別名下調べですが、登る山の情報なくして安全な登山計画は立てられませんよね。
ここにおられる皆様は綿密な情報収集・共有をして登山に臨んでおられることと思います。
しかし、以前からふと考えてしまうことがあるんですよ。
収集した情報の精度が高ければ高いほど失われてしまうものがあるのかな…と。
それは『未知に対する感動』です。
実際どういうことなのか?
私にとって特別な山の一つである『鷲羽岳』を例に、昔話にどうぞお付き合いください。
鷲羽岳はかつて私が高校生の頃に山岳部の縦走で登った山の一つです。
当時入部したての1年坊で、先生や先輩におんぶだっこの典型的なお客様登山者だった私。
何も知らない、何が待ち受けているのかも想像だにしていない。
そもそも自分が日本地図上のどこに立っているのかも正確には理解していない。
そんな私が鷲羽岳の山頂に立った時の感動は今でも忘れません。
『こんなに山深い場所が日本国内にあるのか…』
360度、見渡す限りの山、山、山、まさに大自然山岳ど真ん中。
街など影も形も見えず、どこまでも山が無限に続いていくかのように思える非現実的な景色。
多少の思い出補正もあるでしょうが
しかしそれより何より『無知』だったが故の感動だったと私は考えます。
登山歴も長くなり、多くを知ってしまった今ではこの感覚を再び味わうことは不可能でしょう。
何故ならば
景色のその先に街がある事を知ってしまっているから。
山が無限に続かないことを知ってしまっているから。
そこに辿り着くまでの道と、その道の先がどこに繋がっているかを知ってしまっているから。
目を瞑れば山頂からの景色を容易に想像できてしまうから。
近年はSNS等の発達により、より最新で高精度な情報が簡単に手に入るようになりました。
情報化による利便性向上は、こと安全登山においては大いなるメリットと言えるでしょう。
しかし、冷静に考えれば山の情報とは即ち盛大なネタバレでは?とも思います。
毎回あらすじを予習してから映画を観に行くようなもので、年々その精度が向上しているのは皮肉な話です。
安全に登ろうと情報を集めれば集めるほど、新鮮味は薄れ、感動からは遠のいていく。
『頭カラッポの方が夢詰め込める』と某アニソンの歌詞にもありましたが
何も知らずに山に行った方が感動できる余地が大きいのではないか?と思ってしまいますね。
ここで言う感動とは、あくまでも『未知に対する感動』に限った話です、補足しておきます。
まぁ安全登山をする上で、何も知らずに行くわけにはいきませんよね。
ですから表題
『情報収集のジレンマ』
そう感じること、皆さんにもありませんか?
あーそれは確かにあるかも知れないです
すみません、あまり考えたこともなかったんですが
ただ、ヤマレコなどで写真を見て
ああ、こんな景色が広がっているんだろなーと思いつつ
でも、実際に自分の目で見た景色は写真や動画では絶対に感じられない
景色の壮大さや奥行き、立体感があるのでそこを皆さん感じられてて自分の脚で山へ行くんだと思います
あと、山での食事やお酒、人との出会いは下調べでは感じられないことですもんね🍺
コメントありがとうございます(*'▽')
仰る通り、山の魅力は何も『未知との遭遇』に限ったわけではないですもんね。
人によっては同じ山には2度登らないなど『初見』や『未知』による感動を重要視されている方もいらっしゃると思いますが、そこまで極端ではなくとも私はどちらかといえばそっち寄りの感覚なのかもしれません。
事実、同じ山に再度登るなら記憶リセットしたいと思っているくらいなのでw
ただ当然ながら得た知識や経験はリセットできませんので、私も同じ山登るときには人と交流したり、違うルート選んだり時間ずらしたりといろいろ工夫しながら楽しんでます♪
山歴の長いベテランさんは、その日の現地の空気感(何なら雨ですら)や人との交流を大切にされている印象ですね。
情報はあくまでも情報で、どれだけ集めてあってもお山に関してはネタバレとは意味が変わってくるのではないでしょうか?
