山行なども含め、奥武蔵や奥多摩などを訪れる機会も多い。奥に続くバスの乗車・下車時には、飯能・武蔵五日市などの町に立ち寄り落ち着いた古い町並みを懐かしく感じるときもある。
「ポツンと一軒家」はよく見ているテレビ番組だ。特に奥多摩は身近な地域なので興味深い。武蔵五日市からの笹平バス停から小坂志川を上ったところの仕事場が昨年取材されたことを覚えている。
http://today247.info/hinoharamura/
取材を受けた人が林業を取り巻く状況を語っていたことが記憶に新しい。「現在50年ほど経ったスギの木の収益が一本700円程度にしかならないため伐採後の植林などを考えると林業としての山林維持は困難である。かつて檜原村には新宿地域より多くの人々が生計を立てており、山から切り出した木を、鉄砲堰の利用・管流し・筏などで運搬していた」などの話題が印象的であった。
かつて西川材の集積地であった飯能も、そこでは材木を運搬してきた人々の消費も支え町が繁栄していたそうである。一方林業には危険な作業も多く、いまでも労務災害が多い職種であると聞いている。以下の映像を確認すると、かつての作業なども危険であったことは容易に想像できる。
昭和30-35年の時代は「燃料革命」と位置付けられ、石油・ガスが薪や炭に取って代わったそうだ。実際家庭でも薪や炭の利用から、石油・ガス・電気にエネルギーが目に見えて変わっていったことを実感している。昭和50年ごろ島根県出雲にあった友人の実家を訪れたとき、薪の五右衛門風呂を沸かしてもらってびっくりした体験も覚えている。すでに薪を手に入れることも難しく感じていた時代だった。エネルギーとしての木材の利用は急速に消滅、材料としての木材はその後安価な外材と競合することになっていったのであろう。このため生業としての林業が成立しない時代背景が出現したのであろうか。
先日たまたま立ち寄った公立図書館で書籍「日本の森林を考える・田中惣次」が書棚に並んでいたので借出した。著者は1947年東京都生まれ、江戸時代初期から続く奥多摩桧原村の山林家14代目。まさしく取材された方だった。書籍からは森林の役割など具体的に示され参考になった。例えば「水害については樹木の集団である森林の持っている保水能力以上の雨が降った場合には水が流れだすまでの時間的な調整能力はあるが全ての水を森林に留め置くことはできない。かえって森林があることによって風で木の根元が揺すられ、そこから水がしみこみ、場所によっては土石の滑落の原因となる」などである。一般的に森林は山の景観を保持するものだと単純に考えていたことを反省させられた。「育林は50年、製品としてのプロセスはあっという間、複合的・柔軟な取り組みが不可欠である」という認識には全く賛同できるものである。社会生活の変化が急速になってきた時代、今後50年という期間は社会にとっては今まで以上に長いスパンであると思われる。現在楽しんでいる山路歩きも今まで維持されてきた山村の営みに大きく依存されてきたと感じられる。都市に人口が集中している今日山村が多くの人々の日常から切り離されてしまうことには危機感も感じている。
現在著者は森林作業に親しみを持てるように「遊学の森」プロジェクトも実施しているそうだ。
----------------------------------------------------
遊学の道Project(YMP)は、檜原村の「遊学の森」をフィールドに、道づくりを中心とした森づくり活動を行っています。
https://ympweb.jimdofree.com/
活動内容
遊学の道Projectでは、1年を通じて以下のようなプログラムを行っています。
https://ympweb.jimdofree.com/entry/activity/
-----------------------------------------------------
賛同できる取り組みで機会があれば見確認したい気もしている。身の回りにも複合的な視点が必要であるような気もする。
確かに、日本の森林問題は、多角的な視点に立って真剣に考える必要がありますね。
先日、東丹沢の600m〜700mほどの低山に登って冬枯れの落葉広葉樹の山道を堪能してきた時の気づきです。
