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記事→令和5年中の長野県内の山岳遭難は、302件発生し、遭難者数は332人で、過去最多を記録しました。「無事帰宅するまでが登山」です。本年も安全登山でお願いします。
読み→しかしながら、令和5年中の長野県内の山岳遭難死亡者と行方不明は前年比−1名の40名でした。ここ10年間では厳冬期の登山がコロナ禍で影響があったとおもわれる、2019−20年を除くと、重大遭難は最低レベルで2015・2017年の60数名と比較して年間20数名も激減しています。「無事帰宅するまでが登山」ですが、通報して下山後「病院にも寄らず元気に無傷で自宅に戻られる、下山介助が増えていますので安易に考えず、身の丈登山をしっかり考えるようにしましょう」本年も安全登山でお願いします。
熟慮→よくよく考えると「無事帰宅するまでが登山」と考えると体調不良や打撲・擦り傷程度の軽症でも自信がなければがスマホ機器など電子機器の良くなっていることと「通信環境の」改善で「通報する登山者は増えるのかも知れない」
これは商業主義など煽る側が「登山はいつでも、誰でも、どこでも、簡単に安易に行けます」から買いましょう、行きましょう、映えましょうという風潮があるからかもしれない。「無事に帰宅する自信がないなら登山してはいけない」という当たり前のことだが今では誰も言わないし「舐めるなと先輩や先人の薫陶もない」。
「登山は年間全国で300名も亡くなるスポーツでそんなスポーツはないくらいに危険なものです、家族や一族郎党に迷惑をかける貴方だけの問題では済まされないお金のかかる冒険です」とすると登山用品は売れないし儲からないから相反するものだ。
山小屋なんかに豪華ホテル並みの宿泊料を払う登山者はいなくなるから、登山は危険なスポーツですという表現を一度も見たことは長年ない。「大人なら、馬鹿じゃあるまいし考えたらわかる当然のことだというのは、いかがなもので言わないと分からないのではないかと最近は思う」。
昔は重い装備に耐えられて「天気図が書けて、地図読みが出来る屈強な青少年のみに許されたスポーツだったものが、装備の軽量化、アブローチの改善、登山環境の改善、行動食などの進歩などにより、いつでも・誰でも・どこにでも・馬鹿でもに変容したのだ。」
https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangakusounan/kentou/documents/kentoukaihoukoku.pdf
2014年、10年前の長野県山岳遭難防止対策検討会の第一回の提言文書の「はじめに」には秀でた遭難防止について1番よく言い当てている優れた文章がある、節田重節座長の「山は勤勉さと謙虚さを学ぶ学校である」という言葉に耳を傾けてもらいたい。お一人でもこの文章の意味を理解できる登山者の方がいればと願うばかりだ。
節田重節座長はトムラウシ事故の座長でもあり明治大学山岳部の植村直巳の1年後輩の方で感慨深い。報告書の資料についてはさらに10年経過しておりまったく変容していているので割愛していただきたい。
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