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越生駅は山行・散策の起点・終点としてしばしば訪れた記憶があったので、あえて散策のルートとしてヤマレコ登山記録として残すことは考えなかった(帰宅後改めてヤマレコ上のマップを確認すると散策地域周辺には赤線は入っていなかった。無名戦士の墓を訪れた思い出はヤマレコ記録を残し始めた2016年10月以前の記憶だろう。ある意味残念だった)。
越生駅構内で無料配布されている「大高取山周辺マップ」(おごせガイドマップの一部の地域ハイキングルートを記載した1:10,000地形図)を携えて、駅前から、法恩寺・越生神社・高取城跡(高取山)、その後正法寺の山際を通過して無名戦士の墓・五大尊つつじ公園を巡った。
さて駅前の法恩寺を訪れると正面に克明に刻まれた鏝絵があることに驚いた。鏝絵は伊豆・松崎が有名であることは知っていたが、具体的には大分県の日出や安心院などで見たことがあるだけだった。それに比較すると彫りが深くより立体的であることに感心した。通過した正法寺・焔魔堂にも堂内の塗り壁に鏝絵があるそうだ。ぜひとも今後確認したくなった。
無名戦士の墓からは越生町周辺を見下ろすことができる。駅周辺の佇まいもしっかりと確認できた。その後五大尊つつじ公園に降り立ち、ヤマツツジ林のなかの小さな蔵に入ると、その壁には蚕の繭の標本が飾ってあった。関東平野山麓の秩父・越生・青梅・八王子などは、内陸部の群馬、海へと開かれた横浜などを通して人流・物流が活発で、繭産業などを通じてある意味絹の道のような印象も感じ始めていたので、繭の標本には強い印象が残った。この活発な地域を通して、八王子・日野地域で新選組範士の一部が育ち、秩父事件に立ち上がった人々も行動したと思えていた。また五日市憲法素案も地域での集会などを通して練られていったのではないか。また山には林業を生業にしている人々も多く暮らし、石灰などの鉱物資源の採取も盛んで、その周辺を縦横無尽に山伏などの修行者が往来していたような気がする。山伏が各地の山を修行して回る場合、宿所・食料は里人や寺院の接待に頼ったそうである。里山歩きを始めてそのような印象を深めた。
「無名戦士の墓」を訪れることのを思いついたのは「トレイシー・日本兵捕虜秘密尋問所」を2020年年末に読了し、太平洋戦争での日本の戦死者の墓として「無名戦士の墓」「千鳥ヶ淵公園」「靖国神社」が取り上げられていたことからである。
翌2021年5月たまたま近くの神社がGHQが神社を宗教施設と位置づけることに貢献したという情報を得たことから、現地を確認しヤマレコ日記21/05/27に記載した。
また今年2022年5月の終わりに、千鳥ケ淵戦没者墓苑に新たに217柱を納骨との報道があった。6月に付近に出かける機会があり、イギリス大使館・千鳥ケ淵戦没者墓苑・靖国神社を散策してみた。たまたま読んだ書籍から以上のような関心へと深化していったことを興味深く感じた次第である。
写真:法恩寺鏝絵
写真:法恩寺鏝絵一部
写真:蚕の繭の標本
参考資料
●新たに217柱を納骨、千鳥ケ淵戦没者墓苑 2022/5/30 16:31 (JST) © 一般社団法人共同通信社
https://nordot.app/903880808283504640?fbclid=IwAR00RIbCK3EkONYmTK5XUMnvhE5e9GV-QMH1kqgBjkZ3KFl88P0q47GAzqE&fs=e&s=cl
●埼玉県越生町の正法寺の閻魔堂です。閻魔大王が祀られたお堂で毎年2月16日が縁日となっております。
https://shoubouzenji.jp/enmadou.html
●ヤマレコ日記21/05/27:敗戦時の臨時祭礼、所沢・山口の中氷川神社
https://www.yamareco.com/modules/diary/238211-detail-240814
鈴木金兵衛の札所巡拝碑
Suzuki Kinbee no Fudasyo junpaihi
越生郷黒岩村生まれの江戸日本橋の商人、鈴木金兵衛は、五大尊境内に、四国・西国・坂東・秩父百八十八札所を巡礼したのと同じご利益を授かることができる「写し霊場」を造ることを計画しました。弘化2年(1845)から札所写 (札所巡拝碑)の建立を開始しましたが、残念ながら完成には至りませんでした。 平成27・28年度、町は、不足していた碑を補い、 188の札所巡拝碑を巡るコースを整備しました。
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