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あの日、山頂で迎えてくれたのは満開のミネザクラだった。
この感動的な出逢いに、いつの日にか又この場所で会える事を約束し、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
2022,05,29
部名垂沢沿いの林道は、前日の雨のせいか、路上には時折落石や倒木が散乱しており、右へ左へと避けながら車を走らせる。
ぬかるんだ道が続く林道を暫く進むと、やがて小さな広場で行き止まりとなった為、今日の山行はここからのスタートとなった。
今年始めての沢装備を身に纏い、6時11分、まずは、林道から部名垂沢へと続く山道へと歩みを進めた。
山道には、前日の雨と雪解け水で増水している為か、右手からゴーッ!という荒々しい沢の音が響いており、ザックに取り付けた熊ベルの音をかき消している。
6時16分、山道は沢へとぶつかり、早速遡行を開始した。
沢は膝下程の深さだが、流れは速く、気を抜くと容易に足を流される為、沢幅の殆どを埋め尽くす川石の上を進むが、踏み込む度に崩れる石は安定感に乏しく、非常に歩きにくい。
辺りには風を感じることは殆ど無いが、見上げれば、灰色の空からの日差しは無く、低気圧同士の僅かな合間を覆う今日の空を、雲が次から次へと速い速度で流されて行く景色を眺めながら、稜線上での困難な状況を覚悟した。
暫く進むと堰堤が現れ、左岸から越えた。
その後も堰堤が連続するが、左岸に明瞭な巻き道が存在し、これを利用しながら遡行を続ける。
沢幅は次第に狭まり、辺りには巨石が目立ち、それにつれ沢の深さも増してくるが、両岸には相変わらず川石が堆積している為、進路に困ることは無い。
7時47分、高度約550メートル、頭上を覆っていた灰色の空の隙間からは青空が見え始め、それと共にこの谷間にも光が差し込み、鮮やかな緑の森に囲まれた部名垂沢の姿が露となった。
左手からはキラキラと水しぶきをあげながら美しい滝が本流へと流れ込んでいる。
この景色を前に、一息入れることとした。
久しぶりの沢登りは、体が慣れない為か、なかなか堪える。
石に腰掛け、ペットボトルのスポーツドリンクを口にする。
そして短い休憩を終えた後は、また遡行を開始した。
8時35分、高度約700メートル、二股へと差し掛かり、左の本流へと進むと、少しして最初の滝が姿を現し、右岸を巻いて更に進むと雪渓が現れ、沢の上にスノーブリッジを形成している。
水が滴るスノーブリッジの中は太陽の光が差し込んでおり、中のひんやりとした空気は遡行で火照った体に心地好い。
スノーブリッジをくぐり抜け、更に進むと、視線の先は辺り一面雪渓に覆われ、ここで沢靴にチェーンスパイクを装着し、雪渓の上へと登るが、雪渓には所々に崩れ落ちた穴が存在し、その中には、勢いよく沢の水が流れている。
踏み抜きに警戒しつつ恐る恐る歩みを進めるが、生きた心地がしないとは、正にこの事だ。
少しして、また二俣へと差し掛かる。
右手の雪渓の先には大きな滝が見え、迷わず左手へと進むと、間も無くして雪渓は途切れ、その先には大きなスノーブリッジが架かり、真っ暗な口を開けて待ち構えている。
恐る恐る四つん這いになりながら冷たい沢の中を進むと、抜けた先には突然滝が現れた。
8〜10メートル程あるだろうか…切り立った右岸には古いロープが数本ぶら下がっているが、とても命を預けられるような代物ではない。
しかし、よく見るとホールドが多く存在し、ロープ無しでも登れる為、右手に持った愛用のゴルジュハンマー(沢バイル)を岩に引っ掛けながら登りきり、更に上流へと進んだ。
主な滝は更に2つ程あったが、何れもホールドが多数存在し、往復共にロープを使用する必要はなく、結局今回持参した沢道具は、ゴルジュハンマー以外はただの重しとなった。
進む程に沢幅は更に狭まり斜度を増すが、幸い天気は回復し、青空の下、シャワーを浴びつつ時折現れる小滝を越えながら遡行を続けると、また二俣が現れ、地形図を確認し、右手の沢へと進んだ。
少しして沢は涸れ、高度約1250メートル地点で完全に消失した。
そして50メートル程の藪こぎを経て、11時7分、羽後朝日岳へと続く稜線へと上がった。
稜線上は、予想した通り、立っていることが困難な程の強い風が吹き荒れている。
しかし、辺りを見渡せば、雪と緑のコントラストが美しい和賀山塊の山々や、水色に輝く夏瀬ダムなどの美しい景色が目を楽しませてくれる。
稜線を辿った先には、今日の目的地である羽後朝日岳の姿も見え、ここに沢道具とチェーンスパイクををデポし、南西へと続く密集した灌木が覆う稜線上を、一路羽後朝日岳を目指し、歩みを進めた。
密集した灌木の枝は固く、押し退けて進むには、既に沢登りで疲れた体にかなり堪える。
どうやら灌木帯の中にあるうっすらとした踏み跡を辿るよりも、点在する笹藪を辿った方が効率が良さそうだ。
稜線は更に南東へと向きを変え、稜線脇の草地を進み、小ピークの手前へと差し掛かると、目の前には密度を増した灌木帯が続いており、真横に伸びる木の枝が進行を妨げ、押し退けるにも跨ぐにも非常に困難な状況となり、いよいよ行き詰まった。
仕方なく少し後退し、周囲を確認すると、稜線の進行方向左手の斜面には、未だに残雪があり、藪との境目を辿れそうだ。
ツルツルの沢靴では、もしもこの斜面を滑落したら、停止することは出来ないだろう…チェーンスパイクをデポしてきた事が悔やまれる。
スリップしながらも草木を掴みながら恐る恐る稜線の左手の斜面をトラバースして行く。
そしていよいよ羽後朝日岳山頂直下の緩いコルへと到着した。
見上げれば、枯れた草が覆う斜面には、白やピンク、黄や紫など様々な色の花が咲き、到着を歓迎してくれているかのようで嬉しくなる。
そして最後の斜面へと取り付き、山頂へとうっすらと続く山道を風に煽られつつ登りきり、12時4分、羽後朝日岳山頂へと到着した。
山頂では相変わらず立っていられない程の強い風が吹き荒れており、側にあるミネザクラの花は、残念ながら既に皆吹き飛ばされ、葉桜となっている。
ガッカリしつつ、藪を掻き分け、大荒沢岳が見える標柱裏へと廻ると…果たしてそこには、三年前の登頂で迎えてくれた時と同じ、沢山のピンク色の花を咲かせたあのミネザクラの姿があった。
この強風吹き荒れる中、やはり待っていてくれたのだ。
思わず花びらに触れ、再会の感動を分かち合う。
青空には白い雲が浮かび、未だ雪を残す和賀岳をはじめとした新緑に染まる周囲の山々と、その険しい稜線が織り成す美しい景色がこの感動をより深いものとしてくれた。
無事に再会を果たし、ほっと一息ついた後は、山頂の笹藪の中に身を隠し、持参した水筒のお茶と共に鮭のオムスビを口に頬張り、再会の感動と共に空腹を満たした。
そして、またいつの日にか再会することを誓い、ピンク色の花を揺らすミネザクラに別れを告げ、名残惜しいが羽後朝日岳山頂を後にした。
嘗て秘峰と呼ばれた羽後朝日岳は、未だ健在であり、今も尚容易に登頂することは出来ないが、ここには辿り着いた者だけに与えられる秘宝が待っている。
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