そんな自分がバックパッカーという旅のスタイルを選択したのは旅の達人である恩師に色々アドバイスを受けたからである。
『調べ過ぎないほうがいい』
『いろいろなことが起こるのを波に揺られる小舟のように楽しむのがコツだ』
あまり旅慣れていない私はそれを真に受け、教えに従って計画を立てた。
計画はこうだ。
『ネパールに行ってヒマラヤを見る。』
以上。
極めてシンプルである。
航空券と初日の宿だけ予約して、後の計画は何もなし。目的があるだけ。
どこに行けばヒマラヤを見れるかも調べなかった。登山ではまるでダメだが、バックパッカーの場合、予期せぬ出会いや人の生活に触れるなど、価値ある冒険に変化するのだという。
今思えばあまりに調べすぎなかった気もする。でも、一冊の地球の歩き方だけ持って、兎にも角にも、それだけで単身ネパールに飛び込んでいったのである。
これは、運命に導かれるように、ヒマラヤ山脈の一部であるアンナプルナ※の麓にたどり着いた旅のヒューマンドラマ(笑)である。
(全4話)
※アンナプルナ:ヒマラヤの中央に東西約50 kmにわたって連なる山群の総称。サンスクリットで「豊穣の女神」の意。第1峰は標高世界第10位。
――
■第1話 始まりの街「カトマンズ」
まずは旅行会社でカトマンズ行きの航空券を買ったが、それはデリー経由で、なんと夜中に着く便だった。
夜中カトマンズに着くとなると、夜中にタクシー捕まえてホテルを探すハメになる。それは、中々ハールドが高い。というかめっちゃ不安である。
これはさすがにキツイだろうと、初日のゲストハウス※だけは、現地に直接電話して予約した。
※ゲストハウス:安宿
思えば初めの核心だった。なぜなら語学は大の苦手。高校の英語のテストは常に赤点だった。相手が何を言ってるのかはなかなか聞き取りにくいので、なるべくこちらから(一方的に)単語を並べて話、部屋の予約と、空港までの迎えを頼んだ。
飛行機の遅れもあり、カトマンズの空港に着いたのは夜の12時近く。町は恐ろしいくらい真っ暗である。宿の人が迎えにきてくれていた。よくわからないが、宿のスタッフ6人くらいで来てくれた。子供までいる。これは習慣なのだろうか?
そして、コンパクトカーにギュウギュウに詰め込まれ、ゲストハウスのある市街地に向かった。
聞くところによると、停電で真っ暗なのだとか。日本人の感覚だと、車のヘッドライトで照らされる古ぼけたレンガの家並みは廃墟を連想させる。
不安でいっぱいになりそうなシチュエーションをあまりそう感じさせなかったのは、人がギュウギュウに詰め込まれた、車内状況である。しかも2時間も待ったんだぞとか、文句を言われながら(でもそれは飛行機のせいだと言いたい。)そんなこんなで宿に到着した。
夜が明けたが特に計画はない。気の赴くままに行動するだけである。観光にも特に興味が無い。むしろ、カトマンズの街、人の生活を見るということに興味があったので、街をただ歩いてみた。
標準的日本人からすれば、街を歩いているだけでも色々衝撃的だ。町は汚いし、匂いがする。人や動物の匂い、腐敗臭、そしてお香の匂い。というより、むしろ日本は匂いがしないのかもしれない。
街のあちらこちらで女性や子供が色粉を額につけている様子もある。ハッパ、ハッパと声をかけてくるアヤシイ男。。。
生活臭の強そうなところに行ってみたいと、市場に行った。解体された動物の肉がそのまま並べており、匂いがキツくなる。生臭い感じである。
暗い建物の中で地元の人たちの目が白く光っている。観光客が来ないエリアなのか、ジロジロと見られているようで、妙に気になり、ドキドキした。
無作為に歩くと、そのうち疲れてくる。どこかで休もうかと、街角に腰を下ろした。
すると、子供が寄ってきて、隣りに座った。
そして唐突に、街の説明をしはじめる。親切な子供である。あの寺は何年に作られた有名な寺で・・・状況がよくわからないので、そうかそうかと相槌を打っていると、突然・・・
『ミルクを買ってくれ!』
と言い出した。
頼んでもいないのに勝手にガイドされ、ミルク買ってくれはないだろう。
雑貨屋のおじさんを指差し、『あそこで粉ミルクを買え』という。こちらもガイドされてしまったし、相手は貧しい子供である。どうしたもんか?
