地下足袋は痛い。不用心である。だが、慣れてくれば危険を避けて丁寧に安全に歩くことができる。歩きぶりも筋肉の付き方も違ってくる。でも何故わざわざそんな苦労を?
「思えば昔からの道具は大抵皆そういうものです。修練しなければなかなか使いこなせません。でも一旦身についてしまえば身体の一部となり、さらに鍛錬すれば神業のようなことができます。・・・『便利なものを使い始めると、それまで当たり前にできたことができなくなってしまう』・・・山歩きというのは場合によっては死ぬかもしれない危機が頻繁に訪れます。ちょっとくらいの便利さに目がくらんで身体能力を怠けさせると、危ないと私は思います。」
GPSもクマスプレーもビーコンもテントもコンロさえも無用だという。いや無用と言えるくらい山での身体能力(と生活技術)を磨けということなんだろうけど。
そして山での焚き火や雪山イグル―へと話は(当然ながら)深まっていく。
米山さんは以前青森に住んでおられたが、白神山地についてこんな風に書かれている。
「マタギが伝統的に生活のために山を利用してきた白神には、手つかずの自然などではなく、谷や尾根にマタギが上手に利用してきた地図にない道がたくさんあります。そうした道は地元の沢登り登山家たちによってかろうじて継承されてきたのですが、世界遺産登録とともに立ち入り禁止となりました。もうマタギはいないからといっても、その生業の跡も含めて継承してこそ世界遺産だと私は思うのですが。」
「全面的な入域制限や焚き火制限のもとで、観察コースではない深い山に何日もかけて分け入ったこともなく、適切な焚き火もできない人たちばかりになったら、どうやってその深い山の価値を知ることができるのでしょうか。」
自然保護は難しい問題だけど、1か0かではない、その「あわい」の中に、きっと答えがあるはず。
この本は高校生くらいの若い人たちに向けて書かれたものである。山登りの楽しみ、地形図の読み方。山での持ち物、山での食べ物。そして大学山岳部時代の冒険的登山について、山登りの入門書やマニュアルとしてはとっても異色だけど、リアルで実用的でありながら、その「実用」が哲学になっている。それに山での「フン問題」についてここまで踏み込んで書いてある本はあまりないような。連れにこの本を紹介をしたら:
「…じゃ適当な草がなかったらどうするの?」「指で」「・・・」「指先を濡らしておけば匂いはつかないって」「・・・」「じゃペットボトルに穴を開けてね・・・」「私は無理」「うちで練習しておくようにって米山さん言ってるよ」「マジ?」
自分がこのような登山をできるはずもない。だがこのような精神のあり方はとても好きだ。伝統を大事にしようというただのスローガンではなくて、古くから受け継がれてきた「やり方」や「もの」の中にある、『普遍的な合理性』を米山さんがきちんと説明してくれる。ものや道具はできるだけシンプルに。それが体と心を鍛えてくれるのだ、それが自由をもたらしてくれるのだと。楽しい一冊であった。
「初めての山に向かうときは、正面から、一番美しいルートをとる。それが自分流の初めての山への礼儀であり、挨拶である。」
正確じゃないけどこんな感じの、こちらはいつまでも心に残るyoneyamaさんのヤマレコでの言葉である。
さっそくのご感想ありがとうございます。
「私は無理」「マジ?」は経験上、圧倒的多数の反応です。奥様によろしくお伝えください。
本は一度世に出したら、あとは(私のような)誤読、誤解も甘んじてお引き受けくださいね
この本で、yoneyamaさんの山歩きと生き方と、できれば多くの若い人たちに考えていただきたいものです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する