![]() |
ロンデン尾根に呼ばれていると思っていたのに、まだお呼びではなかったようだ。
というのは、11月6日月曜日、職場のお客様が「ロンデン尾根行ってきたよ!!静かで人に会わなくてよかったよ!!」と山行写真をいただいた

その写真を見ながらお昼ご飯を食べながら、フォローさせていただいている方のレコを拝見していたら、ロンデン尾根にいらした記録があった。
「ロンデン尾根が私を呼んでいる

下山地点に悩みながら準備をすすめていた。行くのはまた次の機会。
守屋二郎さんの「奥多摩登山詳細図(東編)」に、この尾根の途中の三角点631.7m(三等三角点「肝要」)の地点に白岩山と記載がある。ヤマレコの記録にも出てくる。記録の中には「フェンスの向こうにあるのが白岩山」と書かれていらっしゃる方もいる。はてはてはてな??
まずは手っ取り早く、宮内敏雄氏『奥多摩』を見てみた。
p125に「タルクボノ頭から東するとすぐ三角点六四二米の白石山の小尾根を蹴出し」と記載がある。またp124の「御嶽山附近その三」の地図にはロンデン尾根のタルクボノ峰を少し下がったところから北東方向に行ったところに三角点マーク642.9mと白石山の記載はある。
白岩山ではなく白石山??
『皇国地誌西多摩郡村誌』の「大久野村誌」には白岩山ないし白石山の記載はなかった。
『新編武蔵風土記稿 巻109 多摩郡21』の「深澤村」には白石山の記載はあった。
「白石山 村ノ南北二ケ所ニアリ」
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763992
87コマ目
北側にあった山が白石山だったのか??
白岩という名称については『日の出町史 通史編上巻』のp9に「第1-4図山系と水系の概念図」で梵天山から細長い二等辺三角形で「白岩尾根」と書かれている。またp11に「ここから(ロンデン山(梵天山・深沢山))白岩山を基部とする白岩尾根が北東に張り出し、タルクボ沢・肝要入沢の水源となっている」と記載がある。
またなぞが増えてしまった。
写真は明治43年7月30日発行された1/50000の「五日市」の白岩山周辺をデジカメで撮ったもの
(画像は拡大していただき右クリックで「名前をつけて画像を保存」で、PCなどに保存していただき、画像閲覧ソフトで開くととかなり拡大して見ることができます。)
※梵天山の別名深澤山については、『皇国地誌西多摩郡村誌』「大久野村誌」にも、『日の出町史』にも記載がある
1/50000地形図は
http://mapps.gsi.go.jp/history.html#ll=37.3912834,140.3903225&z=5&target=t50000
1.日本地図の「東京」をクリック
2.五日市をクリック
3.リスト一覧で見たい発行日(例えば1907(明治40))のリスト番号をクリック
で閲覧できまずが、画像を拡大すると見えないかもしれません。
******************
以下私事です...
父が10月13日(金)に入院した。
病名は血栓性血小板減少性紫斑病とのこと。
銀行に行ったところ、めまいがするということで、行員さんに救急車を呼んでいただき、前立腺がんでお世話になった病院に搬送していただいた。
たまたま血液内科があり、病名が判明した。
最初の症状は、赤血球、ヘモグロビン、血小板が、骨髄で正常に作られているのにもかかわらず、減ってしまっていたので、自分で先の3つを攻撃してしまう自己免疫疾患だと推定された。
しかし入院2日後の10月15日(日)の午後から意識障害が起こり、翌日には自分の名前も言えなくなってしまった。この意識障害が起きたことで、病名をほぼ確定することができた。
血管の中で血が流れることで、血管は傷つく。
傷については転んでけがした時の傷と同じ。
傷口はまず血小板でふさがれ、その裏側にたんぱく質のヴォン・ヴィレブランド因子がはりつくのだそうだ。これがかさぶたになる。そして傷ついた組織が修復され、なおるとかさぶたがはがれる。かさぶたをはがす働きをするのが分解酵素ADAMTS13(アダムスサーティーン)なのだそうだ。血栓性血小板減少性紫斑病は、このADAMTS13が減少してしまい、血管内の傷(血栓)が修復されても、かさぶたがはがれないまま残ってしまうので、血が流れにくくなり、意識障害や、脳出血を起こしてしまう病気とのことだ。
通常血小板基準値は13.0万〜34.9万/μl。
父の場合はひどい時は0.1万/μl。
1万/μlを切ると血管のどこから出血しておかしくない状況だといわれた。
11月4日に右手のしびれを訴えCTをとると、脳出血、脳梗塞が1箇所ずつみつかった。
幸い意識もあり、食欲もあったが、先生から近親者に連絡してくださいといわれた。
人工呼吸器の使用の有無、心臓マッサージをするかいなかも決めて欲しいといわれた。
現在は脳出血も止まり、小康状態である。
治療は、とにかく赤血球、ヘモグロビン、血小板の溶血(こわれること)を止めるために、血漿交換を行った。自分の悪い血漿を出して、新しい血漿を入れていく治療である。
10月17日(火)から血漿交換治療を始めた。10月23日(月)に血小板が15万/μlまで上がったがまた落ちて行き、3万/μlで停滞。血漿交換をしないと0.9万/μlまで落ちた。
11月1日(水)から週に1回リツキサンを投与することになった。
リツキサンというは抗CD20抗体といって、ADAMTS13の働きを邪魔するインヒビター抗体をやっつけてくれる抗体なのだそうだ。
3回リツキサンを投与したが、血小板は9万/μlまで上がった。
大量にステロイドを投与しているので、副作用の感染症が心配されていた。
11月10日(金)夜背中が痛いと訴えた。熱が39度あったそうだ。肺炎が疑われ、翌日検査するとマイコプラズマ肺炎と診断。個室に隔離された。現在は熱は平熱。
血栓性血小板減少性紫斑病の原因特定のために全身のMRIを撮った。
小さな前立腺がんが再発していた。
11月16日(木)~1月9日(火)までの月~金放射線治療を行うことで完治できるとのこと。
国の難病指定64の病気である。
先生もお医者様になられて20年になるそうだが、大学病院の時に3人、今の病院で父を含めて2人目とのこと。症例が少なく御苦労されていらした。試行錯誤されながら、治療のことを考えてくださるので、感謝してもしきれないほどありがたい。