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ここは高い木が無く明るく開けた場所となり、笹薮やネマガリタケ・蔦・低木が入り乱れた藪となっています。
長さは数十メートルとなっていて、これを越えるのには15分程度の時間と相当の体力を消費する事となる。

この様な場所を2箇所過ぎた所で、更に大変規模の大きながけ崩れ跡と思われる場所に出る。(写真右を参照)
寒沢堰跡など確認出来ない程の崩壊状態とその先に広がる深い藪、
そして時刻が15時を回った事から本日の調査はここで終了とした。
少し休みを取り元来た道を戻り始めた。
暫くすると先程通ったがけ崩れ跡で藪コキの場所となり、ここを越えるのにかなりの体力を消耗した。
藪を通り抜けた後寒沢堰跡が見つからない事に気が付いた。見つけたと思っても自信が無い。

来た時は見えていた道筋が見えなくなっている、何故なのかは良く判らない。
藪コキは体力の消耗と共に、意外と方向感覚をなくさせてしまう様だ。
とは言っても見た事のある木や岩・植物・足跡にて確認は取れるのだが、直ぐに道が判らなくなる。
来た時とは見えていた寒沢堰跡が、帰りには何処にあるか全く判らなくなっていた。
ここでナビゲーションの出番となったが現在地を確認した途端、バッテリィーの低下により使用不能となった。

携帯電話も使用が出来ない中、唯一嫁からの迎えに向かっている無線機の声だけが頼りとなる。
現在地は来た時の道と余り変わりなく数メートル程高い山側の場所を歩いている事が判った。
少し谷へ下りながら寒沢堰跡を確認しようと試みるが全く判らない。
道を初めてロスとしたショックと不安で頭が一杯になる。
とは言っても谷へ数十メートル下れば作業道に出る事は理屈上判っているが、
人間失敗した精神的ショックがこれ程大きいとは思いませんでした。
水は無くナビも携帯電話も使用出来なく、のどの渇きだけは段々強く感じて来る。
兼ねてからトラブル時の手順通りに、意を決して谷へ下る事を決意した。
時間は既に約束の17時をまわり山田温泉に到着する事は不可能となっている。
嫁には藪に苦戦している事を伝え、大変申し訳ないと思いながらも村道と作業道の分岐まで迎えに来て頂く事をお願いした。

車もより強力なモービル無線機とアンテナを装備しているMPVで迎えに来る事を伝えて有ったので、タイムリーな連絡と時間把握が出来た事は心強かった。
と、下り始めて1分も経たないうちに見慣れた風景が、作業道にが直ぐに現れたのだ。

詰まり作業道から十数メートル上がった所を寒沢堰跡は通っていた事になる。
この事は今後の調査に対して近道と時間的節約が可能になると思った。
また、今まで予想していた寒沢堰が何時稜線を越え、山の内町側の斜面に移動するのかに対して大きなヒントとなった。
無事作業道に戻り、沢の水でタオルをぬらしほてった顔と頭を吹いてやっと落ち着きを取戻した。
何故だか見慣れた風景が妙に美しく感じるのは何の理由であろうか。(写真左を参照 中倉山です)
この跡無事嫁と合流して帰宅する事が出来た。

先人は良い言葉を残しています。「行きはヨイヨイ帰りは怖い」
正しくこの言葉の意味を一つ理解した山行となった。

歴史を掘り起こす作業、大変ですね
でもどこか楽しそうな感じが伝わってきます。
ロストした時のショックや「藪コギ」「無線」などのキーワードが心に響きます
westupさんコンバンワです。今一度読みますと少し恥ずかしい感じですね。マーキングをして歩いていたのですが、甘く見ていて間隔をかなり開けてつけていた為に、まったく役に立ちませんでした。今はGPSやそのログにより、歩いたルートがどこで有るのか直ぐに判り便利ですね。
『寒沢堰』はそのルートをヤマレコの地図上に奇跡として残す事をしてみたいと考えています。
GPSや藪コギ、無線など大好きです
ただ、「歴史を掘り起こす」となると膨大な労力と知識が必要で、今は誰かが掘り起こしていただいた歴史を「楽しむ」程度です。
是非『寒沢堰』、完成させてください。
私もどこか小さな歴史を掘り起こして、そこを歩く人に紹介したいと思います。
コンバンワです〜。
まさしくwestupさんのおしゃる通り、『誰かが掘り起こしていただいた歴史を「楽しむ」程度』の状態ですね。地元地区の一部で勉強会をしたり、八ヶ郷堰を利用している地区の研修会などで知った情報を基に現在進行しています。知識・力量・装備を充実させつつ継続的に少しずつ進めて行きます。応援ありがとうございます
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