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30年ほど前、シンガポールに5月から10月までの半年間住んだ。気温は今の東京よりは低い位だが、湿度が恐ろしく高い。この時期は乾季で比較的湿度が低いらしいが、少なくとも東京の夏よりはるかに蒸し暑かった。私も妻もエアコンはあまり好きではないが、24時間つけっぱなしにせざるを得なかった。
室外から冷房の効いた室内に入ると、メガネが真っ白になる。しばしばスコールがあるが、日本の夕立とは違って生暖かい雨だ。雨が上がると蒸し暑さが増し、一層不快になる。住まいのそばにプールがあり、夕食前にひと泳ぎするのが日課だった。近くの運河沿いに公園があった。昼間はガランとしているが、夜になると賑やかになって、毎晩夏祭りのようだった。
それから10年ほど後、今度はサウジアラビアに1年半住んだ。リヤドから砂漠を5時間ぐらい走った果てのペルシャ湾岸。巨大な油田施設に小さな町が付随していた。
5月中旬から10月初めまで、毎日最高気温40℃以上、最低気温も30℃を下回らないことが多い。雨は一滴も降らない。ここでは、少なくとも日本人は、冷房がなければ生きて行けない。サウジの人はどうかというと、冷房をギンギンに利かせないと気が済まないらしく、職場の室温は常に20℃以下だった。冬の北海道の裏返しのようなものだ。これはこれで私には耐え難く、ウールのセーターと厚手のズボンを着用しても芯から冷えてしまう。日に何度か外に出て、日陰で身体を暖めた。
陸上は人間が水を撒く場所以外、全ての植物が枯れ果て、もちろん蝉も蚊もいない。だが、目に前の海には魚や海鳥がいて、一度だけだがイルカの群れも見た。ここでもまた、夕方ひと泳ぎするのが唯一の気晴らしだった。ところが、初めはとてもきれいな海だったのに、次第にゴミが増えて来た。ペットボトル、ビニール袋、衣類等々。ペルシャ湾には反時計回りの海流があって、これに乗ってクウェート側から流れて来るらしかった。
サウジでは肉体労働は全て、パキスタンやバングラデシュからの外国人労働者が行う。海岸の清掃も彼等の仕事だが、あまり熱心にやってくれる訳ではない。仕方がないので、まず自分でゴミを拾ってから泳いでいた。ある時、沿岸警備隊のオヤジが来て、「お前は日本人なのに、何でゴミ拾いなんかしているんだ?」と質問した。ここでは日本人はいわば名誉白人みたいな扱いなのだ。「自分の遊び場だから、気の済むまで自分できれいにするんだ」と答えたが、納得したようなしないような顔だった。
ある夜、停電が起きた。エアコンが止まり、次第に壁から熱気が滲み出て来た。やがて耐え難くなり、外に出た。町全体ブラックアウトだった。いつもは24時間煌々と燃えている製油所の余剰ガスの巨大な炎が消えて、真っ暗だった。常に絶え間なく響いていて、いつか慣れっこになっていた燃焼の轟音も消えて、却って耳がジーンと痺れた。闇と静寂の中に熱風が吹き渡る。それがここの自然の姿なのだろうが、まるで人類滅亡後の世界のようだった。
10月の半ばにようやく気温が下がると、朝方大量の結露が生じ、まるで雨が降ったように屋根からボタボタ落ちた。ここの建物には雨樋がなかったようだ。終わらない夏はないと、しみじみ思った。本当の雨が降り地面に草が生えるのは、もう少し先のことだった。
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