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読むといえば山では「地図を読む」がある、登山サイトやGPSサイトが氾濫してアナログのナビゲーションが基本なのに地図さえ携行しない登山者がいる。最近は「紙ベース」はいらないじゃないかと豪語する登山者が増えた、スマホの紛失・不具合・故障・電源切れで初めて後悔する時がいつかはくるが、それは遭難と同義語だ。
地図読みは片時も地形図を離さず「現在地の確認をし、整置をしながら歩く癖をつけないと習熟は無理だ」胸ポケットやすぐに出せるところに収納してコンパスはよりすぐ見る癖がないとナビゲーションは難しい。
難しいから練習には根気がいるがGPSでいいじゃないかとこうなる。天気も晴れで練習してもダメだ雨やガス10m先は奈落の底に見える山で練習してこそ身につく、人について行っては練習にならない、先頭に立ちプレッシャーのある環境で真剣にやらないとダメだ。
安全が補償される同行者といき「生命の危険を感じながらやらないと身につかない」お蔭でこれだけは学生時代に身につけた、藪ヤマをこいで漕ぎまくっての時代だ、いまではでこの山でも踏み跡はある。
「紙ベースの地図を読まないので、たまに持参しても当然読めない」「スマホの地形図はしたがって読めない」とレスキュー隊が嘆いていた。「読めないので遭難した時にルートに復帰できない」京都の大文字山で登山サイトの地図をスマホに表示しながら他人に見せて「僕はどこにいるんでしょうか」と聞く登山者がいるらしい。
百名山・二百名山を終えて三百名山達成も間近で、金剛山登山も3000回を超えたと豪語する爺やを昨年四国の山奥で助けたときのセリフは「僕はいったいどこにいるんでしょうか?」だった、ピークハントや毎日登山のベテランだからといって登山力があるとは限らない、認知症ではない。ため口を叩いて自慢を言うからあることをいうと「押し黙った」。
登山サイトに長文の投稿をする「普段読書をしないので、長文は当然苦手だし文脈は読めない、意訳がわからない、意図が読めない」「読めないからトンチンカンなことばかりをいう」なんだか病的なことをいう。
人のことはいえないが「最近不気味になって来た、あまり関わらないほうがいいのかも知れない」SNS関係の無記名投稿と同じなんだろう。ふとそう考えた。論客の西尾幹二をして「SNSは嫌になったと言わせ」評論家の高橋洋一をして「低レベルを相手にしている暇はない、本物だけを相手にすると言わせ」「山の法律学著者」の溝手康史弁護士をしてNETをすると「馬鹿になる」SNSをやれば「アホ」になると言わせた。
人のことはいえないが、無記名・無責任の発信でも最近は名誉棄損など損害賠償の対象だがサイトの発言はとてもまともに相手をするほどのものではない「ストレスのはけ口でしかない」最近は、なんだか病的で世情や社会から溢れ出た難民ばかりのような気がしてならない。
いる場所ではなく「足を洗った方がいいかも知れない」他者承認欲求はない。
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