|
|
|
未明、真っ暗な宮古街道には、すれ違う車も無く、ヘッドライトの明かりを頼りに西へと車を走らせる。
突然左手の道路脇に現れた大きな鹿がじっとこちらを見つめる横を通りすぎ、登山口へと続く林道へと右折した。
この罪がない顔をした鹿が、後に遭遇する不自然な森の姿に繋がるものとは、思いもしなかった。
未舗装の道に揺られながら暫く車を走らせると、左手にはヘッドライトに照らし出された仮設トイレが現れ、更にその先には、山道入口のゲートが見える。
駐車場に車を停め、車中にて朝食を済ませると辺りは明るくなり、早速車から降り、入山の支度を始めた。
身支度を終え、夜が明けたばかりの握沢登山口の前にて、サラサラと流れる沢の音を聞きながら入山届けを済ませ、4時40分、ゲート脇から山道へと足を踏み入れた。
右手の堰堤から流れ落ちる水の流れを眺めながら広い山道を進み、案内板が指し示す左手の森の中へと続く階段を上って行く。
比較的平坦な山道は、沢の右岸側に続いており、まだ薄暗い山道に時折現れる鉄製の橋を渡りながら先へと進む。
そして、5時33分、沢に架かる歩み板を渡しただけの古めかしい橋を渡ると鳥居が現れ、その鳥居をくぐり抜けると、いよいよ山道の斜度は増していった。
暫く進むと、薄暗い森の中にも漸く朝の日差しが差し込み、10メートル以上ありそうな背の高い木々の合間からはオレンジ色の光が差し込み、地面を照らし出している。
しかし、いつもなら背の低い草木で覆われている筈の地面は、まるで幹の周りを綺麗に刈り払いしたかの様な不自然な光景が広がっており、不思議に思いつつも妙に見通しの良い森の中へと続く山道を進んだ。
6時13分、7合目を通りすぎ、高度約1440メートルから周囲を覆う木々の背丈が低くなり、灌木帯へと変わった。
頭上が開けた空からは、夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、体力を奪う。
足元は次第に土から岩へと変わり、苔むした岩は非常に滑りやすく、更に進むほどに岩は大きさを増し、山道の斜度も更に増していった。
しかし、日向となった足元の岩の隙間には、美しい花達が咲き誇り、目を楽しませてくれ、遠くの晴れ渡った青空の下には、時折木々の合間からどっしりとした岩手山の姿を望め、既に大分高度を稼いだことを実感できる。
6時48分、8合目へと到着。
目の前には巨大な岩が迫り、山肌を撫でる少しばかりの風が火照った体に心地好い。
更に7時36分、高度は約1700メートルに達し、9合目に到着した。
そしてチョロチョロと足下を流れる沢の音が聞きながら、涼しげなこの場所で肩からザック下ろし、休憩することとした。
この場所からは、まだ早池峰山の頂上は確認出来ないが、後300メートル程高度を上げれば山頂に達する筈だ。
この様子では、きっと素晴らしい景色が待っていてくれることだろう…。
期待を膨らませつつ、ペットボトルのスポーツドリンクで喉を潤した。
僅かな休憩を終え、目の前に続く大きな岩の連なりをたどると、辺りはいつの間にかハイマツ帯へと変わり、ふと見上げれば、岩で覆われた早池峰山山頂らしき岩峰が見える。
あと一息だ。
そして8時11分、門馬コース分岐に到着。
辺りには多くの人達の姿があり、行き交う方と挨拶を交わしつつ避難小屋を目指し、8時17分、避難小屋脇の岩を乗り越え、早池峰山1917メートルの標柱が立つ山頂へと到着した。
見上げれば、青い空にはうっすらとした白い雲が浮かび、眼下には眩しい程の緑に包まれた山々の姿が見える。
気象条件が厳しいであろうこの岩で覆われた山頂でも、周辺には様々な色の花達が咲き乱れ、花の百名山の名に相応しい光景が広がっている。
不馴れな山域で無事に山頂に到着でき、先ずはホッと一息ついた後は、気になる鶏頭山への縦走路の確認を済ませ、更に今日の目的地である早池峰剣ヶ峰の頂を探してみる。
西へと連なる稜線の先に見えるピークがそうだろうか…。
山頂で出くわした数人の方との会話の後に、早速向かってみることとした。
小田越コースとの分岐を通りすぎ、左右に張られたロープの内側の山道を西へと向かうと、向かい側から来た方が、いきなり足でロープを踏み倒して細い山道を塞ぎながら、近くの花の撮影を始めた。
植物の保護を目的として張られたらしいロープを目の前で踏み倒す行為に面食らい、山道を塞がれ進めない為、その撮影する行為を見ながら少しの間その場で立ち尽くした。
撮影が終わり、目の前で立ち尽くすこちらに気が付き、気まずい雰囲気が流れる中をすれ違った。
折角のこの山の環境を守ろうとする方々の気持ちを踏みにじる行為をしてまで撮影した花達の画像は、果たして満足のいくものだっただろうか…いいねボタンは沢山押して貰えただろうか…。
