1997年10月某日、「日本百名山を全部登って、その山行記を自費出版する」と連れ合いに対して言い放ち、10月20日から百名山踏破を開始した。
その一方的な登山通告ともいえる言葉に対し、連れ合いは賛成も反対もしなかった。
既にその頃は、連れ合いは私に対し、「この いごっそう には何を言っても仕方がない」という半ば諦めの感情を持っていたようだ。
当時はNHK教育テレビで、『中高年のための登山学』が再三再四、繰り返し放送されていて毎回必ず見ていた。
岩崎元朗さんが講師で、ゲストはみなみらんぼうさん、後に山内賢さんに代わり、一般から毎回二人が参加されていた。
それ以前の数年間は渓流釣りに没頭し、朝まずめはよく釣れるのでいつも真夜中に家を出ていた。
行先は奥秩父か西上州の源流域だが、奥秩父は渓相の険悪な所が多いのに対し、西上州は遡行しやすい所が多かった。
増水後はよく釣れ、尺イワナは食するのが勿体なく、ホルマリン漬けで保管していたが、転勤で引っ越しの際に処分せざるを得なかった。
折りしも、日本経済は高度成長期の真っただ中にあり、RV車の普及とともにアウトドアレジャーは多様化し、釣り人や沢登りを楽しむ人は年々増えた。
それに反比例して釣果は思わしくなくなり、沢(釣り)から山(登山)へ転向した。
渓流釣りは多くの河川が9月で禁漁となる。
機は熟し、10月20日の谷川岳を皮切りに、以後は天気さえ良ければ毎週のように百名山を目指すようになった。
釣りでは一匹釣れればすぐ上流へ遡行し、長距離を歩くことも珍しくなかったので、登山は始めたばかりでも長時間かつ長距離の歩行は苦にならなかった。
その年(1997年)は間もなく雪の季節となり、基本的に日帰りすることが家族との約束だったので、冬山は百名山以外の低山か中級山岳が多かった。
10月20日は記憶しやすい月日でもあり、現役の勤労者だった頃は、私自身には心の中の祝日であるため、平日ならば有給休暇を取っていた。
北アルプス&中央アルプスの初登はほとんどが98〜99年、南アルプスは2000年までに初登を済ませた。
北海道や九州は、当時の航空会社がバーゲンセールと称して片道一万円で航空券を限定販売することがあり、それをよく利用していた。
一方で下山後の宿泊は全てホテルだったので、遠征費は安くはなかった。
百名山の初登は5年9か月ほどで終え、その後はルートや登山口を変えて再登しながら、二百名山や関東近辺の○○名山を目指した。
再登も99座までは順調だったが、幌尻岳は南側から行く以外の選択肢がなく、完遂は2014年の9月だった。
山行記を自費出版すると宣言した以上は、その記録を書き留めておく必要があり、初登山となった谷川岳以降、登った時の状況や感想などを大学ノートに詳しく記録している。
当時はSNSを通じて広く発信することは全く頭になかった。
登山に長い時間が掛かったり、遠距離で帰宅が遅くなったりした時でも、記録を鮮明に覚えている内に、との思いから翌朝4時前には起きて、大学ノートに記帳することがあった。
近年は一連の長い文章ではなく、要点を箇条書きにすることが多い。
文章を書くのは嫌いではないので、自費出版は半分は本気、あとの半分は山へ行くための口実であったが、次第に後者の比重が増し、今は自費出版のつもりはない。
山へ行ったのに記録を全く残さないのは、私には考えられないことであり、ヤマレコにアップしないことはあってもノートにはちゃんと書き残している。
その大学ノートも今は11冊目だが、いずれは終活の一環として処分せざるを得ない。
1997年以前から富士山と両神山は毎年必ず行っていた。
富士山は高山病にさいなまれながらも、私の心の中では年中行事化していたし、両神山は朝早く登れば午前中には帰宅できる、近くて親しみやすい名山である。
本格的な登山を始めたのは百名山ブームに触発された47歳である。
スポーツ性の高い趣味としては高年齢からのスタートであったが、渓流釣りに興じていた頃から山には関心があり、登山へ転向後は堰を切った激流の如く、頻繁に山へ登るようになった。
『百の頂に百の喜びあり』とは深田記念公園の碑に刻まれた名言だが、登った山にはその数だけ思い出があり、登ったかどうか忘れた山はただ一つもない。
☆ 富士山は日本人の心の拠り所であり、時空を超越した神の棲む山だと思う。
こんばんは、
私も山に行った時は、必ず記録を残すことにしています。
記録を残すことにより、山行の幸せな時を再体験できるからです。
かつてはすべて手書きで、感想のみならず、概念図を書いたり、標高表を書いたり、
写真を基に展望スケッチを書いて山座同定をしたり・・・
ヤマレコができ、今は、便利な時代になりました。
でも、手書きをした方が印象に強く残るようです。
今、昔の手書きの山行記録を備忘録と言う形でヤマレコに記録しています。
もちろん、自己満足にすぎません。
心残りは、高校時代から山記録を付けていたのですが、
手元にあるのは大学3年以降のものだけです。
あと、結婚して子育ての時期は、山記録を付けていなかったということです。
全部自己満足のもの。他人と競うわけではないので、それでいいかなと思います。
私が死んだら、これら古ぼけた山行記録は直ちに処分されるでしょう(今でも処分されかかっています )。
こんばんは
ヤマレコやブログなどは便利な一面、空間を相手にしているバーチャル感は否めませんね。
ノートなどに極力漢字で手書きすることは、文字忘れ防止にもなるかと思います。
私はシャープペンを使用し、机上には字引きと消しゴムを用意して書いています。
記録用のノートとは別に、特大のノートに50音別に山名を記し、登った年月日をすぐ調べられるようにしています。
ヤマレコ以前は別のSNSに参加しており、当時に投稿した記録をコピペしてヤマレコに再アップした記録もあります。
大学ノートに詳しく書いた記録はコピペという訳にはいかず、時間を掛けて何件かはアップしましたが、情報が古いので今後はアップする予定はありません。
どのような楽しみ方にしろ、所詮は道楽であり、自己満足の世界ですね。
他人と競う点は何一つなく、万人が万人の楽しみ方に徹し、山の素晴らしさで盛り上がればそれで十分だと思います。
コメントありがとうございました。
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