あんまり山と関係ないお話。
長文注意。すいませんと先にあやまっておこう(^^;
(ヤマレコの日記ということで、少しだけ、とってつけたように無理やり関連づけてますがw)
この世界から不思議な世界に迷い込むというタイプのファンタジー作品群があります。
古くは『ナルニア国物語』は衣装ダンスの中から、不思議な世界に移動したし、『不思議の国のアリス』は、ウサギ穴に落ちて、不思議の国に行った。『はてしない物語』は、本を読んで、その本の中に入り込んでいきました。
実世界から異世界に迷い込むということは、つまり当然のごとく、実世界に戻る、というのが基本の筋ということになります。大抵は異世界で不思議な体験をして、(啓蒙的な面が強調されるならば主人公が成長して)、やがて最後に実世界に戻ってくる。
実世界など関係ない、異世界のみの話に比べると、主人公に感情移入もしやすいだろうし、お話としても分かりやすいですね。
実世界など出てこない『ホビットの冒険』や『指輪物語』にしても、スタート地点のホビット庄が実世界に対応すると考えれば、そこにいかに戻ってくるか、というのが話の基本であるので、同じ構造であるといえるかもしれません(そういえば『ホビットの冒険』の副題は「往きて還りし物語」でした)。
さてここで、最近ラノベやアニメには、「トラック転生」といわれるジャンルがあり、若い人たちを中心に流行っています。この言葉の発祥は「小説家になろう」というオンライン小説、携帯小説を掲載しているサイトで、数え切れないほどの作品が多くの人々によって登録され、読まれています(ここにあるような作品を、ひとまとめに「なろう系」なんて言ったりする。5/24夜時点で、小説掲載数395,636作品とか。すごいんですけど!)。
なんじゃそりゃという感じですが、ようするに、異世界ファンタジーものの一種のことで、物語の最初に、トラックにひかれるなどして主人公が死に、別世界に転生してからはじまるファンタジーのことです。大抵その世界は、RPGゲーム的な世界です。
(現在見られるファンタジーRPGゲームのほとんどは、Dungeons & Dragons : D&Dというテーブルトーク・ロールプレイングからはじまり、コンピュータ・ゲーム、WizardryやUltimaなどから発展してきたもので、基本的にはトールキンの『指輪物語』の世界観を下敷きにしているように思われます。)
この「トラック転生」ものというのは、一見すると上であげたような、実世界から異世界に飛ばされるというファンタジーの一種にも見えますが、あきらかに違うものです。
主人公は実世界では死んでいるわけで、もとには戻れません。「往って、還る」という構造が存在しない。行きっぱなしです。でもそのゲーム世界では、飛びぬけた能力があったり、英雄になれたり、かわいい女の子たちも自分のもとに集まってきます。もとに戻れるとしても戻りたくないでしょう。
そこには、詰みゲー(ゲームで、もうどうやってもうまくいかない「詰み」の状態に陥ること)でしかない現在の実世界での生活から逃避して、異世界に行きたい、というような感情がもとにあるように思われます。死以上に、すべてを投げ出しての逃避はないでしょう。
「トラック転生」の作品の主人公の多くは、引きこもりであったり、ニートだったりすることが多いらしいですが、そりゃあ逃げたくもなるというものです。
最近、この「なろう」からメジャーになり、本も出た『この素晴らしい世界に祝福を』(略して「このすば」)という作品がアニメになり、その出来のよさもあいまって、大人気です。
(この作品そのものは「トラック転生」ものをからかうパロディになっており、主人公は平凡な能力で、お金がなくて最初は工事現場で働いたり、問題児ばかりの仲間の女の子に苦労させられたりします。でもその世界の枠組みは「トラック転生」ものそのものです。パロディなのだから、当然ですが)
今年の初めころ、この作品について(と断定していいと思うが)、とある作家が、「コンプレックスまみれの視聴者をかくも徹底的にいたわった作品を摂取して喜んでたら自滅だよ。少しは向上心持とうよ」とTwitterで評し、さらに悪書よばわりして、燃え上がっていました(^^;
まあもともとマッチポンプ的発言の多い人で、この人にとっては通常営業なのですが(^^; この発言をめぐっての色々な意見は、最近の世情をとても浮き彫りにしたものに思えました。
(ちなみにこの作品そのものは、自分でアニメを見て本を4巻まで読んだ限り、見かけによらずwなかなかよく出来た面白い作品です。)
ここからは、自分の考え。
「逃避」は悪いことであるという認識が世間一般にあるような気がしますが、ほんとうに「逃げる」のは悪いことなのか。
自分はまったくそう思いません。
山に登ってクマに出くわしたらどうします? 逃げるよね(^^; 自分がもし生まれながらに牢屋に閉じ込められていたら? 何とかして逃げようとしますよね(この状況は、ファンタジーの大作家(『ゲド戦記』の著者)でもあるル・グインの「オメラスから歩み去る人々」という作品の設定を思い出させます)。
もし現実が大変に辛くて我慢できないものであるならば、そこから逃げようとするのは当たり前のこと。逃げるのがうまければ、生存競争にも勝てます(^^;(生き抜くための知恵ということですね)
ファンタジーというのは、非現実的でものの役にも立たないように見えますが、現実に対する、正面からでない、まったく違った角度からの見方ができる、リアルなものでもあります。
普段都会で生活している人が、休みの日に山に行く。この世界が、まるで違ってみえませんか? 山の世界は人間だけの世界ではない、多くの動物や木々たちの世界でもある。そこから見ると、都会の、人間以外のものを排斥しようとしている世界が、普段とはまるで違った顔に見えてきますよね。
また、日常の疲れを癒してくれるという意味でも、ファンタジーと山の世界は同じ力があります。もし、ずーっと1年中、仕事だけしなくちゃいけないとしたら…自分は死にたくなります。それこそトラック転生したくなるかも(^^;
登山も行ったら帰ってこなくちゃなりません。でも、山に行ってそのまま帰ってこないで、住み着いちゃう人もいます。それでうまくいっている人は、都会からうまく逃避できた人、見事に「山転生」したってことですね(^^;
ファンタジー(に限らず本でも音楽でも絵でも同じですが)を読む上で、いちいち向上心を持てなんて、自分は全然思わないです。主人公が成長するならもちろんそれに越したことはないのですが、別に無理して成長する必要もない。ただ異世界で遊んで、あー楽しかった! だけで、全然構わないんじゃないかな。山に行って、何か勉強してくる必要なんてない、あー楽しかった! でいいし。
多分、「トラック転生」ものと、それを見て喜ぶ人たちを批判した作家も、こういうものが流行らざるをえない現在の日本の状況そのものにいらだちがあって、このような発言にいたったのではないかと思いますが、まあ正直、余計なお世話ではあります(^^;
自分も、できれば、楽しいことだけを数珠のように紡いで生きていきたいんですけど、なかなかそうもいかないのが辛いところです(^^;
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