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このうち、寝台特急カシオペアの通常運行の終了につきましては、元々何の興味もありません。何故ならこれは、2名のカップル・コンビでなければ事実上乗れないという列車であり (2名分のカネを出せば乗れるでしょうけど)、言外に「リア充専用!ぼっち邪魔!一人旅お断り!」というコンセプトが漂うからです……(泣)。
しかし、青森と札幌を結ぶ夜行急行「はまなす」の廃止は、長年夜行列車の旅・長距離列車の旅に親しんできた立場からみて寂しさ募ります。昔は、国鉄・JRであれほど沢山走っていた急行列車が、ついに行楽シーズンの僅かな臨時列車を除いて消滅してしまうとは……!
かつて特急が名実ともに「特別急行」であり、ワイド・ミニ周遊券を持っていても別に料金を払わなければ乗れなかった頃、全国を股にかける急行列車は、ボックスシート中心で決して楽な乗り物ではなかったものの、ワイド・ミニ周遊券さえあれば乗ることが出来、「金はないけど時間はある」旅人の良き友でした。あるいは特に山登りの場合、新宿駅や上野駅で長時間並び、山へ行く夜行急行にザックを抱えて乗り込んだ方も多くいらっしゃることでしょう。
そう、急行列車は、自由席ならば予約せずともいつでも気軽に、飾らない格好と大荷物で乗り込み、思い思いに旅へと踏み出すことが出来る、最高のツールだったのでした。
しかし、このような文化を、何故日本は育て発展させることが出来なかったのでしょうか……。
その理由として、以下の点が挙げられるでしょう。
(1) 新幹線を経営するJRは、採算割れになりそうな並行在来線を廃止できるようになったこと。
(2) 誰もが時間を買って、新幹線や特急列車、あるいは飛行機や高速道路に流れる中、必ずしも速くなくボロい急行が見捨てられていったこと。
(3) それに伴い、新しい車両が用意されなくなったこと。
この結果、最近の「はまなす」は、まさに満身創痍、錆びた車体から塗装がボロボロ剥がれ落ちる凄惨な姿で、最後の力走を続けていたのでした。
これに対し、割と最近まで残り、数年前に廃止された「能登」「きたぐに」の場合、車両の程度はややマシでしたが、折角特急のお下がりの快適な車両を使っているのに、廃止のニュースが流れるまでのオフシーズンは悲しいほどガラ空きであったのを思い出します。
とはいえ、たとえ急行列車が凋落してしまっても、このような列車を必要としている客層は、今も昔も確実にいるはずです。その一つは、とにかく安く旅行したい学生でしょうか。
かつては、例えば学生が一斉にスキーなどに行くシーズンになると、臨時夜行急行や「急行シュプール○○号」の類いが大増発されていたものです。しかしJRが車両の老朽化や駅の夜間営業省略を理由に、どんどんこれらの列車を廃止してしまったのでした。そこで行き場を失った学生など、遅くても安くて便利な急行列車を利用したい客層は、規制緩和もあって新たに台頭した格安ツアーバスに流れ、ついには関越道や先日の碓氷峠での事故に……。このような悲惨な出来事と急行列車の廃止が全く関係ないと断言できないでしょう。
急行列車の客になりうるもう一つの客層は、外国人観光客でしょうか。多くの外国では、他の物価に比べて交通費は安く抑えられているものですが(そのため、たとえばアジアの多くの国では、移動往来は極めて盛ん)、日本は他の物価に比べて交通費がやたらと高いという現象があります。そこで、私が知っている外国人は誰もが「日本はとても良い国だけど、交通費だけ高すぎて困る」と文句を言っているのが実情です。アジアにせよヨーロッパにせよ、鉄道が盛んな国ではどこでも、高速列車と並んでこの手の安い長距離急行をしっかりと残しているものですが、何故日本はこうなってしまったのか……。
その結果、いまや鉄道の旅は、新幹線&特急の旅と、青春18きっぷで小まめな乗り換えを強いられる旅に二極分化してしまったと言えましょう。このような現状は「自称・鉄道大国」として恥ずべきものがあるように思います。
