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以上の資料から考えること。
1 上丹生・榑ヶ畑・霊仙の村境についての争論は、「郡界の内従来不明瞭の所」があったことに端を発し、県?レベルで検討したが各村の所有する証拠書類の「証憑ナキニヨリ」県庁の処分を受けるよう判決が出た。しかし、それを確定するには郡界から取りかからねばならず、郡界の変更がなされたようである。
数年前から「おとらヶ池」畔に、「ここはおとらヶ池ではありません」の看板が上丹生の名で立っているが、これは明治の争論が後を引いているのかもしれない。いずれにせよ、現在の群界尾根は明治当初にくらべて北に動いたのであろう。裁定のために提出した絵図が見られればもう少しはっきり分かるはず。
2 宝暦地図は争論の際に上丹生から提出された古地図であるかもしれない。地図の真ん中に今の谷山谷らしき流れが描かれており、滝?が描かれている。阿弥陀嶽、三国ヶ嶽、中霊仙のほか多くの地名が書き込まれているが、肝心の箇所が欠落している。興味深いことに、三国ヶ嶽の谷山谷から見て右(西の方角)に「藪谷峠」の記載がある。現在の藪谷峠は岐阜県側にあたる所であり、誤記か、あるいは滋賀県側に藪谷に向かう峠があったのかもしれない。個人的には「谷山」が三国ヶ嶽ではないかと考えているのでもう少し吟味が必要。
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