著者は、その日本隊の京都大学学士山岳会(山岳部とOBの組織)の一員で、京大工学部出身。自身は梅里雪山登山隊には参加していませんが、遭難メンバーには同期の部員も含まれています。遺体発見後は、現地での遺体や遺品の回収に精力的に取り組み、ついには会社を辞めて現地で幾度も長期滞在し、この地域に住む人々との触れ合いを深め、彼らとカワカブ(梅里雪山のチベット人の呼び名)の周囲を巡礼(3回)し、聖山の意味を会得する、というような内容になっています。「聖山とは親のような存在だ」 「親」には、人間を誕生させ、育み、再びそこに還らせる、という「命の源」というニュアンスも含まれているとしています。そして、聖山に登る行為は、親の頭を踏みつけるものと同じだとの村長の言葉に納得し、当初は新たな登山ルートを探す目で山をみていたのが、聖山には登ってはいけないのだと考えを変えるに至ったのです。
この本は、登攀シーンなどは僅かしか登場しないが、優れた山岳書として人に薦めるのに値すると思いました。
京都大学学士山岳会の事故報告書が詳しく書いてあります、
http://acku.net/accident-symposium-2011-2-26/Kobayashi-Meiri.pdf
報告書をご紹介下さいましてありがとうございました。この本の著者である小林さんによるものですので、ぴったりでしたし、おかげで遭難した年を間違えていたことに気づき、訂正することができました。
この報告書の最後のページの写真は、氷河から発見された遺品のフィルムを現像したものですね、きっと。(そのことが本にも記載されていましたので)
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する