すると雑貨屋のオジさんが遠くからこちらの様子を見て、
『良くないことだよ』
と横に首を振った。それを見た子供は諦めて壊れた壁の中に消えていった。意外と素直である。
場所を変え、集合住宅の中庭のような、人気のない広場を見つけて休んでいた。しかしネパール人は私が休むことを許してくれない。
今度は、3-4歳ぐらいの目のクリクリしたチビっちゃい可愛い女の子がよってくる。でも流石にこの子はガイドなどしないだろう。
彼女はじーっと私の顔をのぞきこんだかと思うと、おもむろに手を出し、
『マニ』※money
と言ってきた。
さっきの少年は、曲がりなりにもビジネスだったが、これはカツアゲである。
『ノーマニ』とあからさまなウソを言って追い払おうとしたが、そのまま動かず、また『マニ』といって手を出してくる。
『カネヲ、モッテナイ、ワケガナイ』
と、可愛いおめめは見抜いているのである。
自分が立ち去ればよいのだが、こちらは休みたいわけで、動きたくない。お金を上げるのもなんか良くない気がする。と言うか幼女にカツアゲされるのもどこか癪である。
しょうがないので地球の歩き方のページを一枚切り取り、折り鶴を追って手渡してあげた。
海外旅行をするときに折り紙を持っていって、なにかお礼に渡すというのを、以前やったことがあったので、それを応用したのである。
するとどうだろう。ウサン臭い先鋭アートのような折り鶴だったにもかかわらず、少女は目を輝かせ、超喜んで、ダダダーーーーッとダッシュして去っていった。
『単純だなぁ』
『ああ、これで休める・・・』
と思いきや、甘かった。
その直後、なんと、少女が20人ほどの少年少女たちを引き連れてきた。彼らは私めがけて、全力でダッシュしてきたのである!
逃げる間も無く、私はあっという間に囲まれてしまった。
『ちょうだい!ちょうだい!』
と私の目の前に小さな手が突き出される。
こうなってしまっては、しょうがない。地球の歩き方のページを一枚ずつ切り取り、人数分、先鋭アートの鶴を折ってあげることにした。2つ持っていくワルガキもけっこう混じっていて、なかなか大変である。
折り紙に苦戦していると
『なんだ?なんだ?』
とさらに近所の小学校中学年くらいのアニキがでてきて、
『しょうがねえな俺も手伝ってやるよ』
と折り鶴を一緒に折ってくれた。
『こうだろう?』
と完成した折り鶴を見せてニコニコしている。
というか、なんでつるの折り方をキミは知っているの?
子供たちに折り鶴を配り終わると、彼らは喜んで去って行った。なんだかんだで喜んでくれるのは嬉しいものである。
しかし、私の地球の歩き方のページは少なくなってしまい、ガイドブックとしての機能を半分失っていたのであった。
【第2話】ヒマラヤの見える丘「ナガルコット」
につづく
https://www.yamareco.com/modules/diary/36225-detail-174298
cajaroa さん、こんにちは(^^)
日記が投稿されるのを実はとても楽しみにしていたんです(^^)
すごーーーく面白かったです😊
目的地だけ決めて後のスケジュールは行き当たりばったり!
これ最高です
読んでいて羨ましくなりました。
私は「男に生まれていたらリュック背負って当ての無い旅がしてみたい」といつも思います。一応女性なので(笑)海外での一人旅はちょっと勇気が要ります。言葉も話せないし💦
まだ二十代の頃、友人と二人で北海道を旅したことがあります。
千葉から車で行きましたが、二週間ほどの滞在で宿は四ヶ所予約して
後は行き当たりばったり。
走りながら「あっ、あそこ寄って行こうか・・」なんて感じでした。
山道でガソリンヤバくなったり、お腹空いても店が見当たらず、やっと見つけ中に入ってみると、わずかな菓子パン位しかなくて、
それでも川の土手で食べた菓子パンの美味しいのなんのって🤤
旅の途中で、前日の夜に急に思いたち、荷物積んでフェリーに乗り込み、これから気ままに北海道を回るとおっしゃっていたご夫婦に出会ったり、銭湯では地元のお母さん方としゃべりまくり、のぼせそうになったりと、とっても楽しい北海道の旅でした。
アッ、長くなってしまい申し訳有りません🙇♂
次回のお話楽しみにしています(*^^*)
ak0211さんこんにちは
最近忙しくて、レコを書くので精一杯でした。このネタはまとめるのが難しくて半年くらい放置していたのですが、最近、人に背中を押され、まとめあげました。
行き当たりばったりの旅って人やコトに出会って行くところが楽しくて、嬉しくて、時に悲しくて、そしてキラキラしていますよね。
ちょっとしたことなのに、シビアな状況になってとてもありがたかったり、人との出会いがとても嬉しかったり、パンの話はとてもわかります。
事実に忠実に書きつつも、そのときの気持ちってなかなか伝わるように書けなくて、背中を押されてから1ヶ月くらいかかってしまいました。
ビジネスで多忙な、まっくすとイノキチたちの撮影も済んだので、校正をしながら4日おきくらいのペースで投稿していこうと思います。
読んで頂いてありがとうこざいます!