冬枯れの支尾根の道を上っていくと、森林組合の「水源の森林」の真新しい杭が目に留まりました。帰ってから、その森林組合を紹介するHPを見てみると、事業の一つに「広葉樹林の整備」というのがあり、「広葉樹林は、燃料革命等により循環型林業施業が出来ず、肥大化して倒木等のおそれがあります。弦きりや間伐を行い広葉樹林の健全な森造りを推進しています。」とありました。
かつての薪炭跡地の二次林は、萌芽更新が行われないまま放置されていることが、豊かな水源の森づくりには一つに課題となっているようです。
そのため、下層植生が豊富で多彩な森林づくりを目指して、林分構造に加えて、照度、植生、シカ生息状況などの林内環境の把握が県によって進められているようです。
また、広葉樹の二次林を適切に管理することで、キノコ栽培などの原木やおがくずがえられることも、林業の活性化につながるように感じられます。
さらに、山好きにとっては、これからも気持ちの良い山登りが続けられるよう、こういう動きの成果を大いに期待したいものです。
それにしても、昨秋の台風の被害か、稜線間際の比較的大きな杉や樅ノ木が数本、無残にも根こそぎなぎ倒されていました。落葉広葉樹の木々は、かなり力強く根を張っていますのでそんなことはありませんでした。
著者によれが「スギは深根性で土が深く土質のよい場所;ヒノキは浅根性で尾根筋や痩せ地の人工林でも有効な一方、葉が密で日光を通しにくく下の空間は湿度が高い状態なので林床にはヒノキの後継樹は少なく耐湿性の高いヒバが多くなる」そうです。また広葉樹も以前は芽かき作業で栄養分を集中させていたそうです。木材の利用についても、古民家の太い曲がった栗の梁などにはあこがれも感じますが、移送・組付けを考えると限定的な活用でしょう。山で感じる自然の豊かさなども含め、世代を超えて影響のある環境資源については、経済価値を再評価する仕組みが求められている気もします。現在続いているCO2排出による温暖化問題、将来に渡って蓄積され続ける放射性廃棄物問題などが科学技術により解決できればいいのですが。
その後、標記の書籍を読んだ。著者は1959年生まれ。フリーの森林ジャーナリスト。著書に『森林異変』『樹木葬という選択』など。
以下に書評がある
「絶望の林業」書評 環境も経済も持続へ 希望探る
評者: 石川尚文 / 朝?新聞掲載:2019年10月12日
https://book.asahi.com/article/12787536
著者のブログを確認すると、別の書評の紹介も行っていた。
2019/11/09
日経新聞に『絶望の林業』書評!
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2019/11/post-524afe.html
著者の主張は、林業は山を生かすという意味で多様性が大きいが、山主・林業従事者・政策策定者など土地・植生などに応じた個別の専門性も不可欠である。一方、国の政策は担当者の任期が林業の多様性から比較すると短期で、任期中での達成可能な施策をとる傾向にあり、また知識や技術の蓄積も行われない傾向が強い。また山主・林業従事者などそれぞれ多様な思惑・事情があるため、結果的に補助金などが無駄に使われてしまうことを危惧するというものである。
著者の辛口の視点は、「日本の森林を考える・田中惣次」の江戸時代初期から続く奥多摩桧原村の山林家14代目の林業家の視点と今後の展望という意味では重なる部分も多い。
絶望の林業 (2019/8/6)を読んだ後、日本の森林を考える(2011/10/20)を読むと一層興味深いかもしれない。
森林環境税・森林環境譲与税の創設について、これまで明確に認識してませんでした。
確かに、市町村等地方の安定的な財源が充実されるのは、歓迎すべきことです。徴収された税金は「間伐や人材育成・担い手の確保、木材利用の促進や普及啓発等の森林整備及びその促進に関する費用」に充てられるとされていますが、いかに有効に使われるかがカギになりそうです。山登り愛好家も大いに関心を持って、可能な範囲内で多様な取り組みを支援したいものです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する