僕のバイク人生に縁の会った人達が載っているのだ。
先ず今野仁。ケルビム自転車工房の創始者で「ハンドメイドの父」と称されている。東芝の溶接工から独立して自転車フレーム製作へ、東京オリンピックで世界のマシンを目にし、4年後のメキシコオリンピックで日本選手が1000mTTで日本新記録を打ち立てるフレームを提供するに至った。
競輪選手に定評のあるトラックレーサーフレームを作ると共に、ロードバイク、ツーリング車でもホビーサイクリストによく知られる存在になった。70年代に、手狭になった世田谷から今の町田の工房に移ったとある。僕はその後の80年代に、僕の2台目のロードバイクをケルビムで作ってもらったのだ。
同時にケルビムサイクルチームに参加し、日曜日の練習走行とレース出場をするようになった。練習の後チーム員と仁さんとで談笑するのが常で、その内仁さんがビールを振る舞うことになる。進められるままに飲んでいると大変なことになるので、適当に切り上げて、自宅までの10kmほどを自転車で帰るのだった。仁さんは東芝を辞めてからフレーム作りを極める為に大学に入学したほどの技術者魂のある人で、自転車に関係していても、していない僕の仕事に関したことでも、技術的な話に花が咲いたことを思い出す。もう1台もケルビムで作った。
「奇跡のビルダー梶原利夫」がもう一つ僕が興奮して読んだ記事。僕が大学に入学した頃、本郷にあった土屋製作所がロードバイクフレーム製作の名門だった。その土屋製作所でフレーム作りの技能とデザインセンス、さらに技術革新や哲学で後進に多大な影響を与えたと。後にミヤタで、「日本初のツール・ド・フランス優勝車」のフレームを作るに至る。
僕が大学に入って自転車部に入部し、最初に買った、僕の人生初のロードバイクが梶原製作所製だったのだ。土屋製作所を出た人だが腕は確かで、でも格安で買えると先輩に教えられ、(多分初代の)Dura Aceのパーツが付いた完成車で11万円と、学割特別価格だったと思うが当時でも本当に格安で作ってもらった。自転車界ではそんな偉大な人だったとは、この雑誌で初めて知った。
「ハンドメイドビルダー名鑑」に載った,ブランド「Quark」を売る細山製作所の細山正一さんも懐かしい。今野さんの弟子的存在で「走るビルダー」として知られ、ケルビムの練習にも時々参入していたので一緒に走り、峠道で彼に勝って誉められた思い出もある。
今野仁さんは2013年に亡くなり、息子の真一さんが後を継いでいる。スチールフレームの時代じゃないと言っている僕なのに、真一さんに3台目のケルビムを頼みたくもなってきた。
クロモリロードバイク
石渡019
丹下チャンピオン
古き良き時代でしたね。
イタリアンカットラグ・・・
ラグレス・・・
溶接はシートステイを見たら判る・・・
クローシートステイ一本巻き・・・
いろいろ懐かしさがこみあげてきました。
しかし、あの今野仁さんと
そんなご関係だったのですね。
クマ
この本で藤井徳明さんがロードバイクフレームの構造を主に材料力学観点から解説していて,鋼からアルミになってチューブが太くなった訳が良く解ります.鉄より軽いアルミだが,同じチューブ径でクロモリと同じ強度にするのに厚さ3倍となり重さはほぼ同じで何も得しない.太径にして剛性アップ,特にねじり剛性が改善したと.一方鋼で太径にすると飲料缶並みの薄肉ベコベコ,握ってつぶれるものになってしまう.
藤井さん本職はホンダ栃木工場の研究員で,僕が栃木工場で講演と見学する機会があって藤井さんに会いました.藤井さんが書いた「そうだったのか ロードバイクの科学」を僕は買って読んでいたので会わせてもらったのです.スポーツ用具を「科学する」のが得意で,スキー・スノボでもその類の本を出しています.
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