目の前で行われた行為により、やや不愉快な気持ちを胸に岩場を通りすぎ、灌木帯のトンネルを腰を屈めながら通り抜け、更に細い岩場が続く稜線上を進むと、9時8分、早池峰剣ヶ峰1827メートルの標柱が立つ山頂へと到着した。
広大な山域の中にポツリと存在する頂から眺める360°のこちらの景色もなかなかのものだ。
日陰が無く日差しは暑いが、幸いこちらの山頂は沢山の人の姿がある早池峰山の山頂とは違い登山者の姿は無く、貸し切り状態なので、この山頂を吹き抜ける心地好い風を感じながら、少し早い昼食にすることとした。
ザックを肩から下ろし…んっ?…何か臭う。
辺りを調べると、標柱から数メートル離れた地面に人のウン○があり、既に靴で踏みつけられた生々しい痕跡も確認できるそれには、沢山のハエが集り、今日の暑さで臭っているのだ。
早朝から汗水垂らし、期待しつつ登った先で目の当たりにした、立て続けのマナー違反行為に、怒りでは無く落胆した。
この山域では携帯トイレ持参の推進やトイレブースの設置等、特に用を足す行為は制限されている筈。
これが美しい花が咲き乱れる「花の百名山」の現状なのか…トイレのルールを厳しくしなければならない意味もよく分かる。
さて、暫くして他の登山者も到着し、知らない者同士、会話を交えながら皆それぞれに簡単な食事をしていたが、きっと皆あの臭いを感じていたに違いない。
しかし、食事中にその事に触れないのは、やはり皆大人だなぁ…などと妙に感心しながら昼食を終えた。
その後、今一度この美しい景色を目に焼き付け、気まずい時間を共にした登山者達とにこやかに別れを告げ、早池峰剣ヶ峰山頂を後にした。
以前登った山々でも同じようなマナー違反行為には、少なからず出合ったのだが、特に名山と云われる山には、様々な常識をもった多くの方々が、様々な目的で訪れる場所なので、自分も含めてマナー違反や、そこに暮らす動植物に、意図せず負荷を与えてしまったり、また、それにより不快な思いをすることが少なからずあった。
今回もすっかり後味の悪い山行となってしまったが、山での利己的な感情や行為は、時としてそこに居合わせる他人や自分の命を危険に晒すことは、今までの登山人生により既に学んでいることだ。
今回は、目の当たりにした行為を反面教師として、山への畏怖の念を忘れず、利己的な振る舞いは厳に慎もうと改めて感じた山行でもあった。
さて、話しは変わり、下山時に復路をたどっていた時の事。
不人気らしいこの門馬コースでは、行き交う者も無く、9合目付近で出会った登山者が一人だけだった。
高度を下げつつ、相変わらず見通しの良い不自然な森の中に続く山道を下っていると、何やら森の中に一人座り込み、くつろいでいる方が居る。
挨拶を交わし伺ってみると、この山域の監視員の方らしく、早池峰山の事について沢山の知識を与えていただいた。
その中でも興味深かった事は、背の高い木々を残して、幹の周りの草木を刈り払いしたかの様に広がる不自然に見通しの良いこの森の話しだった。
この監視員の方との出会いがなければ、この森に起きている事の重大性を理解することはなかったことだろう。
話しによれば、この方がまだ若かった頃には、ここにも他の山で当たり前に目にする様な見通しの利かない鬱蒼とした森が広がっていたそうだ。
しかし、ある時から鹿が増え始め、草木やその芽を全て食い尽くしてしまい、この様な森の姿になってしまったそうだ。
確かに付近の鹿対策として網で囲まれた場所には多くの草木が繁っているが、その外には背の低い草木はほとんど生息しておらず、その違いは驚く程明白だ。
今までは、地元に近い白神山地での鹿の生息数増加の懸念を耳にしても関心がなかったが、この惨状を目の当たりにすると、事の重要性がよく分かる。
一度この様な不自然な森の姿になると、鹿が居なくなるまでは再生は不可能だろうし、現状が続けば折角発芽した次世代の木々の繁栄の行く末もまた閉ざされることだろう。
この知識は、次の白神山地核心地域のボランティア巡視員を引き受ける際に役立てたいと思う。
監視員の方とは、その場で一時間以上の会話の後に別れたが、表向きの花の百名山では、後味の悪い印象を持った今回の山行だったが、門馬コースを辿ることにより目の当たりにした鹿の食害について、監視員の方に教わることが出来たことは、大きな収穫だった。
実は今回は、この暑さの中、冷たい沢の水に浸かりながら沢登りをしたかったのだが、前回の山行で右肘と腰を痛めて未だ完治しない為、以前秋田駒ヶ岳で出会った登山者から勧められていた早池峰山へと足を運ぶこととしたが、この機会を与えてくれたあの方にも感謝しなければならないだろう。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する