という話を聞いた時、はじめは正直あまりピンと来なかった。
それがどんなに混雑した登山道であっても、山小屋やよほど混雑したテント場でない限り三密になるようには思えなかったからだ。近所の商店街やスーパーの方がよほどリスクがあるように思えてしまう。車で山に行く人など殊更じゃなかろうか。
また、
『登山は遭難のリスクがあって、救助隊の感染の懸念がある』
『医療崩壊が起こる』
だから登山をしてはいけないと言う話もあるが、遭難のリスクをゼロに近づける努力をしている身からすると、
『そんなつもりもないんですが・・・』
と微妙な気持ちになる。
言ってることは理解できるが、どこか腑に落ちない何かもある。
登山を自粛すべきかどうか?それを個人レベルで考えると、あまり問題無いと言う答えも出るのかも知れない。
しかしその一方で、世の中の登山者全員が普段通り山に行ったらまずいだろう。ということは普通にわかる。
多くの人が移動するほど、人との接触機会も増え、地方への感染リスクが高まるのは自明だし、遭難をやらかす不届きモノも増えるだろう。それこそ世間で言われている周辺地域への感染の拡大や、地域の医療崩壊へとつながってゆくことは容易に想像できる。
自分の視点で考えると問題を感じ難いが、かと言ってみんなが山に行き始めると問題が起こってしまう。
『一人一人が個人の利益を選択して行動してしまうと、結果的に社会全体の不利益が生じてしまう※』
そんな状態のことを
『社会的ジレンマ』と呼ぶそうだが
今のご時世と関連深い話なので、ちょっとご紹介いたします。
※個人の利益についても、社会・集団の利益についても理解があることが前提
社会的ジレンマの有名な例として
『共有地の悲劇』と呼ばれる話がある。
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昔イギリスのあるところに
羊飼い達が共有していた牧草地がありました。
やがて産業革命が起こると羊飼い達は利益を求め、
競うように羊を増やしました。
しかし共有地の広さには限りがあります。
多すぎる羊たちによって牧草は
根こそぎ食べ尽くされてしまい、
羊たちは飢えてしまいました。
その結果、以前より減収してしまったのです。
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この問題が起こらないようにするには、羊飼い一人一人が、飼って良い羊の最大数を守る必要がある。
しかし、そのためには羊飼い達が
『お互いに羊の数を守ろう』
という信頼?を基にした協力体制が必要だ。
もし自分の利益を求めて出し抜く人がいると、他の人が損した気持ちになり、簡単に均衡が崩れ、羊は飢えてしまうからだ。
今の自粛の協力的体制は国や地域、山岳団体の指示や声明で、半ば強制的に築き上げられたので、自粛者のパーセンテージは決して低いモノではないように見えるが、かといって自粛している人は、好き好んで自粛しているわけでもないわけで、センシティブなバランスの上に成り立っていると考えられる。
『みんなが守るから、自分も守る』
『自分が守るから、みんなも守ってほしい』
というお互いの信頼?で成り立っている部分が見え隠れする。
もし自粛しない人が増えると、協力体制は崩れてゆき※、人の移動による地域への感染経路の拡大や医療崩壊につながってゆくのだろう。
※協力体制が崩壊する人数比パーセンテージ(閾値)がある。
自粛はみんなで守らないと意味がないモノだが、みんなで守るほうが守られやすいものとも言える。守るのは協力体制に穴を開けないという側面もあると思う。
いずれにせよ登山の自粛の意味については『社会』という視点で捉える方が、感染拡大や医療崩壊といった課題とのつながりが捉えやすくなり、行動の判断や納得感が得られやすいのではなかろうか?
しかし、自粛の先にあるものは現状は不透明だ。そして自粛だけでは何かを生み出す感じはしない。
コロナはしばらく続くだろうが、生活の中でどのように付き合ってゆくのか?
新しい楽しみ方はないのか? 何か工夫できないのか?
単純に守る、守らないだけでなく、建設的な対策を考えられないのだろうか?
みんなで守るその先には明るく、建設的な未来があって欲しいものである。
登山の自粛についてですが色々な意見がありますが、私の所属してる団体では👇
のようなQ&Aがあります。 参考にしてみてください!
【日本山岳会HPのQ&A】
Q2:自宅から徒歩圏内のハイキングコースを歩くことは散歩の延長と考えられるのでは?
A2:屋外での歩行は、近くに人がいない限りは問題ありません。軽いハイキングであれば、健康のために専門家も推奨しています。しかし、最近、公園での人の密集が指摘され、すでに人気ハイキングコースには同様に人が集まっていることが報告されております。普段から登っているご近所の山におひとりで登っている分には問題ないと思われますが、2メートル以内に多くの人が集まってくる「密集」の状態になると感染の危険性が高くなります。
shige1968さん
こんばんは
徒歩圏内のハイキングコースや里山が散歩の延長の話は存じており、自分自身も自宅から町歩きはするのですが。最近人が集まっているという報告は気になりますよね。
私は東京の中心に住んでいるので、地方に出ることはおろか、山岳地域に出るなどはしばらくは難しそうな感じですが、そう言う人間でも、地方の〇〇エリアの〇〇コースなら、感染予防されたバスが予約制で利用できて、登れるとかできたらいいのになあと思っています。
その通りですね。みんながやりだせば俺も、俺もとなる。結果として登山=悪という図式になるのでしょう。パチンコと同じ。今、自分が自粛しているのは常識的に迷惑をかけたくないというより自粛警察のリンチが怖いからです。例えば美濃戸あたりに車を路上駐車して八ヶ岳に行ったら車のナンバーを撮られネットに晒されて、下手をすれば家族も仕事も失います。『山梨20代女性』家族は今、殺人犯の家族よりひどい目に合っています。
h321さんこんばんは
自粛警察の話も極端ですね。自粛が止まらないことにより閉鎖に追い込まれた赤岳鉱泉、行者小屋の破壊行為、つづく阿弥陀岳の遭難事故。もう、しっちゃかめっちゃかです。
最後の一文は、私がお世話になっている八ヶ岳のガイドさんのFacebookを読んで、ハッとおもって付け加えたものです。
約束やルールを破るでもなく、ただ自粛するでもなく。
もっと建設的でなやり方で、前向きに解決していく方法はないものか?
とりあえず今は自粛をすることなのかもしれないですが、
こういうご時世だからこそ、前を向いていきたいものですね。
規制というものはリスクマネジメントができていない人の方に合わせるので、普段気をつけている人にとっては不満が発生してしまうんですよね。
自分が規制しないといけない立場であれば分からなくもないのですが。
かくいう自分は今の状況でこっそり山に行ったとしても心から楽しめませんし、
こういう時に限って不意の事故が起こるタイミングが重なる経験をしているので家にいるようにしています。
kamonohashiさんこんばんわ
そうですね。登山者って大多数はリスクマネジメントを意識しているはず(不届きものだって自分は意識しているつもりと言うはず)なので、この論理で説得するのって、やや無理があるんじゃなかろうかと思いました。
規制する側は登山者を集団として見ているのに対し、される側は個人の視点で見ているから、ズレが生じてしまうのでしょう。説明する側も相手がちゃんと納得するような論述が組み立てられていないようにも思えます。
個人的には、怪我をしたり天気が悪かったりで1ヶ月とか山やクライミング に行けないこともあるので、そんなに自粛と言うものに抵抗が無かったりしています。ただ、コロナが終わった時に通っていたジムが無くなると困りそうです。
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