cajaroaさん こんにちは
私は、欧州バックパック旅行時に、折り紙持って行きましたよ
地元の人が並ぶお店で、ランチ食べた後とかに、チップと一緒に置いてきました。鶴折っていると、周りの人も興味津々って感じで、じーっと見られてました。
ドイツでは、知り合いから「今時、鶴はウケない!」みたいに言われたので、百合の花を折ってテーブルが一緒になったご婦人に差し上げたり、ミコノス島のペンションの娘のミーナには、くす玉作ってお部屋に置いてきました。すぐに見つけてくれて、お母さんのところに駆け寄って嬉しそうに何か話しかけてました。いい旅の思い出です。
当時の欧州は、ジプシーが寄ってきたけど、ネパールあたりは現地の子供たちなんですね。海外を旅すると、日本がいかに衛生的で安全な国なのかがよくわかります。
また山から帰ってくると、町の便利さみたいのを感じたけど、今はあまり差を感じなくなりました。
jikyoonさんこんばんは、お久しぶりです。
折り紙は、言葉でうまく伝わらない気持ちのこもるメッセージなのがいいですよね。ご家族で経営されているような、あたたかい感じの宿に泊まった時は、チップに折り紙を添えて、残していっていました。
ミーナちゃんみたいに喜んでいるシーンがあったのかどうかわかりませんが、そういう話を聞くと、こちらまで嬉しくなってきます。
初めての海外はフランスだったのですが、夜に空港について、宿をツーリストインフォメーションでとりました。でも行き方がわからず、どうしたものか、わかりませんでした。
そのとき、インフォメーションで同じ宿を予約した2人組の欧州人を見ていたので、ボディーランゲージで同じホテルですね、と声をかけて、連れて行ってもらったことがあります。
バスで降りたところ、ホテルの位置が分からず、彼らが街の人に聞きならがら連れて行ってくれました。
言葉はThank you very muchくらいのボキャブラリーしかなく、感謝が伝わりきらなかったので、折り鶴を渡したのですが、嬉しそうにしてくれた思い出があります。
折り鶴はカトマンズのお兄ちゃんが折れたくらいだから、海外の人もみんな知っているのでしょうか(笑)
目のくりくりした女の子は、近所のお友達と元気よく遊んでいるところを見ると、ジプシーほどの悪い印象は感じませんでした。ただ、親が子供にお金を物乞いさせる親の教育しているシーンをみたのと、学校を見学させてもらう機会があり、その様子を見ていると、おそらくは貧困層だとは思います。
日本が安全や衛生、経済的に恵まれているというのは、外側から見てはじめて感じますよね。
cajaroa さん、こんにちは。
私も昨年末、アンナプルナBC行きました。
既にかなり観光地化されていて、
もっと昔に訪れたなら、もっと別の発見があったかなと思いました。
続きも楽しみにしてます
matia4500さんこんにちは
読んでいただいてありがとうございます
僕はアンナプルナのBCに行ってはいないのです。
どこに行ったのか?と言われると、ポカラの近郊だと思うのですが、じつはよく分かりません。(汗)
インドなど特にそうみたいですが、数年たっただけで様変わりするようですね。僕が行ったのは20年前で、街の舗装されていない道路を掘り起こしてゴミを埋めたりしている様子もあり、すごいところに来てしまったな。と言う感じでした。
文化が大きく変わる、知らない国を旅するのはいいですよね。
アンナプルナBC 行ってみたいなー
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