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大型連休中に一度も山へ行かないで過ごすというのも惨めな気がするので、コロナ騒動の中やはり出かけた。しかし、大型連休なのにいつもの景信山ではもったいないので、塔ノ岳に向かった。
昨年の秋にもう無理だろうと思って登ったら、意外にも頂上まで到達できたので、今回も挑戦してみた。前回から半年余り経っているが、景信山を毎週登っている体感ではそう体力が落ちたようには感じていない。
5月4日快晴、予想以上の人出でバスには長蛇の列、コロナが怖いのでタクシーを利用した。82才の年寄りが感染すればイチコロだろう。用心第一、多少の出費(大倉まで1800円)は仕方ない。老人は家に引っ込んでいろと言われそうだが、それでは気が狂ってしまう。
まあ、本当に人が多い。お祭りだ。若者が圧倒的に多い。最近、年寄りをほとんど見かけなくなった。以前は、60〜70才が連れ立って歩いていたものだが、その年齢層の姿が消えた。自分ひとりぽつんと若者や中年層に混じって歩いた。
まあ、そんなことはどうでもいい、自分さえちゃんとしていればいい。背中を曲げずに、リズムを崩さず、ゆっくりゆっくり、行けるところまで行くまで、コロナ警戒のため挨拶はしない。
今日は新しい目標を立てた―「休憩をしないこと」
現実には不可能なので、意味するところは、ただ漫然といつもの休憩地だからというだけの理由でザックを降ろさないこと、できるだけ歩き続けること、その方がいつもより疲労が少いかどうか実験してみようというもの。何か新しい試みを自分に課せば、マンネリを避け気持ちを引き立ててボケ防止に役立つのではないかと思うわけです。
1番目の休憩地(駒止茶屋)
それで従来、第一休憩地にしていた一本松先のベンチはあっさり素通りした。そのとき堀山の家まで歩けるかなと思ったのだが、さすがに駒止茶屋直下の急階段で息が上がり、茶屋上のベンチで5分間休憩(バナナ1本)した。
堀山の家は素通りした。従来ここのベンチでは必ずゆっくり休憩し、ここから花立山荘までのコース(自分にとっての一番の難所)に備えたものだが、頭の中では、ここで休憩するのはかえってマイナスになるのではないか、どうも休憩後の歩き出しの際、身体が重い、休憩によってかえって疲れが出るのではないかと感じていた。
今回素通りしてみてどうだったか。折角の休憩後に改めて疲労を感じる必要がないので、素通りの方が精神的には楽かもしれない。
2番目の休憩地(小草平)
小草平までの長い階段は、私にとってこのコースで一番つらい箇所なので休憩せざるを得なかった。駒止茶屋から1時間さすがに疲れた。草叢に腰を下ろし、10分間ゆっくり休憩(饅頭1ケ)した。
3番目の休憩地(花立山荘)
小草平を出発して岩場や急階段をのろのろと40分、花立山荘に到着。ここに着くといつもこれで終わりという気分になる。駿河湾の絶景を一望に収め、頂上に着いた気分になってしまう。ここから頂上までは付録、どうとでもなる散歩道(本当は結構つらい)、ゆっくりでも1時間は掛からない、それまでの緊張感が消え失せてすっかり気が緩んでしまう。もう休憩は習慣的なものだ。
それでつい休憩(チョコレート)してしまった。以前、きびきびした小屋番がいた頃は必ず小屋の中へ入ってかき氷を食べゆっくり休憩したものだが、顔馴染みになったその人がいなくなってからはもう入る気持ちがなくなった。楽しみがなくなって寂しい。引き返すならここからだが、身体はまだ大丈夫なので頂上に向かった。
塔ノ岳頂上
登頂成功、4時間55分掛かった。でもまあ途中で撤退しようかという気持ちが起こらなかっただけでもよしとしよう。前回よりも15分短縮した。休憩地を変更したのが成功したのかもしれない。
下山では脚が棒になってしまった。年を取ると、疲れたとか足が痛いとかという段階を通り越して、身体が無機質な物体になったという感覚に陥る。もう少しそっちへ行けばばらばらに崩れるような、なんとも頼りない存在に感じられる。カクン、カクン、もうロボットです。
でもすぐにこの疲れは忘れ去って、登頂したという満足感だけが記憶に残る。昨年は1度だけだったが、今年は2度だ、秋にはまた挑戦する気持になるかもしれない。体調がこのままならば。
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