その場に立ってその景色を眺められるのは自分の足でそこに辿りつけた人だけです。
お山は究極の自己肯定感を満たす行動で、誰かに運んでもらって辿りつくのとは違うってのが大事な点かと思うのです。
アルプスの山奥も都心の人工富士山も、そこへ行こうと思って自分の足で動いた人しか真の情報には出会えてないと思います。
長文失礼しました。
コメントありがとうございます(*'▽')
そうですね、確かに情報は情報ですので実際の経験の代替とはなり得ないと思います。
山に登った達成感、現地のリアルな空気感、充実感、自己肯定感など
情報収集はそれらの魅力に何ら悪影響を及ぼさないと思います。
私が文中で言うところの『未知に対する感動』というのが、もしかしたらイメージしずらい内容だったかもしれませんね。
一般的には情報も与えられず山にお客様感覚で登るという状況は推奨されませんので。
ただ、自分の現在地すらよくわからず、これからどんな姿をした山に登るのかわからない状態で踏んだ山頂が、自分史上最も印象深い山として記憶に残っているというのは私の中では事実で…
何なら私は完全に情報をシャットダウンされ、何の先入観もない状態で頂踏んだ方が感動するタイプの人間なのかもしれないと思う次第です。
まぁそんなの事実上無理なんですけどw
それはあるかもですね〜。
映画なら予告編を見て映画館に行きたいと思うように、
ヤマレコを見て登りたいと思う山もあります。
やはり見どころを紹介してもらえると山の魅力がアップします⤴️
ツアーなどでガイドさんがいればその辺大丈夫かと思いますが。
YouTubeに登山口から山頂までシームレスな動画があったりしますが、
ヒーコラ💦言いながら山に登った感動は何物にも変えられませんね。😄
コメントありがとうございます(*'▽')
あぁ予告編!なるほど情報収集をそう捉える考え方もあるわけですね…
確かに人のレコ眺めているうちに行きたい!と思う事ありますもんね。
今思えば、昔ながらに写真のほぼない地図のみでルートを決めて計画立てていた頃が、現地の景色のサプライズ感あって、自分には最も合っていたのかもしれません。
なまじ色々な人のレコで情報を集められるがゆえに、ネタバレの領域まで調べすぎてしまうのが自分としてはあまり良くないのでしょうね。
確かにツアーガイドに全任せすればある程度情報絞った未知の状況は作れるかもしれませんが、性格上結局調べてしまうんだろうなぁw
まぁ初見の場所でも初見と思えないくらい調べ尽くして行くというのは、本来登山者としては正しい姿なのですけどねσ(´∀`;)
自分は1泊2日とか2泊3日ルートを日帰りで、というか、日帰りと言い張る為に0:00とか1:00スタートでとにかく日付が変わる前までに降りてくる遊びをしてます。
YouTube動画は興醒めなんで見ませんけど、散々レコ読み漁って、色々調べて、クリアに必要だと思ったスモールステップ登山もいくつか踏んだ上で挑みますが、ホントにやり遂げられるのか"未知"なんで、毎度色々苦しんだり驚いたり感動したりします。
危ない事をしたい。でも、別に死にたいわけじゃない。そこら辺の匙加減が難しいところですが、多分、自分なりの冒険がしたいんだよなって納得してます。
未知じゃなくとも何か冒険心を掻き立てられるエッセンスを加えてみるのも面白いと思いますよ^^
コメントありがとうございます(*'▽')
仰る通り、真っ当に登っていれば情報なしなど基本ありえませんからねw
登山経験を積むに従い、山域状況やそこからの景色なんかも何となく地図や文字情報からでも読み解けるようになりますから、経験を重ねるごとに新鮮味が失われるのは致し方ないのでしょうね。
登山者として円熟味が増すという話なので、本来は喜ぶべきことなのでしょうけどw
tak_tさんの日記とレコ拝読させていただきましたが、自分の限界への挑戦や新たな課題の克服というような意味での『未知』を存分に楽しまれているようにお見受けしました。
元々私も日帰りロングが好きなので、下調べからの課題設定、達成感という楽しみ方は大いに共感するところであります。
まぁ私の鷲羽岳の感動は、何の経験も知識もない若造が、北アルプス最深部のインパクトに初見殺しされたみたいなことなので、その感動自体が異色なものなのでしょうね。
アルプスのメジャールートでは、下調べに起因するある程度の既視感はあるでしょうが、その時その時で気象条件も変わるでしょうから、その点では一期一会とも言えるでしょうか。
ただ、未知の道を行く冒険感というかワクワク感は減殺されてしまうかもしれませんね。
その点は当方里山低山のマイナールートで補填しております。
感動や充実感MAXになるような山行ができる年齢は過ぎましたので、頭と体のアンバランスが破綻しない程度にぼちぼちと楽しみたいと思っております。
コメントありがとうございます(*'▽')
情報を仕入れる、何度も足を運ぶ、人のレコを見るなど、登山者としては必要なことなのですが、回を重ねるごとに既視感が募ってしまうのは仕方ありませんね。
本来それは経験と呼ばれるものなわけですし。
初見のワクワク感は、始めたばかりの初心者の特権ということですかね。
既に知り尽くしている場所であっても、一期一会やその瞬間にしか味わえない感動を大事にしていきたいと思います♪
あ〜そう言われてみると年齢も関係あったのかも。
若い頃の方が感受性が豊かだったのも関係しているかもしれませんねw
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