毎週のように山を歩いていると日常のもやもやした感情が
山の中で整理されるという副産物に(結構前から)気が付いたわけで
もったいないからブログに残そうと思う。
ブログに残せば安心して忘れられるので
精神衛生上このサイクルはありだとも思う。
関東というか東日本出身というか東海地方の静岡人の私が
マクドナルドのことをマクドといった際に
で、先日後輩の女子に言われた一言
”マクドってマックでしょう?〇〇さんには言葉のアイデンティがないんですか?”
その場では明確な答えを出せなかったので適当に
「マック?マクドでしょ?マクド」
と返したけれど
アイデンティティというあまり会話の中で聞きなれない単語が登場したから、
もあるかもしれないけれど、言語という単語とアイデンティティがが
うまくリンクしなかったので、ずっともやもやしていたわけです。
なぜ、その会話の中でその単語を用いるのか、
マクドナルドを無意識にマックとマクドを使い分けている瞬間が確かにあり
マックカフェとかマックフルーリーとかこじゃれていて洗練されている際はマック
「マクドのポテトってたまに無性に食べたくなるよね、中毒性があるよね」とか
「他に空いてる店がないからマクドでも行くか?」など
ネガティブというか軽々しさを伝える際はマクドを使っていると思うので
文脈というかメタ言語というか
単語の持つ意味以上のニュアンスを伝えるのに便利であるが故に
わざわざその言葉を選択しているのだなと思った、特に会話においては。
だから当然自分のアイデンティティを匂わせたければそれにふさわしいチョイスを
無意識にするし、相手に合わせて使い分けもする。
関西圏に人勢の半分以上住んでいれば関西弁らしき単語は出るし使うし
TPOに合わせて地の言葉(いわゆる標準語)も用いられる訳であります。
だから、相手によってはアングラな言葉や日本語以外の単語も使うこともあるし、
どうしてもそのニュアンスを伝えたいときはネット用語や流行語だって使うのです。
だからあの時の返答としては
「言葉はアイデンティティもあるけど、気分でしょ」
がしっくりくるんだなと、腑に落ちてやっと消化できた気がする。
人はなぜあんなに長時間眠るのかといえば
夢を見て記憶の整理をしているといわれるように
私がなぜ山を歩くのかの答えの一つに
”日常のもやもやをリセットするため”が含まれていて、
こうしてブログを書くのも以下同文なんだなと改めて思いました。
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