さかし、人様の記録も読まず、こういった日記で暇つぶしをしているのはヤマレコ依存症ともいえなくない。
※まー、人の記録読むのも同じか(⌒▽⌒)
表題の件に初めて触れたのは、5年位前の半原越え(神奈川の清川村と愛川町半原を結ぶ峠)に看板があり痩せ馬に乗せた繭がこの峠を越えたとか書いてあった
その頃は例えば、座繰りと器械製糸の違い、春蚕・夏蚕の意味以前に、その言葉自体も知らず、アパレルの上流下流も知らなかったけど
そういえば子供のころ愛玩用に蚕を飼育したことがあるのとサイクリングの下積みで、こんなシルクな記録を書くことが出来た。
俺のシルクロードがこんなに地味なわけがない★神奈川(三増峠・小倉山)★自転車パスハン 2015年06月20日(土)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-559854.html
感想欄にこんなことが書いてあった
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当初は、なにげない生活道で古戦場(信玄道)を越えるパスハンと思っていたのですが、計画段階で調べていくに当たり、浜街道?神奈川往還?絹の道?横浜港から輸出?という”深遠すぎる、なにこれ状態??
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あれから4年、お蚕と製糸に関してはイタリアワインと同じくらいに造詣が深まったw
おいらを突き動かしたのは、富岡(松代)の英ちゃんである♡
若干17歳で富岡入り、一年後に故郷松代に立った民営初の器械製糸・六工社の技術リーダーとして活躍。富岡日記の著者。
英ちゃんに墓参したり、富岡同僚の静岡旗本の娘今井けいさんの追跡を、静岡でしたりした。
横川の駅に何回通ったろう。
上州横川(坂本宿)は、鉄道の峠越えの闘いであるとともに、横浜東京と長野新潟を結んでいる要衝の峠である。
揚げ句2回駅寝しうち一回は碓氷を越え英ちゃんの松代に乗り込んでいるw
富岡は横川(坂本)に近いし、その途中の松井田・安中は今でも養蚕地帯だ。
碓氷製糸場では日産の製糸機が稼働中。
伊豆松崎
避寒と絶景・陸の孤島(下田とは仲良し)を繋ぐ下田街道、婆沙羅峠、牛原山の桑園。松崎製糸社と富岡流六人娘。・・海のシルクロード
岡谷
初夏の諏訪湖訪問は実にいいものだったが、諏訪・茅野と比べ人が少なく寂しげだったのも事実
野麦峠の真実はいかに。
氷る湖の木霊呼びつつ機始 原柯城
(こおるうみのこだまよびつつはたはじめ)
初めて読んだとき諏訪湖畔での機織りということは解った。 が・・今更ながらに湖に身を投げた工女さんを絡めてのことか?
★以上ほとんど呑みながら回想
まとめ
9月16日 横川前泊松代
繰り糸の重さ軽さよ美しき ほの香
Honocaさん、こんばんわ。
先日、富岡製糸場関連の4施設を巡り、
荒船風穴で春蚕・夏蚕の違いについて、
レクチャーを受けてきました。
英ちゃんに萌え?💛
うちの嫁さんは未だに製糸場の話になると、
昔、映画で見た「あぁ野麦峠」のシーンで
トラウマになった話を、絶叫交じりに話してくれます。
絶叫家庭、、お疲れ様です♡
いまだ荒船風穴は未訪問な手前ですが、あそこは他三箇所とは異なる自然遺産的な趣、つうか廃道探索的やら国境突破な趣がありそうな地と感じております(´ー`*)
映画の野麦峠で・・
創作も入っていると聞いていますが現実もあるのでしょう
ただ、英ちゃんの富岡日記に続く明治10年・地元六工社での富岡後記には”花やかな富岡のこと、一日も忘れられぬ所”とあります
30年後(明治40年)の岡谷と単純に比較はできませんが、電化により夜勤が派生したようです。
また富岡日記によれば、官営(国営)冨岡製糸場創業当時、新平民(部落出身)の工女さんも雇用し英ちゃんの師匠(入澤筆)とのことです。これから決してお嬢様の寄宿生活ではないということがわかりました。
※ただ英ちゃんの晴れ舞台?明治皇太后行啓の際、筆さんが職場に出たかは知りませぬ
少し堅い返信となりましたが
平成30年10月21日 岡谷諏訪にて
秋の日を窓いつぱいに座繰る哉 ほの香
座繰りは昔ながらの糸繰り
糸偏のコメントありがとうございます ♪(ノ)’∀`(ヾ)
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