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朝の日の光を浴びる岩木山神社前の駐車場は、人影もまばらで清々しい空気に包まれている。
5時50分、登山装備に身を固め、見上げる程の大きな鳥居を潜り抜け、緩く長い上り坂が続く石畳の上を社殿へと進み、短い階段を上がると通路を塞ぐ様にして置かれた賽銭箱があったので、その前にて参拝を済ませた。
生憎手元に小銭が無い事に気づいたが、下山時に入れさせていただく事とし、初めて歩くコースとなる社殿の左脇にある百沢コースへと早速足を踏み入れた。
岩木山は、私の登山人生の始まりとなった山であり、あの日初めて一人で登頂を果たし、目の前に湧き上がる雲を前にして口にしたおむすびの味、そして眼下に広がる眩しい程の緑と、その先に何処までも続く下界の風景は、今でも忘れる事は出来ない。
あの時の心に刻まれる感動が無ければ、今こうして登山を楽しむ事はなかったと思う。
今回は、先日の天狗岳山行で腸脛靱帯炎が悪化し、復路では文字通り左足を引き摺りながらの下山となった苦い経験を踏まえ、その原因の一つと思われる足の運びかたを見直す為のリハビリとして岩木山を選んだ。
この山行を無事に終えることができれば、今後の山行にも大いに自信がつく事になるだろう。
しかし、日常生活でも階段でちょっと無理をすると左膝に激痛が走り、暫く左足を引き摺ることになる為、今回は痛みが発生する兆候がみられたら、その場で下山する事とした。
いつもよりゆっくりとした歩調で山道を進むとアスファルトで舗装された車道が横切り、その向かいの公園を真っ直ぐに進むとスキー場へと抜けた。
赤や白や黄色の小さな花が咲くうっすらと轍が残る山道からは、青空の下、流れる雲の合間から岩木山山頂が見え隠れしている。
長閑な風景を楽しみつつ歩みを進めると、左手には本格的な山道の始まりを示す案内板が現れ、足を止めること無く山道が続く森の中へと進んだ。
やや薄暗い山道は、前日の雨により滑りやすく、徐々に道幅を狭めながら険しさを増すが、足下は道がしっかりと見え、迷う心配は全くなさそうだ。
左膝をかばいつつ、意識的にやや足先を外側に開きぎみにして、足場を選びながら丁寧に歩みを進めるが、やはり時折鈍い痛みが左膝に走る為、悪化させないように、ストレッチを繰り返しつつ我慢の山行が続く。
しかし、今回は歩き方を見直す為のリハビリ登山と自分に言い聞かせ、焦らず丁寧な足運びに徹する事とした。
つい足下ばかりを見ての歩行となり、あまり景色を楽しめずに暫く歩き続けると、突然視界が開け、美しい景色が目に飛び込んできた。
気がつけば、雲は眼下に広がっており、自分は既に周辺の雲よりも高い位置に到達していたようだ。
まだまだ先は長いが、この美しい景色を前にして、なんとか頂上まで行けそうな気力が湧いてくる。
そして少し先の焼止りヒュッテを通りすぎると、意外にも山道は沢の中へと入り、やがて滑りやすい沢道には雪渓が覆い被さり、間も無くして沢の流れは、登るほどに厚みを増す雪渓の下へと消えた。
サラサラと水が流れる音が足下から聞こえる雪渓の上を、踏み抜きや滑落を警戒しつつ恐る恐る登り続けると、時折雪に冷やされた冷たい風が頬を撫で、山登りで火照った体を癒してくれ、また、沢の脇に咲く小さな花達が、心を和ませてくれる。
ふと視線を上げると、山頂がある方角の右手の丘の上には雲は無く、どうやら山頂では素晴らしい景色が期待できそうだ。
はやる気持ちを押さえ、左膝を気にしながら更に暫く雪渓を登ると、足下からは雪渓が消え、小さな池がある種蒔苗代へと到着した。
