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同じ近鉄ではあっても、名古屋特急や伊勢志摩特急が踵を接して行き交う華やかな大阪線と比べると、些か影が薄い路線であります。
でも、この南大阪線、大阪線と同じく伊勢への延伸計画があったらしいんです。「ホンマかいな」って感じですが…(笑)。
南大阪線の歴史は、1898(明治31)年3月に「河陽鉄道」という会社が、柏原〜古市間を暫定開業させたことから始まります。(5月18日付の日記でも少し触れましたが、翌月、現在の長野線・富田林まで開業)
実はこの区間、現在近鉄を構成する路線中、最古の開業区間なんです。
古市(羽曳野)や富田林の人々は、柏原まで出て関西本線に乗り継げば大阪へ行けるようになったわけですが、河陽鉄道を受け継いだ「河南鉄道」は、「ワシら自身で大阪へ出た方が儲かってええンとちゃうのン、ちゃうのン」と思ったのか、社名を「大阪鉄道」(大鉄)と改称し、1923(大正12)年、柏原手前の道明寺から大阪天王寺(現・大阪阿部野橋)への路線を完成させます。
勢い(あるいは調子?)に乗った大鉄は大和方面への進出を画策して、大日本帝国にとっての「聖地」の一つで、近鉄大阪線の前身「大阪電気軌道」(大軌)が既に進出を果たしていた橿原神宮方面への建設を目論み、剰え大軌と競合する形で、先述のように伊勢への延伸を計画したというのですが、Wikipediaの「大阪鉄道」の項では伊勢延伸計画に関して述べられながらも、「要出典」の注釈がついて信憑性が担保されていません。
ところが、「鉄道ピクトリアル」誌2024年8月号に、奈良大学文学部教授・三木理史氏による「近鉄南大阪線・吉野線の成り立ち」という記事が掲載されているのですが、その中には、1926(大正15)年9月に大鉄の重役会で三重県に向かう参宮線の免許申請が決定された旨の記述があります。
南大阪線の伊勢延伸計画は実際にあったのです。
結局、伊勢進出は資金力に勝る大軌が果たすわけですが、近鉄田原本線の前身「大和鉄道」も伊勢進出を目指していて、一時期は三つ巴のカオス的伊勢進出レースが繰り広げられていたわけです。
やはり、大日本帝国最大の聖地、「うまし国」伊勢は、関西私鉄にとっては「約束の地」だったのでしょうか。
その後、大鉄は強気過ぎの経営の反動、昭和恐慌などの影響で経営難に陥って、ライバル・大軌の系列下に組み込まれた後、1943(昭和18)年、大軌の後身「関西急行鉄道」に吸収合併され、翌年、戦時経済統制によって「近畿日本鉄道」(近鉄)に改組され現在に至っています。
二上山近辺の閑散とした近鉄南大阪線も、実はこのような「兵(つわもの)どもが夢の跡」だったのです。
※写真左は二上山・雌岳山頂の日時計。右は近鉄南大阪線起点の大阪阿部野橋駅。
私は近鉄南大阪線の沿線民ですが
その昔、橿原神宮参詣のために建設された路線と思っていました
橿原神宮前駅は複雑な歴史があったと聞いていますが
伊勢延伸計画があったとは驚きの初耳学でした
現在の南大阪線が誇れるのは「青の交響曲」ですが
いまだに乗った事ありません😅
いつかは千本桜の吉野駅まで乗ってみたいです🌸
今は同じ近鉄となっている大鉄と大軌が、かつては大阪〜橿原神宮間の乗客誘致や、今は近鉄吉野線となっている「吉野鉄道」買収、果ては先述の伊勢進出をめぐるライバル関係だったことは、実に興味深いものがありますね。
伊勢神宮進出に関しては、他にも、今は近鉄名古屋線の一部となっている「伊勢電気鉄道」なんてのもあって、興味は尽きません。
私も「青の交響曲」にはまだ乗車していないので、是非乗ってみたいです。
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