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私は山が観光地化されることは決して悪いこととは思ってはいない。足が弱った人や子供達、また時間に余裕の取れない人達にも大自然を味わってもらうことは良いことだと考えている。しかしこの時期の伊吹山は私の好みに合わなかったことで足が遠のいていた。
最近、ヤマレコの伊吹山の記録を拝見しながら、花々の見事さに興味を引かれ、再訪したくなり6月23日に登ってきた。今回は時間に追われることは無いので勿論、上野登山口から歩いての山旅である。
一合目から山頂まで多種類の花を楽しみながら歩き、車では味わえなかった伊吹山の素晴らしさを再認識させられた。観光地化されるということは、それなりの魅力があるからで、その魅力を堪能するにはやはり歩いて登るべきだと痛感した山行であった。
fujinohideさんの日記に共感するものがありました。
車で上がっても、何かしら感じられるものが有ればそれで良いと思っていますし、歩いて登れれば車で上がる以上の魅力を知ることが出来ます。
「山屋」と言われる方が伊吹の評価を低く言われる点については、山頂の観光地化を第一に挙げますね。
確かに、行き過ぎた観光地化には疑問を感じる点ではありますが、そういう意見を持つ「山屋」については甚だ疑問を感じるところであり、視野が狭いと言わざるを得ません。
山の魅力は何も山頂の展望だけにあるのではないし、山頂だけが山ではないからです。
伊吹に限って言えば、正面登山道だけとってみても、麓から山頂まで実に多くの草花があり、風景が有ります。山頂一周するだけでも、西と東、日陰と日向、花が違うことが分かりますし、笹又、北尾根も含めると、また更に違う花や景色が見られます。
山を取り巻く歴史や信仰、文化まで目を向けると、それはおそらく無限とも言える魅力があるはずです。
言うなれば、我々が判断しているのは、本当に、本当に些細で狭い範囲や時期、時間についてのみでしかなく、いくら深田久弥が多くの山を登ろうとも、一つの山についてはさほど多くのことを知っているわけでもないし、逆に一つの山にどんなに回数を登ろうとも、その山のすべての事を知りうることは出来ないうえでの、判断や評価でしかないと言うことです。
そういったことに気づくか気づかないか。
伊吹の花たちから、得られることは本当に多いですよ。
todokitiさん、コメントありがとう御座います。
ある山屋さんは山が俗化されることを非常に嫌がりますが、そんな人でも家から文明の利器の乗り物で麓まで来ているわけです。その道が少し山頂近くまで延びたからと文句を言うのは筋違いです。
山は誰をも受け入れてくれます。いろんな人が各人に適した山との触れ合い方で楽しめば良いと考えています。
私はどちらかと言えば、1ツの山に執着しないで歩いたことのない山を歩きたいタイプですが、いくつかの気に入った山は回数多く歩いています。伊吹山もその中に入りそうです。
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