ここは景色がよく、腰を下ろすには丁度よい石があったので、これから先の急な斜面に備え、少し休憩する事とした。
軽くストレッチを済ませてから石に腰掛け、持参した羊羮と共に水筒の熱いお茶を口に含む。
青空の下、太陽の光に輝く池の周辺は緑に覆われ、所々岩が露出して起伏に富んだ斜面の一部には、真っ白な雪渓が横たわっている。
そして、今登って来た谷間の先には、沢山の雲が浮かんでおり、雲の合間からは下界が覗いて見える。
あと少し持ちこたえてくれるだろうか…祈る気持ちで時折鈍い痛みが走る左膝を気にしつつ山頂がある筈の方向を眺める。
休憩を済ませ、鳳凰ヒュッテを通り過ぎると、今までの景色とは一変し、目の前の斜面には不安定な大きな石がゴロゴロと存在し、一つ乗り越える度に左膝に違和感を覚えるが、不思議と耐え難い痛みは無く、これならば何とか山頂まで行けそうな気がした。
息を切らせつつ斜面を登り詰め、ふと見上げれば、山頂は既に手が届きそうな距離にあり、この目の前の急な斜面を登りきれば、いよいよ山頂だ。
早速ゴロゴロとした大きな石が覆う目の前の斜面に取り付き、山頂を目指す。
あと少し…焦らず急がず一歩、また一歩と丁寧に足を運びつつ暫く登ると、意外にもすんなり山頂を示す鐘が現れた。
思わず二度、カンカ〜ンと鐘を鳴らし、9時40分、登頂成功を告げた。
息が上がったまま周囲を見渡せば、360°遮る物が無い独立峰特有の景色が広がっている。
北には北海道、西には八甲田山、南には白神山地…緑に覆われた眼下の鳥海山からは、大迫力のモクモクとした雲が湧き上がり、目の前に迫る。
あの時見た景色と同じだ…正に初めて登頂した時に見た、あの光景が目の前に今甦る。
そして懐かしくも感動的な景色を前に、あの時と同じくおむすびとお茶で昼食をとると、何とも幸せな感覚を覚えた。
岩木山には、嶽コースにて無雪期、積雪期共に登頂しているが、今回の登頂の喜びは一入だ。
感動的な景色を満喫しながらの昼食の後は、怪我も無く無事に登頂させてくれた事と、あの懐かしい風景をまた見せてくれた岩木山に感謝し、青森県の一番高い所にある神社である奥宮に参拝し、山頂を後にした。
前日までの左膝の調子が嘘であったかの様に調子がよいので、下山は嶽コースにて嶽温泉へと下ったが、相変わらず左膝の痛みは殆ど感じられず、更に県道3号線の脇に整備された歩道を岩木山神社がある東へと向かうと、途中案内板があったので読んでみると、この道は、「岩木山オオヤマザクラネックレスロード」と言うらしい。
成る程…確かに花は無いが、歩道脇には桜の木が立ち並び、枝には沢山のサクランボが成っている。
そして歩道は、落下した沢山のサクランボで埋め尽くされており、歩く度にプチプチと音がする。
花が咲く頃にはさぞかし美しい情景が見られることだろう…。
ふと左手の岩木山山頂の方角を見上げると、山頂は既に雲の中となっている事に気付いた。
岩木山の神の手助けだったのだろうか…左膝の痛みも殆ど山行に影響する事無く、更に恵まれた時間帯に登頂できた事を改めて感謝しつつ更に歩き続け、14時10分、スタート地点の岩木山神社駐車場へと到着した。
歩行距離18.7km、累計高度1494m、随分歩いたものだ…到着後は、勿論下山の報告かたがた感謝を込めて、僅ながら賽銭箱にお賽銭を入れさせていただき、またいつの日かこの場所から登頂できる事を願い、この旅の終わりを告げた。
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