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2001年に平凡社から出版された「定本」の方ですが、「旧版」(創文社アルプ選書)をベースに、誤りや不備な点を書きあらためるとともに、文字遣いについても全面的に見直したことが、あとがきに記されています。
付録には、著者の写真(1960年撮影 三宅修、丸山・冷山歩道にて)入りのしおりがあって、「めぐりあいということ」(神沢利子)「『北八ッ彷徨』の著者」(近藤信行)という二編が収録されています。
内容は、最後の書下し作品である「富士見高原の思い出」を除くと、朋文堂マウンテンガイドブック「八ヶ岳」、雑誌「アルプ」、そして、著者が初代会長をつとめた獨標登高会の会報「獨標」に掲載されたものから構成されています。具体的には、「岳へのいざない」「八ヶ岳の四季」「雪と風の日記」「岩小舎の記」「雨池」「落葉松峠」「北八ッ日記」「八月」「北八ッ彷徨」「冬の森」「富士見高原の思い出」から構成されています。
「落葉松峠」(初出「アルプ」第17号)は雨池のそばにある無名峠において著者が1957年10月下旬に体験した、落葉の舞い狂う様を描写したものですが、一度どこかで読んだことがあって強い印象が残っているものでしたが、どこで読んだのか思い出せませんでした。(私の大好きな「忘れえぬ山」かと思って調べましたが、「忘れえぬ山」に収録されている山口氏の作品は、「不帰二峰東壁」でした。)
「北八ッ日記」は、I〜VIIまでの7つのサブセクションに分かれていて、1953年10月〜1959年11月まで、ほぼ毎年北八ヶ岳を彷徨していたころの日記がベースになっています。同行者などについても記録されているのですが、Iに登場する川上久子さんと、IVに登場する山口久子さんは同一人物で、著者の奥さまであることが、最後の「富士見高原の思い出」を読んだ後では直ちに判明します。この「富士見高原の思い出」は直接は山の話ではありませんが、八ヶ岳南麓の病院で1950年3月から1年9ヶ月間を過ごした闘病生活の周辺がお話の舞台になっています。著者は1926年生のはずですので、20代半ばの出来事になります。尾崎喜八氏(1892年生)、串田孫一氏(1915年生)、朝比奈菊雄氏(1917年生)などが登場します。
続編である「八ヶ岳挽歌」を次に読もうと思って図書館から既に借りてあるのですが、こちらの巻末に、「定本 北八ッ彷徨」の紹介が載っていて、「溢れる詩情、生き生きとした躍動感! 山岳文学の最高傑作。」と最大級の賛辞が与えられていました。
地図を片手に読みましたが、北八ヶ岳に行ってみたくなること請け合いです。
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