また上井出は朝霧高原、白糸の滝、田貫湖など観光資源に富んだ地域でもある。
上井出口登山道は昭和の初期に村の青年団により開かれた道である。昭和3年測量の国土地理院の1/25000の地図にもそれらしい道が載っている。それによると上井出の曽我兄弟祠付近から出発し、標高1550〜1600m付近で大沢にぶつかり、右岸に渡り、大沢沿いに大沢休泊所に至るものである。その後、現在の富士宮口或いは河口湖口にお中道を通って移動し、山頂に登ったとされている。しかし、ヤマレコのkoujouchouさんなどの記録によると、大沢休泊所から直接剣ヶ峰に大沢右岸を登るコースに踏み跡らしきものや古いペンキマークが見られることから、直登ルートもあったのではないかと思われる。
富士宮市立図書館にある富士山関係の蔵書2000冊以上から富士登山に関係する本200冊、その中から古い本に目星をつけて上井出口登山道について記述されている本を探したが見つけることはできなかった。富士山全体の登山道の略図として3冊に上井出口が記載されているが、実際に登った紀行文、記録などは見いだせなかった。
私は、現在の新大宮口登山道の探索が一段落したら、古い1/25000の地図を頼りに上井出口登山道の調査をしてみたいと考えている。
写真1:昭和6年発行の国土地理院に1/25000の地図
赤線が上井出口登山道と推定される。
写真2:昭和14年 登山とスキー社から発行された「富士と其附近の山々」
春日俊吉著 に添付されている概念図
写真3:昭和32年 山と渓谷社が発行した「富士山のその附近(登山地図帳)
羽賀正太郎著 に添付されている概念図
その他昭和42年発行の地元郷土研究家の遠藤秀男著「富士山史話と伝説」の富士山概念図にも上井出口登山道が載っていた。
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