1930年代に、アルプスの三大北壁の初登攀争いがありました。三大北壁とはマッターホルン、アイガー、グランドジョラスの北壁です。ヘックマイヤーという名前でピンとくる人も少なくなったと思いますが、著者はアイガー北壁の初登攀者です。第二次世界大戦の暗雲が広がり始めたヨーロッパで、若者達が難しいルートを求めてアルプスで切磋琢磨していました。貧しいヘックマイヤー達はミュンヘンから自転車でアルプスに通っていました。そしてアルプスの最後の課題と言われた壁に挑みます。この本はアイガー北壁の初登攀を中心に記録してあり、当時の熱い息吹が聞こえてくるので、是非読むことをお勧めしたいのですが、少々問題があります。
私が入手したのは二見書房版で安川茂雄氏の翻訳ですが、訳文がこなれていないのと、誤訳、間違いが多いのです。読んでいて???という個所がかなりあります。ブドウ糖をぶどうの砂糖漬けと訳すのはまだしも、30mも登ってハングに行き詰まって飛び降りた(!)というのも、英語の翻訳書では3mしか登ってないことになっているし、左と右を間違えていたり、北壁の歴史では外せないヒンターシュトイサーとクルツの写真が間違っています。ヘックマイヤーはドイツ人なので、原文はドイツ語です。安川氏はフランス語版を日本語に訳しています。フランス語の翻訳が悪かったのかもしれません。アイガー北壁初登攀の記録としては、ヘックマイヤーと一緒だったハインリッヒ・ハラーの著した「白い蜘蛛」の方が有名な気がします。でも北壁をずっとトップで登っていたのはヘックマイヤーですから、内容的にはこちらの方が断然面白いはずが、翻訳の問題で影に隠れてしまったかもしれません。
ただ、最初に出版された1950年代当時の状況では仕方なかったのかなとも思います。太平洋戦争中の空白、戦後の混乱からようやく日本の登山界も立ち直り、ヨーロッパの登山技術を吸収しようとする過程だったので、安川氏にとって、ヘックマイヤーの記述した装備や登攀技術は想像を超えたものだったと思われます。それでも、日本の若いクライマー達に、勇気と希望を持たせるために頑張って翻訳されたのでしょう。
ところでドイツの山岳博物館に、なぜ日本語の本が展示されているかです。その本はヘックマイヤー自身が、アイガー北壁の基部で拾ったものだったのです。氏はもちろん日本語は解りません。しかし、それが自分の著作であることに気付きました。それを博物館に寄贈した訳です。ヘックマイヤーも、そんなところで日本語の自分の本を拾うとは、と大変驚かれたとのことです。
その本の持ち主はアイガー北壁を目指してやって来たのだろうか。そして、どんな気持ちで北壁を見上げてたのだろうか。その本が一人の若者を北壁の基部まで導いたと考えると、たとえ翻訳に問題があっても、それだけで安川氏の評価が下がるわけではないと思います。
私もできることなら、いつか、クライネ・シャイデックのヒュッテのベランダで、アイガー北壁を眺めながらもう一度この本を読んでみたいと思っています。
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