http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/65
三笠宮崇仁さまは『生も死も運命と心得ています。』の一行のみ、
渡辺淳一さんも『もちろん、情死。』の一行のみ、
他の56名の方々は死生観について多くを語られています。
細川護煕元総理と角川春樹さんは、何れも西行法師の辞世の歌を引用されています。
***** ねがはくは花の下にて春死なむ そのきさらぎのもちづきの頃*****
西行法師は、角川さんによれば、世間がびっくりするほど理想通りの死に方だったそうです。死後も生前の願い通りであり、これ以上はない往生だったようです。
北杜夫さんは雪山で凍死する「夢」について触れ、野口健さんはエベレストと富士山の清掃活動について記しています。我々にとっては登山そのものが想像の世界であるエベレストでの活動は、非常に強い信念に基づき、命を懸けた活動だったそうです。
野口さんは、『人は、遅かれ早かれ必ず死ぬ。それならば自身の信念に従って精一杯生きたい。その結果、命を落とすのならば堂々と死にたいものです。』と結んでいます。
藤原正彦さんは、『死の前日に、これまで私に「愛してる」と言ってくれたごく少数の女性達の一人一人に、この世にときめきを与えてくれたお礼を伝えたい。』と。
奥様に対しては、《すぐにでも後を追いたい気持ちは重々分るが、是が非でも思い止まり、子供のため長く生きるよう諭す。女房が昇天して来るまでの期間は、何の気兼ねもなく奔放に羽根をのばしたい》とのことで、ご尊父からも、また高名な数学者としても、想像のつかない意外なことを書かれています。
堺屋太一さんは、『人間にとって、「理想的な死」などあり得ない。敢えていえば、「理想的な生の終わり方だろうか。(中略)「死」を悲劇でなくするためには、自分の人生を徐々に客観的に眺める位置を創るべきだと思う。自分が自分の人生の観客だったら、「おもしろい人生だった」といえる。』
自分の人生を客観的に顧みる・・・・・生易しいことではないでしょうね。
結局は、今わの際に生涯を振り返る余裕があれば”これで良かったのだ”と肯定的に捉えざるを得ない気もします。悔んだところでどうにもならないですもの。
先日 105歳で亡くなられた日野原重明さんは、『意識を失う手前で、私は子どもたちや妻や、親しい友人に「ありがとう」と最後に発言できればと願うのです。欲を言えば、「私が生きてきたことは意味があった」と自分に語り掛けられればと思います。』
昨年10月に放送されたNHKスペシャルに出演され、「人の役に立つことを心掛ける」、「人から喜んで頂く」ことが長生きの秘訣だと仰っていましたが、人生観通りに生きられた著名なセンテナリアンでした。
安倍晋三首相は当時 自民党幹事長代理の肩書ですが、今よく言われることと同じことを書かれています。『政治家には国民の生命と財産を守る義務がある。そして国民から一票の信託を受けて国政に携わっている。その責任は非常に重いものがあります。ここ一番というときには、厳しい決断や判断をしなければなりません。そして政治家である以上、きわめて稀れではありますが、命がけの判断を迫られることがある。そのときにたじろがずに、自分の命を賭ける覚悟は常に持っていなければならないと思います。』
総理として支持率下降傾向の今、国民の声にじっくりと耳を傾けて欲しいものです。
マスコミが騒々しいのはある意味で仕方のないことです。騒々しさを鎮めるには支持率向上が特効薬でしょう。
最後に、安藤忠雄さんの力強い文面を引用します。
『自分という存在にも、いつか必ず終わりが来る。ならば、最後まで自身の思いを貫いて、闘って生きていきたい……ときに敗れることもあろうが、そのときは自然に淘汰されるに任せればいい……大切なのは、どれだけ必死に、生き抜くかだ。
人間の一生と、他の生物の一生を隔てるものがあるとすれば、それは生において<考える時>を持つことだろう。誕生し、完成した個として立ち、そこから成長、成熟し、子孫を残した後、老化して死ぬ。この生物としてのライフサイクルの中で、人間だけが、そうした絶対的な流れとは切り離された部分で、考え、思うことで深まりうる、別の時間軸を持っている。この<考える時>の豊かさこそが、人間を人間たらしめているのではないか。
生物としての生死は、避けようのないものだ。が、人間としての生は、己が考え続けることで永らえる。』
まさに至言です。私なんぞがコメントを差し挟む余地のない、全力を傾注する生き方、考え方だと思います。
登山を始めて間もないころ、山岳雑誌か何かで↓のことを読んだ記憶があります。
『老境に入り、自分の最期がもうそんなに遠くないと思うようになれば、現世との関わりを一切絶ち、山奥深くに入って大自然の中で永眠したい』
山好きには【理想の死に方】のひとつかもしれませんが、人間関係のつながりの中で、自ら山中に墓穴を掘るのは、現実には難しい気がします。
唯ひとつ間違いなく言えることは、山好きが意に添わずに山より高い所へ昇ってはならぬということです。
★ 写真は大台ケ原・日出ヶ岳の日の出
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