そろそろ標高2000m級の山々を歩きたいこの時期、晴れ予想を受けて、この週末は尾瀬山行からの沼田でホタル鑑賞を企図していたが、当日朝、天気予報を確認すると、いつの間にか傘マークが。
梅雨の晴れ間とはいえ、大気の状態は不安定なようだ。土日ともに北関東は午後に天気が悪化するとのことなので、山行は一休みとし、久しぶりに映画を観ることにする。
観に行ったのは『ひめゆり』。沖縄戦、ひめゆり学徒隊生存者による証言記録集だ。
この映画は、それ自体、イデオロギー臭が無く、どんな人にも紹介できる名作だっが、上映後のトークイベントにおける監督と青年との遣り取りがこれまた秀逸だった。
青年は概ね以下のようなことを述べた。
本作は77年前の戦争に関する映画だが、今現在、ウクライナの人々が同様の状況にある。このような状況下、平和のために戦争について知るということは重要であり、本作のテーマも「教えてください」となっているが、日本においては、「知る」の先が無いように感じる。「知っておしまい」になっている場合が多いのではないか。
昨今、ニュース番組等を見ていても、「戦争は愚かだ。怖い。してはいけない。」といった最後の言葉が、とってつけたような、紋切り型の定型句に堕しているように感じる。一方で、戦争体験者の減少に伴って、若い人が語り部を引き継ぐという話もあるが、戦争経験者と未経験者では話の重みも違うわけで、今後、知る側だけでなく、伝える側も形だけになっていくのではないかと危惧する。
戦争体験を伝えるのは『ひめゆり』のような作品に任せて、戦争未経験世代は未経験世代なりにできることがあるのではないか。語り部を引き継ぐというのは方向性としてどうなのかと思っている。
もちろん、このような作品に触発されて活動する人もいるとは思うが、それで聞こえてくるのは「憲法」、「自衛隊」、「基地」といった話ばかりで、この7,80年間の戦争が、ほとんどアメリカ、ロシア・ソ連、中国、イギリス、フランスによって引き起こされていることを考えると、あまりにも内向き過ぎで、世界平和という普遍的なものに対して意味を持っていないのではないかと疑問に思う。
「戦争について知ること」は基本ではあるが、戦争体験者がいなくなる世代の転換点において、今後の平和への取組はいかにあるべきか。
それに対して監督は端的に、
「この映画を観た人皆さん一人一人が監督です。」といった感じで返した。
そう。この映画は、ああすべき、こうすべきなどと観客を誘導したり、特定の考え方を押し付けたりするものではない。ただただ「戦争のことを教えてください」と虚心坦懐に戦争体験者の紡ぐ言葉を引き出し、我々にそのまま伝える作品だ。
これを見て何か感ずるところがあったならば、一人一人が自ら監督となって各々その先の物語を作っていきなさいということなのだろう。
青年の言うことにもなるほどと思ったが、右を向いても左を見ても一億総コメンテーター時代。自ら行動する者は少なし。
平和に限らず、政治、景気、物価高、山関連では山道の整備や山小屋の存続、登山マナーの問題等々、いろいろと思うことは数あれど、では、それに対して自分はどうするか。何ができるか。考えるだけでなく、できることからやっていこうという気持ちを呼び覚ます良い体験となった。
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