エベレストの雪崩遭難でネパール人ガイド(今シェルパって書いちゃいけないの?)10名以上が亡くなったとの報道があった。商業登山のためのルート整備中だったらしい。ヒマラヤではどこにでも危険が潜んでいるから、別に驚きもしない。これが商業ベースに乗ったお客さんたちが死亡したらもっと大変な報道になったかな。特にタレントさんだったりしたら。それでもヒマラヤで人が死んでも、それが知人でも、もう驚きはしない。
僕がこの報道を読んで驚いたのは、エリザベス・ホーリーさんのコメントが出てたこと。えっ、まだ生きていたの!(失礼!)
それこそ30年以上前、初めてのヒマラヤ遠征で、カトマンズのゲストハウスの庭で準備していたとき、西洋人の普通のおばさん(当時すでにおばさんだった)が訪ねてきて、登山計画などの話を聞きたいといってきた。それがホーリーさんだった。すでに何度か遠征隊に参加経験のある先輩から、あの人はカトマンズでヒマラヤ登山隊の情報を集めて、通信社に発信しているそのすじでは有名な人だよと後で教えてもらった。当時はもちろんインターネットなんかないし、カトマンズから日本に電話するには、直接中央電話局まで行って申し込んで、運が良ければ6時間後くらいにつながった。そんな時代にカトマンズに住んで仕事していたなんてすごい方です。
調べてみたら、やはりその世界では超有名人で通っているんですね。ヒマラヤどころかしばらく山の世界から離れていたので知りませんでした。もう80歳半ばですが、まだお仕事されているようです。お元気でいつまでも頑張って欲しいものです。
>初めてのヒマラヤ遠征で・・
ヒマラヤ行かれたのですか
ぜひ、日記でもお話を投稿してください
でわでわ
ウエダさん、コメントありがとうございます。
もうかなり記憶が薄れてきているので、想い出しながら当時の事を日記に書けたらいいな、と思ってます。
今回はこの方の名前だけは忘れず、すぐにあのカトマンズの夏の思い出がよみがえってきました。
アンコタさん
ホーリーさんに取材されたのですね。すべての登山隊の記録を把握するには、カトマンズで足で歩いて聞くしかないですから、大したものだと思います。
日本からの登山は、以前は日山協が把握していたし、その後もヒマラヤ協会が一覧にしていましたが、2000年過ぎた頃から、もう把握は無理と山森会長が書いていました。
個人登山、ツアー登山、個人情報秘で。
ヨネヤマさん、コメントありがとうございます。
ホーリーさんとは直接お話しした訳ではなく、隊長などのトップが対応し、私の様な下っ端隊員は装備の梱包などで忙しかったです。ただ、白いワンピースを着たホーリーさんの姿は、いまだに脳裏に焼き付いています。
それまでヒマラヤに遠征できたのは、日本山岳会、日本山岳協会や大学山岳部OB会などの看板を背負ってないとダメでした。ようやく社会人山岳会が単独で行けるようになった頃です。まだ遠征隊の数も少なく、カトマンズにプロパンガスボンベなどの装備をデポして、いくつかの山岳会で共同で使っていました。たしか1ルート1シーズン1登山隊しか許可が下りず、エベレストなどは10年待ちといわれてました。80年代後半以降は山にうつつを抜かしている訳にもいかず、会社に入れば長い休みなど取れなくなりヒマラヤとは縁が切れてしまいました。それからかなりヒマラヤ登山の状況が変わったようですね。
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