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幻の「如意岳アルプス」というものを「きょうのまなざし」さんの記事で見かけて、ずっと気になっていました。
>昭和期には「如意ヶ嶽アルプス」なるコースも存在しましたが、今となっては知る方も少なく。
>https://www.kyotocity.net/diary/category/yama/daimonjiyama/
>私自身も幼少期より大文字山を登り続けていますが、幻の「如意ヶ嶽アルプス」などは記憶にありません(それを示す写真はありますが、私が撮影したものではありません)。
>https://www.kyotocity.net/diary/2013/011101/
同HPで言及されていた「猫山」という山名が、今年2月にneko_sanによって再発見されたのも記憶に新しいところ。「如意ヶ嶽アルプス」も見つかるのでは、と期待も高まっていました。
>「猫山」を探して
>https://www.yamareco.com/modules/diary/327455-detail-232088
◇情報の収集
そんな折、古い本を読み漁っていると、偶然にも「如意ヶ嶽アルプス」ではなく「如意岳アルプス」の名称を発見。
>市バス・銀閣寺バス停より東の銀閣寺へ行く。銀閣寺山門の前を左へ曲がり、浄土院、八神神社を過ぎると「如意岳アルプス縦走登山口」の標識がある。そして、小さな橋を渡る。雑木林の中の幅広い山道をたどると、やがて、長い石段がある。
>長い石段を登りきると京都市街が眼下に広がる。そこは大文字の送り火の火床であり、中央に弘法大師堂がある。
>『京滋百山 三角点を行く 下』芝村文治 著(かもがわ出版 1993年5月)p.22
不覚にも表記ゆれの可能性を見落としていたので、新たに検索し直したところ古い雑誌の記事を発見。ただネット上で分かるのは目次のみ。
>グラフ 春爛漫、洛東の山路 如意岳アルプス縦走 / 小川清美 ; 山室俊男/p24〜26
>雑誌『岳人』466号(1986年4月)
>https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6023280
その他にもネット上や他の本で情報は見つかったのですが、いずれも登山口の情報のみでした。
>この大文字山に登るには銀閣寺裏手からの登山口を利用する。標高460メートルあまり。入り口には「如意ケ岳アルプス登山路」などとかいてある。アルプスというのはいささかおおげさだけれども、かなり登りがいのある山だ。
>雑誌『旅』(日本交通公社 1987年4月)掲載「東山三十六峰を行く/加藤秀俊」
>http://katodb.la.coocan.jp/doc/text/3143.html
>銀閣寺門前を左に折れ、八神社の鳥居前を右折しますと、「如意ヶ岳アルプス登山路」という道標がありますので、右へ曲がりながらお地蔵さんの前を通り橋を渡ります。山麓のゆるやかな道を進み、二つ目の橋を渡り山に入り、右に回りこんで登って行きます。
>『京の山々登れますとも』湊正夫,湊文子 著(淡交社 1988年)p.145
手持ちの本とネット上の情報からでは、1986年〜1991年には「如意岳アルプス」がある程度認知されており、銀閣寺からの登山口に道標があったことも判明しました。30年前の事なので現在でも覚えている方が居る可能性は高そうです。
これ以上の情報となると、やはり前述の雑誌『岳人』の記事を確認する必要がありそう。オークションサイトやメルカリ等では該当の号は販売されておらず、近くの図書館では古い雑誌までは保管していませんでした。やむなく国立国会図書館の遠隔複写サービスでコピーを入手することに。
◇如意岳アルプス縦走路
以下、少し長いですがルートが分かる記述を引用。
>四月の古都は桜吹雪だ 大文字山から毘沙門堂へ下る如意岳アルプスを縦走してみた
>如意岳アルプスは小雨の降る哲学の道から始まる。
>石橋を渡り法然院に出た。(中略)銀閣寺の前を過ぎ、如意岳アルプス縦走登山口に出た。
>谷川にそって登る。(中略)小屋(大文字焼きの送火用の小屋)の手前の橋を渡って尾根へ向かう。ところどころに石段がある。汗をかきながら高度をあげると眼下に法然山、椿ヶ峰、若王子山が見える。少し平らな場所に出た。ここは「千人塚」という。
>送火のマキを運ぶ架線の下をくぐり、階段を登ると大の字の第一画の書きはじめの所へ出る。(中略)大の字の二画の書きだし地点に向かって登り、雑木林の中へと進む。
>如意岳の頂上は三等三角点の石があるが、桧や松に囲まれて見晴らしがきかない。なだらかな下り道を行くと池ノ地蔵、三井寺へ行く道へ。その道を見送り右手へと下ると、尾根に出る。いくつかのピークを越えて植林した杉林の中へ下る。
>杉林をぬけると小さな沼に出た。そこだけが空をのぞかせている。また杉林の中へと突き進む。いくどか小さな流れを渡り返して行くと水の音も大きくなり、道幅も広くなってくる。やがて林道に出た。山科の御陵沢ノ川町は近い。ここにたたら遺跡がある。川にそって下ると山科聖天。樹齢百余年のしだれ桜のある毘沙門堂の下を通る。
>このコースはここで終わりになるが、川を遡っていくと南禅寺に出られる。
>雑誌『岳人』466号(1986年4月)p.24〜26
雑誌の記述&簡略図(画像参照)からすると「如意岳アルプス」は、銀閣寺からの表参道から登り、火床と三角点を経由、山科119番通報ポイントAコースから下山し、毘沙門堂に至るルートだと思われます。下山ルートがやや確定しづらいですが、当時と環境が変わっている影響もあるかもしれません。
>今昔マップon the web
>https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.015745&lng=135.810199&zoom=15&dataset=keihansin&age=8&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
なお、如意ヶ嶽(472m)を通過していないのに「如意岳アルプス」と呼ばれるのは、大文字山(465.3m)は古くは如意ヶ岳と同一視されていたことによるものと思われます。現在なら「大文字山アルプス」の方が適当かもしれませんが、京都一周トレイルをはじめ多くの登山ルートが整備されている現在では、「如意岳アルプス」というルートを殊更強調する意味は薄いのかもしれません。
94年に確実に大文字山に登っていますが(朧げな記憶しかない)「如意岳アルプス縦走登山口」の看板は全く気がつきませんでした。あとは「うぐいす坂」それと「こぐま山」の由来ですか。今となっては全くの謎ですが行者の森(石仏)の石碑から少し進んだところ自販機(当時はなかったと思う)の横に同志社大学の牧師うんたらと記された馬小屋があり馬も居たと思うのですがどなたか知りませんかね。記憶違いなのかな?
また後半のルートは「その道を見送り右手へと下ると、尾根に出る。いくつかのピークを越えて」とあるのでP444の方へ進み(たたら跡に出る)谷に降りるのかなぁとも思います。私あのあたり詳しくないですけど池もヒントなんでしょう。また歩いて調べてみたいと思います。長々失礼します。
下りのルートは「いくつかのピークを越えて」とあるので、AコースかP444方向のどちらか悩んだのですが、やはり現状では確定しづらく思ったりします。P444の方向の場合は、今ではあまり歩かれていない谷筋を下ることになり、30年前とはいえかつてのメジャールート?がほぼ完全に失われているのも腑に落ちなくもなかったり。「うぐいす峠」等々を含め、引き続き機会を見て調べてみたいと思います。
ちなみに現在、雨社の南、植林帯の中に小さな池はあるのですが、該当の「小さな沼」かどうかは分かりません。
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