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その分岐に立ち止まって正面から眺めた道標が(写真2)です。これを見て、高指山は下か、咄嗟にそう思い下方へ続く右の道を選びました(この判断はどうでしょう?私はやはりボケ気味でしょうか)。
歩いて行くうちその道は段々と下ってゆきます。そのうち頂上へ登るのになぜ下るのかという素朴な疑問が湧いてきたので、念のため道標のところへ引き返し、道標をよく調べてみました。そしたら、道標の横面に「高指山←、日和田山↑」と記してあるのに気づきました。
そう、(写真2)道標正面の矢印の意味は、上方、下方を示していたのではなく、左(こちら側)、右(あちら側)を示していたのです。高指山は(写真1)を左上方へ向かい。日和田山は右下方へ向かうのです。
あれあれ、やっぱり早とちりしてしまったと思い直し、今度は正しい左の上方への道を進んで行きました。ところが、こちらの道もわずかに上がって建物の前を通り過ぎたら段々と下って行きます。それでも道の左側は高い斜面なのでどこかで斜面を登り返すのだろうと楽観視していました。でもひたすら下るだけで、そのうち急な下り坂に差し掛かってしまい、さすがの私もこれはおかしいと考え、狐に化かされたような思いで、再び道標のところへ引き返しました。
道標の前に戻ったとき、ちょうど女性の登山者が来合わせました。
「高指山はどこなんでしょうか?」
「あら、ここよ。」
道標の前にある建物を示したではありませんか。
「え、この建物のあるところ?」
「そうなのよ。でも、鉄塔がなくなっているわね。高い鉄塔が立っていたのにね。」
しげしげと鉄塔跡を眺めています。
まさかここが頂上なんて夢想だにしませんでした。道標の前の少し盛り上がった場所(写真1)が頂上なんて、建物と広場があるだけではないか、しかも石塀で囲まれ入口には頑丈な鍵が掛かっています(写真3)。
先日は高松山で道標を見落とし、今回は道標に気付いても二重に誤解してうろうろしてしまった。なんてことをしてるんだ、お前は、ボケーとしてるんじゃないよ。誰かさんに怒られそう。
早とちりしそうな道標だけど・・・
でも親切な女性でよかった。老人を見かねてか、どこへ行くのかと声をかけて頂いた。山では、何気ない会話、何気ない仕草、ちょっとしたことが心に残ります。
いま、スピーカーから野口五郎の「哀しみの終わるとき」が鳴っている。いいなあ、年寄りの胸が熱くなるなあ、その名と同じというだけで「野口五郎岳」まで足を運んだこともあったけど、あのとき寄った野口五郎小屋のホットミルクは美味しかったなあ、都心の喫茶店よりも素敵なカップだったし、・・・
nibinさん おはようございます。
この道標は駒高の集落から林道を歩き、日和田山への下りの山道に入るところの物ですね。
子供の頃から何度も登っている山なので場所も分かっているし、あまり道標を詳しく見もしなかったですが道標は平面にして見るような感じで記されていますね。
高指山は電波塔(私達はテレビ塔とよんでいました)の跡。多分、デジタル放送になってから用済みになったのでは無いかと思われます。それ以前は建物の上に鉄塔があって、パラボナのようなアンテナがいくつかついていました。
今は封鎖されて、高指山の山頂は踏めませんが、私が子供の頃は、よくこの土手でお弁当を広げて食べたものです。
先日、フェンスの中には入れるかなと思って、擁壁を登ってみましたが、あまり意味が無いと思い直しやめました。
あの標識の辺りで登頂ということにすればいいのでしょうね。
todora5502さん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
年をとると認知能力が欠けてくるので、日常生活でもこんなことばかりです。
下って、また下って、本当に狐に馬鹿にされた感じでした。
偶々出会った登山者に教えてもらわなかったら、今でも首を傾げて、例によって検証?に出向いていたことでしょう。
ずっと手前から高指山の案内標識を目にしていたため、物見山のような頂上を想像していたので、まさかあの場所が頂上という風に頭が回らなかったです。
いっそ道標には「ここです」と記すべきだ、矢印で引っ張りまわすな、など八つ当たり気味でした。
「地面の上に置いて見る」、なるほと、そうゆう見方をすべきでしたか、これは新発見、今後の参考になります。
でも、こうゆうハプニングがあるから面白いのですよ。山歩きは人生と同じ、決まり切ったレールの上を一寸も外れずに歩いても何にもならないです。
思い出の大事な山を貶すようでごめんなさい。地元の山、これからもお楽しみください。
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