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雨乞岳-清水頭間を歩かれた方は、この稜線の西方に広がる、特異ななだらかな地形を記憶されているのでは?と思います。
また、綿向山登山で、竜王山稜線ルートを利用され、地形図で、ルート探索された方は、P-962北の鞍部より、西側に、奥の平橋にかけて、なだらかな地形(現在、杉の植林帯になっていますが、以前は、山畑・採草地との事です。)が広がっている事を、御存知だと思います。
綿向山北西の竜王山から、綿向山北稜、イハイガ岳、清水頭を経て雨乞岳までの稜線ルートは、大部分が急峻な稜線上に存在します。その中で、清水頭から北に広がるなだらかな「奥の畑谷」と竜王山稜線ルート上のP-962北の鞍部より西に広がる「奥の平」の地形は、異質です。稜線上にある広いなだらかな地形は、急峻な稜線が浸食等でなだらかな地形に変化して来たものと、考えられますが、谷合いにある「奥の畑谷」と「奥の平」の地形には、単に浸食で、形成されたと考えるには、少し違和感があります。
これからは、私見になりますが、「奥の畑谷」のなだらかな地形は、現在の清水頭辺りに、昔、雨乞岳以上の高い、急峻なピークが存在していたのが、強い地震で、北側に崩壊し、その崩壊した土石に依って、現在のなだらかな清水頭北西の「奥の畑谷」の地形が形成されたのではないか?と考えています。
また、綿向山の北にある「奥の平」のなだらかな地形も、P-962の北側に、矢張り、急峻なピークが存在していたのが、大地震に依って、西側に崩壊し、現在のなだらかな「奥の平」が形成されたのではないか?と考えています。
現在、鈴鹿山系の急峻な「鎌ヶ岳」が、少しずつ崩壊をしている事を考えれば、「奥の畑谷」と「奥の平」を形成したのが、大地震に依る山体崩壊である可能性は、高いと考えています。また、同じ大地震に依って、同時に崩壊した可能性も高いと考えています。
画像1:2019-04-27の白倉谷〜清水頭〜大峠〜白倉谷のトラックログの一部
画像2:2020-02-07の奥の平〜竜王山稜線ルート〜綿向山のトラックログ
画像3:1984-09-14発生した御嶽山での山体崩壊の画像、労働新聞(2019.06.13)より
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