今日チラリと読んだ某鉄道ジャーナリストの文章では、将来の「大人の休日パス」の客層を確保するためにも、「青春18きっぷ」で若者を囲い込むのは欠かせない云々……と宣っていました。しかし、今の50代以上は、かつて急行列車で周遊券の旅や夜行列車の旅、そして長距離鈍行の旅をしまくったからこそ鉄道への思い入れが強いのであって、今日のように小間切れの普通列車で乗り換えの連続を強いられるしかない中、18きっぱーになるしかない若者がどれだけ鉄道に思い入れてくれるのか、全く見当もつきません。実際に、怪社の若手と会話していても、彼らは18きっぷで帰省という概念が余りない……。
こうして、急行列車に象徴される「辛いけど安くてそこそこ便利な」長距離列車の遺産と思い出が今後失われるにしたがって、日本の鉄道文化も廃れて行くことでしょう(技術は進歩するかも知れませんし、そう期待したいですが)。あるいは、そんな列車とともにあった山登り文化も、確実に過去のものとなりつつあるのかも知れません (登山口へ夜行ツアーバスで向かうという形態も一般化しつつありますし)。
というわけで、長文乱筆大変恐縮ですが、そんな時代の変わり目に寂しさを感じる鉄ヲタとして、声を大にして「急行列車万歳!!」を叫びたいと思います……(無力感に満ちた叫びですが)。
嗚呼……山登りの便利さに鑑みて、急行アルプス・妙高・能登・佐渡・八甲田・ちくま・きたぐに等々、復活してくれないものでしょうか。
(画像1) 間もなく消える夜行急行「はまなす」@青森駅
※今はヲタ殺到で、ホームの先端は撮影禁止とか何とか……

(画像2) 急行型電車というジャンルも消滅寸前……。
※七尾線で2〜3両だけ残っているはず。
(画像3) 今から35年前、1981年夏の中央東線夜行列車・新宿発時刻。
7月下旬から8月中旬まで、週末にはこれだけ乱れ打ちだったのでした。
新宿駅アルプスの広場とか、大変なザックの山だったことでしょう……。
bobandouさん、こんにちわ。
むむむ。。永らく急行列車にお世話になった
昔の貧乏学生でしたから、まったくもって同感です。
急行列車万歳。特に夜行列車万歳。。!!
JRの凋落は会社自体の体質もあるんでしょうけど、
各種の規制が高速バスなどに比べてきつすぎる
ことも一因かと思います。。
国鉄時代からそうですが、各種の需要を喚起する
努力と才覚がなかった。。その気もなかった。
につきると言うと可哀想でしょうか。。
bobandou様
こんにちは!
レポート拝見させて頂きました。全くの同感です。
確かに新幹線が全国各地に広がり、大都市間への移動は便利になりましたが、そうでない地方の中小都市へは昔より不便になってしまった気がします。
昔は鉄道に乗っていること自体が”旅”の大きな要素だったと思います。私も幼小の頃、東京から西鹿児島まで走り通す「急行 桜島・高千穂」に乗車して、ほぼ丸一日かけて父母の故郷の九州に旅していた事があり、今でもその当時のことを覚えています。東京から九州まで乗り通す人はさすが少なく、東京から西に進むにつれて乗客の会話が名古屋弁、関西弁、広島弁、そして九州弁と少しづつ変わっていくのを鮮明に記憶しています。
夜行スキーバスとかつてのシュプール号に代表される夜行スキー列車に関するbobandou様のコメント、本当に共感させられました。
どんなにバス運行の関する規制を厳しくしたとしても、そもそも冬の雪が積もった、或は凍結した夜の暗い道を走ること自体とても危険なことには変わらないのでしょうから、事故の抜本的な対策として、安全を最優先にするのであれば国もバスの運行よりも、鉄道の利用について考え直して頂きたいものと思います。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
