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二枚目 釜トンネルまえ 今年の一月です。もう半年も過ぎたのですねぇ
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6月29日(日)自宅の大阪から兵庫県は、丹波笹山にある墓所へ向かった。
墓石に記銘してもらったのが出来上がったというのである
墓所までは約100kmだが。高速道路乗り継ぎで到着するので一時間あまりだった。
さて、墓参を終えて、向かうのは和田山の向こうで日本海の名温泉城之崎の手前にある豊岡町。
目的は、この地に生誕し記念館がある「植村直巳冒険館」である
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緑なす山間に広がる広大な土地に、記念館がある。
入り口はコンクリートで仕切られたような半間ほどの長い通路
これは植村直巳氏が滑落したクレパスの幅だそうである。
その20mあまりの通路を行くと大きな二重のガラス扉があり、案内所でチケットを買った客は、右手の映像室に案内される。
そこで上映されるのはNHKで放送された「植村直巳」の紹介ビデオであった。
明治大学から海外に向けての冒険、マッキンリー、アマゾン、犬そり、エベレストと矢継ぎ早に10分ほどの画像を見せられた・・
圧巻はそれからの展示場である
すべてはここからはじまった・・の文章の横にある古びた扉・・
明治大学山岳部の木の扉である
そして氏が学生時代に使ったキルティングのザック
ピッケル・アイゼンなど・・
さらに奥に進むと北極での装備品、テント、ウェアー、靴、備品、計測器などが・・
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この冒険館を訪れて思ったこと・・
植村直巳の冒険を支えた多くの人たちの存在。
それは、とりもなおさず氏の人柄にほれた人たちが大勢居たという事実。
例えば、エベレスト日本隊隊長だっとときには、隊員に話すことなくそっと隊員の家族に手紙を送って無事を連絡していて、隊員が帰国後にようやくそれを知ったエピソードなどが紹介されてます
また。エベレスト初登頂には、帰路のザックは頂上の石でずっしりと重く、それをBCの登れなかった隊員に配っていたこと。
エベレスト初登頂の10m手前では、カメラマン氏に登頂を譲ろうとして、肩を組んで一緒に初登頂したこと・・
冒険・登山というジャンルで一流といわれるには、それを支える人たちが必要であり、手を差し伸べたくなる人格であらねばならない。
謙虚・・植村直巳氏を知るみなが口をそろえる言葉である。
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極限の中で高みを目指す登山・・
それは、おのずと自らに試練を課して試練に打ち勝つ訓練のようなもの
強さゆえの謙虚さ・・怖さを知る者が持つ謙虚さ・・弱さを知る故の謙虚さ・・
五大陸最高峰の石を収集し、それを練りこんで作った「ぐい飲み」
それを友人知人に配るという配慮・・
そういったことを、照れ衒(てら)いなく出来る人格が、彼の真骨頂なのかもしれないですね
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マッキンレー4200mに植村直巳氏が作った雪洞が再現され、発見時の備品がその状態で展示されてます。
ここを出てピークに旗を立てたのは間違いなく、最後の通信は5200m前後の地点であったとか・・その飛行機との肉声もビデオで紹介されて途切れる声に状況の深刻さがうかがえます。
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わたしの登山は趣味趣向の域を出ることなどありません。
しかし、いかなる分野においても一流といわれる人たちには、人間性の輝きが見えます。
一流の行為はできなくとも、せめて人間の高みを目指してみたいものです
でわでわ

なお、植村直巳記念館の撮影レコは削除しました。
館内の案内嬢には撮影許可をいただきましたが、撮影禁止との指摘もありましたので公の山レコでは削除がいいのかとの判断です。
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