今は詠み人は伏せておきます。
句意としては、
草野球の試合をしている人たちを見かけましたが夏草にさえぎられて近くで見れませんでした。。 となるでしょうか。
(°д°) はぁ?的な。
■季語の「夏草」。
★季感 季語の夏草は生い茂るとか通行が妨げられてウザいとかで大した風物ではありまあせん
★本意(イメージ) では、夏草から受ける連想(小説・古歌・絵画・行事等の影響)はどうでしょう。。
★ 夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡 松尾芭蕉
今は夏草が生い茂ったこの丘は、かつてつわものどもが華々しく戦い功名を夢見た、その夢の跡である。
`夏草や‘ とした時点で芭蕉の句が連想されなければならない
それくらい「夏草」という季語=芭蕉があります。
能因、西行の歌枕を目的に出立した「おくのほそ道」だが、京への街道筋とは違う東北の素朴な人々。道中に義経伝説に触れる。
「おくのほそ道」のクライマックスは、奥州平泉にて笠を打ち敷いての義経と藤原三代の栄華の、歴史回顧である。
夏草を使うからには、、
それを、夏草やベースボールの人遠し ??
草野球の試合をしている人たちを見かけましたが夏草にさえぎられて近くで見れませんでした。。とか
■作者を紹介します
夏草やベースボールの人遠し 正岡子規
明治三十一年作
この頃には結核も進んで脊椎カリエスとなり、ほぼ病臥の状態(明治三十五年34歳で逝去)。
野球の導入に尽力。「バッター」「ランナー」「フォアボール」などの野球用語を「打者」「走者」「四球」などと翻訳。自身も野球好きで、吐血する明治二十二年まで捕手。高浜虚子なんかと松山でプレイしていたそうです。
−−−−−−−−−−−
草野球の試合をしている人たちを見かけましたが夏草にさえぎられて近くで見れませんでした。。
どころの話ではない
★句解 今は夏草が生い茂った向こう、野球を楽しんでいる病前の自身が見える。
芭蕉の句とも呼応し見事ではないか
なお子規は眼前のことを詠まないことがある芭蕉嫌いであったが自身没前に和解したと聞く。
それが、夏草や、の「芭蕉への挨拶句」が始まりだったのかもしれない。
−−−
‘’夏草‘’のように使いにくい季語(+形用詞)
‘’月‘’ 清し
月清し遊行のもてる砂の上 松尾芭蕉
月清し人魚の瞳見ゆる程 ほの香
この句は、YUKI-USAGIさんの絶賛を頂き誠に光栄でした。
もちろん芭蕉への挨拶句でありますが判る人が解ってくれればいいんレベルです(^▽^)
つか出勤時に大きな蛾がいたんだがww
オオミズアオというらしい
道灌山での虚子との夕顔をめぐる論争を踏まえれば、子規なら、「夏草」には芭蕉の句がもたらすイメージを絡めず、純粋に夏草がそこにあるという、それだけの意味で詠んだんじゃないかな〜、やっぱり、と私は思いました。
子規の病気を知っていると、「遠し」には物理的距離だけではなく、健康を害して野球が出来なくなった子規の、野球を楽しむ人々との間の心理的距離が読み取れますが、それにとどまらず、病前の自分を見るという発想は斬新ですね。そういう解釈の方が面白いといって支持する人はきっといるでしょうね。
ところで、カタカナ語はなるべく使うべきではないなどという月並宗匠化した俳人が近時少なくありませんが、さすが近代俳句の立役者だけあって、子規は先進的ですね。
春風や闘志抱きて丘に立つ 高浜虚子
「春風」の読みは、‘’しゅんぷう‘’と勝手に解釈していたのですが、最近に虚子本人の‘’はるかぜ゜という読みを知るに、驚いたものです。
はるかぜやとうしいだきておかにたつ !!
項の子規の「夏草や〜」の解釈はもちろん自解ですが
夏草、、という時間経過のある(芭蕉句の)イメージと、眼前解釈の子規の実は時間経過(解は解れますが)の夏草が
時を越え歌仙に巻かれた!! という酒のつまみのようなww
カタカナは必要な時だけ、、と教わっていますが今回の吟行でチョコバナナとかチャレンジで使ってますw
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