐怖感だけは変わらないです。
今も怖い思いをしながら、
このコメントを書いています。
人と違った意見を言っていい場は、
議論をしていい場は、
社会のどこかにあって欲しいです。
こんな意見書かなきゃ良かったと後悔し始めているのと同時に、ここまで皆さん登山に熱い気持ちで真剣に向き合われているのだなぁと、とても嬉しい気持ちでもあります。
gaku88さん、初めまして。
あなたのご意見はあなたのご意見でありますので、
尊重されうるべきだと考えますし、
議論の余地も十分にあると思います。
私の考えは、ご覧いただいたかと思いますが、
私自身の日記で述べましたし、
上記コメント内でも
皆様が様々なご意見を記しておりますので、
ここで敢えて再記することは致しません。
ただ、ひとつだけ申し上げたいのは、
私が申し上げている内容は、正義の御旗ではなく、
匿名による個人攻撃でもない、ということです。
当該日記は、別のSNSでも全体公開しておりますし、
本ヤマレコの情報から辿ることによって、
私の個人情報を探ることが可能です。
(これは、意図的にそうしています)
従って、特に匿名による正義の御旗の振りかざしではない、
という点だけは、ご理解いただけますと幸いです。
以上、失礼いたしました。
>motch様
コメントありがとうございます。
motch様からコメント頂いたことで、
自分も
自分と違う意見を展開している方を、
匿名で攻撃し傷つけてしまっていることに気づきました。
私の意見も日本全体の風潮やメディアの空気感全体への
オルタナティブな意見を提示したかっただけであって、
motch様への個人攻撃ではございません。
不愉快な思いをさせてしまったことを、
お詫びいたします。
貴重な気づきの機会を頂きありがとうございました。
gaku88さんのこの問題へのご感想にいたく共感いたします。{剣岳、槍ヶ岳だってご神体だった。}−−だった。−−いえ、今でもご神体です。富士山も今でももちろんご神体です。それでも多くの人々が「土足」で登っています。
それでいいのです。なぜなら、日本の神々さまはそれくらいのことで怒るわけがない。人が登ることを愛でて喜んでおられる。
この問題への神社宮司、マスコミ、それに同調の世論らしいものの欠如は肝心の「神さま」がどのような思いであるのかという視点、角度です。神さまのことなどわからないと言い張るなら、”ご神体を汚す”という論は成り立たないと思います。
宮司という人間が怒っているからそれに同調するのならば、それはご自由ですが、ご神体がどうのこうのとは主張できないでしょう。
立ち入り禁止? 各地の霊峰、たとえば富士山にしても夏の観光登山シーズン以外は、五合目や六合目あたりに」立ち入り禁止の立て看板がありますが、ぼくもふくめて多くの登山者がその看板を乗り越えて登ります。
いずれにしても「けしからん」「けしからん」のヒステリックな論調は、異論を許さない偏狭さに通じると思います。けしからんと怒るのも自由ですが、それくらいいいじゃないかの感想も大いにまかりとおって良いと思います。
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