夜行急行、とくにその自由席ボックスシート……。これはまさに「旅」の基本中の基本かと存じます。狂おしいほど長い闇を、鉄の箱に揺られてくぐり抜けて朝を迎えるごとに、好奇心に満ちた若い魂はさらに新しい経験の扉を開ける……なんて書いたら中二病の極みかも知れませんが
こと国鉄→JRについては、確かに政府も世論も実に冷たく、その割には規制もきつく、さらに国鉄時代も地域会社化されたJRも縄張り意識が強く、柔軟なサービス展開が出来なかったのも致命的なのでしょうね……。まぁ国鉄末期約20年のあいだのストライキや遵法闘争の嵐、そして態度が悪すぎる組合員の接客、値上げの嵐……で国鉄の印象が悪くなりすぎ、その後湯水の補助を得られた道路行政に比べ、鉄道の冷遇につながってしまったといえばそれまでなのですが
貨物と同じく、長距離列車については別の全国一体会社の管轄とすれば、その会社も利益を求めて様々な新サービス列車を用意したことでしょう。あるいは、新規参入業者を認め、車両と客室サービスは新業者が用意し、切符はネットなど様々なルートで販売、運転と車両保守はJRに委託という感じにしても良かったはずです……。
あとはまぁ、地域会社に新幹線を任せたのも致命的でしょうね。新幹線と在来線が全く別会社な台湾では、国鉄にあたる台湾鉄路局が新幹線に対抗してジャンジャン在来線特急や急行を走らせていますから……。新幹線・在来線・高速バス各社が激しくサービスを競い合い、しかも一定のレベルが保たれ、利用客は大喜びという……。日本はその逆です (T_T)。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
レポートと申しますか、ただの愚痴なのですが
おっしゃる通り、鉄道による長距離輸送が新幹線に集約された結果、新幹線が止まらない中小規模の街は激しく切り捨てられ、新幹線停車駅の周辺だけ東京のコピーのような街が増えていったのとは全く対照的な事態になってしまったと思います。佐久平が栄えて小諸が激しく凋落したのはその代表例でしょうか。
あと、北陸新幹線は確かにとても便利ですが、富山県民が関西や名古屋に出るには恐ろしく不便になりました。また、十和田市から東北本線の三沢に出る客を運んでいた十和田観光電鉄が、新幹線の三沢スルーによる乗客の激減もあって廃止され、十和田市の駅周辺もゴーストタウンになってしまったという事例が……。
他にも、急行列車が割と丹念に止まることで、小さな駅でも大都会と結ばれていたはずが、急行、そして特急の廃止で完全にローカル駅化、さらに無人駅になってしまい、長距離客はそれこそ高速道路のIC脇に作られたバス停にクルマで送ってもらい夜行バスに乗るという事例が増えたものです。そっちの方が便利、という人も多いのでしょうけど、旅情というものは全然感じないのは私だけでしょうか……
本当に、鉄道の旅は、大きな駅から小さな駅まですべてが日常と非日常の交錯する空間であり、大いなる非日常のつもりで列車に揺られているはずが、そこに乗ってくる人々の土地ごとの会話はモロに日常、というギャップも面白かったですよね!
ここらへんはさすがに、特急、とりわけ寝台特急ですと味わえないわけですが、自由席がジャラジャラ連結された長距離急行でしたら完全にそんな世界だったものですね……。私などは世代的に、特急はやぶさ・富士が西鹿児島まで運転されていたのが一番スゲー!という印象でしたが、それらと同じ距離を走っていた「急行桜島&高千穂」なんて完全に伝説の世界です(私が物心ついた頃に廃止となってしまいました)。10系・43系客車で、東京〜西鹿児島を乗り通してみたかったです……(遠い目)。
格安バス偏重による悲惨な事故の増加と、スキー列車・夜行列車廃止とのあいだには相関関係があるという見方につきましても、共感して頂きありがとうございます。プロ意識が高い路線バスの運転士氏の鮮やかなハンドルさばきに信頼している一方で (路線バスの旅も好きですので
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