ところが、ご存じのとおり昨年12月20日をもって金剛バスの路線が廃止されてしまい、代替の南海バスはあるものの途中でコミュニティバスに乗り換えねばならず、富田林駅からのアクセスは不便なものとなってしまいました。
さて、そんな富田林駅前に「楠氏遺跡里程標」という碑があるのをご存じでしょうか?
富田林市のホームページなどによると、1901(明治34)年、楠氏紀勝会という団体によって建立されたそうで、碑の側面には「千早城址へ 三里三十二町」「水分神社楠公遺物陳列場へ 一里二十八町」などと、楠木正成ゆかりの名所への距離が刻まれています。
富田林駅は、近鉄の前身の一つ「河陽鉄道」によって1898(明治31)年に開設されましたが(河陽鉄道は翌年「河南鉄道」に譲渡)、南北朝時代における南朝を正統とする「水戸学」を奉じる勤王の志士たちによって達成された明治維新以降、南朝方の「忠臣」楠木正成を顕彰する気運が高まっていましたから、文字通りの「聖地巡礼」にやって来る人々も多かったのかもしれません。
でも、この碑が建立された当時、バスなんてまだなかったでしょうから、明治時代の徒歩による聖地巡礼はさぞかし大変なことだったのでしょう。
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