|
|
|
横岡第二発電所取水堰の脇を流れる鳥越川には、ゴーッという音と共に霧が立ち込めている。
今日の鳥海山麓の予報では、30℃を超える暑さが予想されており、これから時間の経過と共に厳しい山行が予想される。
持参した5リットルの水と二日分の装備を入れたザックを背負い5時10分、取水堰近くの駐車場を出発し、南へと続く林道へと歩みを進めた。
うっすらとした轍が続く緩い上り坂を暫く進むと小さな広場が現れ、その先の雑木林の中には山道が続いており、やや薄暗い雑木林を数十匹の虻や蚊を纏いながら奥へ奥へと進んだ。
幾つかの涸れ沢を渡り、更に暫く進むと二本の丸太で作られた橋が現れ、その橋を鳥越川の右岸へと渡ると、やがて景色は朝日が木漏れ日となって差し込むブナ林へと変わった。
比較的平坦だった山道は勾配を増し、鳥越川を右手に見下ろしながら道なりに高度を上げて行くと、緩やかな流れの沢へと繋がり、その沢を暫く遡行すると6時40分に水の神様が祀られた大水揚場に到着した。
朝日に照らされた外輪山の険しい東壁を背景に、小綺麗に整備されたこの場所は、地元の方達が大切にされている場所であろうことが窺える。
大水揚場にて僅かな休憩を済ませ、いよいよゴーッという音と共に豪快に流れる鳥越川へと入渓するが、夏も真っ盛りだというのに、未だ雪渓が残る千蛇谷から続くこの沢を流れる水は、足が痺れる程に冷たい。
膝丈程の深さの流れは速く、沢床の石はぬめりにより非常に滑りやすい為、軽快に進むことは出来ないが、鳥海山山頂付近から連なる外輪山の垂直に切り立った美しくも大迫力の東壁を間近に眺めなからの遡行は正に感動的だ。
時折枝沢からは、温泉の様な臭いがする赤い色を伴った流れが合流し、その度に沢床に転がる石は更にヌルヌルと滑りやすくなり、遡行するのに神経をすり減らす。
また、進む程に行く手を阻む巨石は数を増し、それと共に落差が激しくなる為、シャワーを浴びながらの直登や高巻きを繰り返すが、苦労する程でもなく順調に遡行を続けると、鳥海山から流れ出る沢の水はいよいよ透明度を増し、日差しを浴びた水の流れはエメラルドグリーンの輝きを放ち、背景にある外輪山の緑を伴った岩壁の姿と共に目の前に広がる美しい光景は、つい立ち止まって撮影せずにはいられず、一向に遡行距離は伸びない。
そんな事を繰り返しつつ高度1200メートル付近に差し掛かると沢幅は狭まり、両岸から伸びる灌木の枝で覆われた為、枝を掻き分けながらの遡行となった。
そして更に高度1400メートル付近の出合いからは、沢の水量は一気に減少し、遂に伏流となり涸れ沢となった。
ここでルートファインディングを誤り、灌木が密集する藪へと進んだが、暫くして間違いに気付き、首尾よく千蛇谷へと続くルートへと復帰することができた。
しかし、これから進むべき目の前に続く涸れ沢には、大量の巨石が果てしなく転がる唖然とするような光景が広がっている。
気を取り直して歩みを進めるが、進む程に傾斜は増し、四肢を使いながら巨石を乗り越え続けると、高度1750メートル付近からは先が見通せない程の深い藪になると共に傾斜は更に増し、いよいよこの山行の最大の難所となった。
足下がズルズルと滑る湿った土で満たされた斜面に取り付き、細く頼りない灌木の枝を数本ずつ両手で鷲掴みにして、息を切らせつつ慎重に登るが、ふと藪の隙間から見上げれば、とても這い上がれそうもない傾斜の岩壁が存在している。
しかし、握力が尽きればこの急な斜面を滑り落ちることは間違いなく、ゆっくりと考えている余裕はない。
力を振り絞り、疎らに生える灌木の枝を右方向へと伝いながら、藪の中の足掛かりとなる場所を探ると、運良く藪の中に隠されたガレ場に取り付く事ができた。
ガレ場には何故か赤い実を沢山つけたキイチゴが群生しており、キイチゴの木を掻き分けつつ浮き石だらけのガレ場を更に登り詰めると、12時30分、目の前には雪渓を伴った千蛇谷が姿を表した。
そして他の登山者の楽しげな話し声が聞こえる雪渓へと息を切らせつつ進み、二日分の装備を詰め込んだ肩に食い込むザックを下ろし、大きな岩へと腰かけながら冷たい水筒の水を口に含むと、安堵したせいなのか両足の太ももの前の筋肉がつりはじめた。
千蛇谷を流れるひんやりとした心地よい風に癒され、足の回復を期待して軽い昼食をとりながら短い休憩を済ませた後は、重いザックを岩影にデポしてアタックザックを背に鳥海山山頂へと向かった。
それにしても暑い!
雲の合間からジリジリと差し込む日差しが体力を消耗させ、ヘルメットから流れ落ちる汗が目に染みる。
痛みが続く太ももを庇いながら千蛇谷から一時間程登り詰めると、漸く御室小屋へと到着した。
そして目の前に聳える最後の岩場を登り切り14時、本日の目的地である鳥海山山頂(新山)高度2236メートルに到達した。
大水揚場より千蛇谷までは、全く人の痕跡は感じられず。
その為か、特に涸れ沢では浮き石が多く、数百キロはあるだろうと思われる巨石に体重をかけると、いとも簡単に動いてしまうこともあった。
勿論ルート上に人工物は無く、残置されたテープやロープ、更に小さなゴミなどの落とし物も一切見当たらず、手付かずの雄大な自然を満喫できる往復2日間の旅となった。
落とし物と言えば、熊のものと思われる植物の実が混じった物が多数見受けられた為、野生動物にとっても食べ物が豊富なよい環境の場所なのだろうと思う。
願わくば、人々の営みの近くに在りながら、未だ手付かずの大自然が残るこのような場所が、後世まで残る事を期待したい。
この山行は、岳人11月号に掲載していただきました。
この場を借りて編集部の方々に感謝申し上げます。
五感を満足させる素晴らしい景色と出会いたい…。
青い空に白い雲、目の前に広がる緑色の道なき大地をただ一人歩みを進める。
払い除ける度にガサガサと音を立てる木々が生い茂る藪、痺れる程に冷たい沢の水、フカフカの苔で覆われた岩、立ち塞がる巨石、四肢を存分に使い大地の営みを手の平で鷲掴みにしつつ今日の目的地を目指す。
目の前に現れる困難は、克服する度に昼食の味を格別なものへと変え、達成感をより大きなものへと変える。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚全てを満たす場所がここにある。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する