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2016年12月31日 22:562016-2017スキー全体に公開

天国の伊良部秀輝様へ……(岩原スキー場にて)

12月30日、連れ合いと新潟県湯沢町の岩原スキー場に行ってきた。

スキー場は、吹雪、強風なのに、バブルなのかと思うほどの人人人
11時頃には長蛇のリフト待ち状態になった。2時間練習したので終了にした。

岩原スキー場は私が初めて行ったスキー場。

私が本格的にスキーをするきっかけは、ある女性との出会いだった。
その女性とは1996年10月大阪の藤井寺球場で出会った。
その日は、結果的に伊良部さんがメジャーリーグに行く前の、日本での最後の登板となった。
朝新聞を見たら予告先発で記載されていたので、大慌てで、新幹線に飛び乗り、まず新大阪まで行き、そこから駅員さんに藤井寺球場への行き方を聞いてどうにかたどり着いた覚えがある。
試合中にその女性が私の席に来て
「この間の千葉マリンスタジアムにいらしてましたよね!!」
とお声がけしていただいた。
その後色々お話をさせていただいて、意気投合
試合はナイトゲームだった。最終の新幹線はなくなり、私は夜行電車で帰ることになった。
(次の日、研修があり朝までに東京に帰らなくてはならなかった。)

彼女は学生時代アルペンスキーをされていたとのこと。

私は1995年11月に、港区の社会保険庁が企画した「初心者のためのザウスでスキー教室」に参加。これが人生初のスキーだった。

なぜかスキーに行こうということになり、11月にザウスで練習。
12月に岩原スキー場に連れて行ってもらった。

その後、彼女は博士論文を書くことになり、とっても忙しくなり、スキーに行ったのはこの一度きりである。(専門は「能」)
また、結婚されて、京都に引っ越しされた。さらにアメリカやドイツの研究所に招聘されて、最近やっと日本に戻ってきた。
彼女との出会いのおかげで、私はせっせこスキーにはまり、アルペンスキーをするようになり、おかげさまで結構幸せな人生を送っている。

伊良部秀輝さんは私の人生の転機を与えてくださった。

私が伊良部さんのファンになったのは1995年のおそらく10月。
その年、パリーグの防御率争いを、同じチームの、小宮山さんとヒルマンさんと伊良部さんで争っていた。最終試合の対西武ライオンズ戦、3人が同じイニング数登板し、決着をつける次第になった。
当時の私は実は西武ライオンズのファンだった。
しかし、ブルペンでウォーミングアップする伊良部さんのビュンビュンなるボールの音に圧倒された。登板されて、手元から放たれる、ボールの速さ、コントロールのよさ、140km台のフォークボールを見て感動してしまった。
それ以来、メジャーリーグに行くまで、見に行かれる試合は全部見に行った。

伊良部さんのおかげで、私は彼女に出会い、スキーを始め、それまでの荒廃的な人生と決別できた。

岩原スキー場は私の本当の原点。
そして、前向きなやり直しの人生を始められた場所。

伊良部さんは、御自分の人生のすべてが野球で占められていらして、野球ができなくなってしまって結局命を絶ってしまわれた。
しかし、私は伊良部さんによって人生そのものが救われた。

岩原スキー場で、吹雪く空を見上げ、天国の伊良部さんに「ありがとうございます」と静かに黙とうした。


最後に、皆様の御健康と御多幸を心よりお祈り申し上げます。

写真は岩原スキー場です。
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